希望の日記

2006年07月10日(月) 田舎暮らし

田舎暮らしセミナーは面白かった。その時間だけは夢を見られる。でも1700万円かかるといわれて夢が覚める。金の話か。商品なのだ。興ざめだ。現実と夢の戦いだ。今は本当に自分をいたわろう。楽しいことだけしよう。
自分をいたわる方法は自分を大事な人間と考える、尊重すると言うことだろう。自分はだめだ、価値のない人間だと思えば、何をする気もなくなる。自分は尊い人間だと思えば自然と何かをしたくなる。その価値を外に示したくなる。いたわると言うことだ。自尊心を取り戻すことだ。
困ったことは起こらない。何となくわかってきた。今病気休職で困っているかと言うと全く困っていない。経済的にも精神的にも全く困っていない。心豊かで楽しい生活をして回復を待っている。問題は起こるがそれは自分が解決してステージが上がるためのものだ。決して困ったことではない。むしろウエルカムだ。なぜなら置き去りにしてきた問題や間違った考え、行動を自ら改めるチャンスだからだ。自分で解決できればいいことが山のように起きる。
女なんかの機嫌を取ろうとしてもだめなのだ。自分の機嫌を取らないといけない。いつもあの不機嫌な女の機嫌を取るにはどうしたらいいかと無意識に考えてしまう。でも絶対に機嫌よくはならない。悪だからだ。それで病気になる。私は善人過ぎて病気になってしまうのだ。自分の機嫌を取っていれば大丈夫だ。
疲れているので無理はしないほうが良い。いたわるのだ。自分をとことんいたわる。付加を取り去る。何もしないでゆっくり休む。そうすれば自発的に仕事をしようと言うことになる。慎重に行こう。注意深く、危険に近づかないようにしよう。できもしないことはできないと言おう。
とことん自分を尊重しよう。そうすれば何で人があんなにも欲深く、意地悪く残忍で利己的かわかる。そうすればうまく付き合う方法はわかる。宗教的な考えに至るだろう。一人さんのような考えが結局近道だとわかる。人に親切にするのは良いが自分の利益を損なってはならない。全く意味がない。人に幸せを上げれば自分も幸せになれるだろう。でも自分がまず最初に幸せにならなかったらしあわせはあげられない。
自分をいたわろう。自暴自棄になってはいけない。危険な奴から自分をまもろう。2チャンネルとか言うおかしなところから金をふんだくられた。信じられない。闇が広がっている。日本はおかしな国になっている。自分を尊重しよう。国自体がおかしくなっている。医療費を上げたり、税金を上げたり、自殺者を増やしたり、憲法を変えようとしたり、アメリカの言いなりになったり、やって良いことと悪いことがあるだろう。ほんとにおかしな国になっている。辺見庸の言うとおりだ。
気分が良くないということはやっぱり、自分にもっと優しくした方がいいということだ。今日が人生最後の日だと思えば自分にもっと優しくするだろう。これから思い切り、自分に優しくしよう。自分を王侯貴族のように扱おう。自暴自棄になってはいけない。
自分の機嫌だけ取ると言うことは自尊心を持つと言うことだ。都会の着飾った女に魅力を感じなくなった。田舎暮らし適齢期なのか。自分は癒されたいと思う。田舎に行って癒されるならそうしたい。女は本当に馬鹿だ。前からそうじゃないかとうすうす思っていたが、本当に馬鹿なのだとわかった。なぜ差別されるか、なぜ社会から排除されるかもわかった。
付き合いたくない奴らがいる。金融関係者、やくざ、芸能人、芸術家、スポーツ関係者。こいつらは命を金や快楽と取引する奴らで、付き合うととんでもないことになる。でも人間は力を持つとそういうことをするわけで、政治家、商人、宗教家、官僚、全ての人間はそうじゃないだろうか。だから人間はうんざりだと言うのだ。そういうのが嫌になって田舎暮らしに憧れる。どうなんだろう。それが本心なのか。カモフラージュなのかわからない。色々考えたが、宗教的な考えを離れることは私にはできない。全ての人間にとってもそうだろうと思う。働くと言うことを自分に納得させる上でもどうしても宗教的な考えは必要だ。幸之助氏の本を読んでいるが100%宗教的なことを書いている。天然自然の理法に従って商売をやればうまく行くという。それはすなわち宗教だろう。私も宗教的な人物である。そういう気持ちが嫌になったこともあるが結局それが一番楽で自然だ。無理とか苦労とかを強いるものは全て間違いと言ってもいい。親鸞の教えは何も難しいことはない。念仏を唱えよと言うことだ。難しいことを望んでなんになる。今苦しくて救いを求めている人間がどうしてややこしいことや苦しいことができるのだ。楽で簡単なものだけが真実じゃなかろうか。天然自然のほうに逆らっても苦労ばかりで自分や他人を傷つけるだけで絶対にうまく行かない。
egに行ったのは間違いだった。人の機嫌を取ろうとして自己破壊に突き進んでしまった。麻薬に手を出すようなものだ。あそこで起こったことは忘れよう。なかったことにしよう。宗教だけがこの苦境を救ってくれる。今苦しいならばもっと楽にならないといけない。もっと自分をいたわらないといけない。もっと優しくして、もっと負荷を減らさないといけない。もっと嫌なことをなくさないといけない。もっと楽しいことだけしないといけない。とことん自分を守らないといけない。自分を守るために戦わないといけない。
女なんか全く恐くない。遠ざけることは簡単だし、こちらから離れることも簡単だし、身を守るために攻撃することも可能だからだ。宗教的とは何でも許すことではない。許さないことは許さないことだ。戦うことだ。不正と戦うことだ。気持ち悪いババアがセクハラしても暴力を振るっても許さなければいくらでも身を守れる。相手が悪いことをしないという前提でいてはいけない。こちらが身を守れないと知ると、攻撃やセクハラをしてくるのだ。解決方法はない。どうしたらいいか。仲良くする方法はあるか。ない。戦うしかない。やっつける方法はかなたんだ。極めて簡単だ。自分を尊いと思うことだ。人の機嫌を取らないことだ。自分の機嫌を取ることだ。女が嫌いでも何の問題もない。仲良くできなくても何の問題もない。何か問題であるかのように気に病むことがおかしい。
私は前の会社をごみのように放り出された。そんなことが許されるのか。私も自分の害になるものを排除していいのだ。私も害になるものを排除すれば楽になる。
宗教は自分を守る最大の武器になるだろう。仏教は女を遠ざけよと言う。女に恨みがあるのだろう。私もある。でも簡単だ。近づけない方法は自分から近づかなければ絶対に近づいては来ない。仲良くなりたいと思わなければ絶対に仲良くはならない。昼間から女や若者がうじゃうじゃ歩いていた学生は夏休みなのか。それにしてもどうなっているのか。人のことは言えないが。
宗教が一番良い。楽だし、楽しい。奥深く心豊かで真実に一致する。動物は本能のまま間違うことはないので必要ないかもしれないが、人間は間違った道に入り込んだり、光を失ったりするので誰でも必要だ。私は宗教を支えに生きていくだろう。誰でもそうだ。学校でもどこでも宗教は教えていないが誰でも自然にそういう考えを身につけるだろう。
女は本当に馬鹿。そして女に嫌がらせなんかできない。この二つだけだ。完全に拒否されたら何もできないんだから、嫌がらせなんかそもそも成り立たない。相手の機嫌を取ろうとしているからおかしいことになる。自分は自分の機嫌を取ればいいだけなのだから、嫌がらせなんか成り立たない。私があまりに善良で人の機嫌を取ろうとするから病気になる。自分の機嫌だけとっていればいいのだ。人の機嫌なんか取らなくていいのだ。女はほんとうに馬鹿。女に嫌がらせなんかできない。女と仲良くしようとか機嫌を取ろうとか心にもないことをするから漬け込まれる。完全に拒絶すれば指一本手出しできないのだ。嫌いなんだから嫌いと言う顔をしていればいいのだ。
女は本当に馬鹿。人に嫌がらせして得することなんかないのだ。絶対に女なんかに嫌がらせされる筋合いはない。絶対にできない。機嫌を取ろうとか仲良くしようとか優しくしようとか思うからいけない。人間なんだから優しくしないといけないとか。全く関係ない。いやなことをする奴なんかの機嫌を取る必要なんかないのだ。


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