自分を守ることができれば病気にはならない。今回のことも大学のときのことも中学高校のことも自分を王侯貴族のように考えて守ることができれば、病気にはならなかった。病気になったのであれば休むべきだった。今のように。自分のために怒ることができれば自分を守ることができるだろう。人は善人とは限らない。欲深な狼のような一面がある。人を貪り、傷つけて平気な一面がある。そういうものとして扱わないといけない。女は馬鹿で哀れむべき存在である。嫌がらせなんかされる筋合いはない。自分をとことん思いやり、優しくし、、守り抜かなければならない。たとえ人と争うことになったとしても自分を守りぬかなければならない。争いを避けるために自己犠牲をしてはならない。辛かったら辛いと言おう。できなかったらできないと言おう。病気になったら休もう。治るまで。まだこれでも辛いのならばもっと休もう。もっと労わろう。人のために何かしようと思わずに自分のためにできることは全てしよう。自分を守り抜こう。戦おう。暴力と戦おう。 自分を守り抜こう。自分を労わりぬこう。自分に優しくしよう。暴力と戦い抜こう。小学校の頃、くそ馬鹿ガキと喧嘩になり、母親の悪口を言われた。その頃から母親が嫌いになった。同時に学校が嫌になった。家庭内暴力に走った。自分を支配するものは母親だった。母親が憎くてたまらなかった。今思えばそんなに憎む必要はなかった。それ以来、女が嫌いになった。病気になり、戻ってきて母親との葛藤はいっそう激しくなった。父親はその間に立ってストレスで癌になり、死んだ。二人で父親を殺した。父親を奪い合って殺した。母親は私を頼るようになったが私はエディプスになりたくなかったので毛嫌いし、離れた。母は私をストーカーのように追い求めるようになった。私は今でも嫌いだ。ぞっとする。暴力を振るってでも私に近づこうとしているように思えてぞっとする。安珍と清姫のような気がする。私は殺されそうな気がする。私は母親を傷つけた。傷つけずにはいられない。父親を奪い、傷つけ、母親を拒み、傷つけた。私は母親を愛すべきだったのだろうか。愛情にべきなどあるだろうか。私は女に自己重要感を与えられない。嫌いだからだ。そうすると100%うまくいかない。それでも私に執着するババアは私に暴力を振るってくる。私は母を拒んだ。母に殺されそうになった。今母の代わりのババアに殺されそうになっている。母を好きになればいいのだろうか。ババアを好きになればいいのだろうか。b校でも女とうまくいかんかったのはそういうことだ。本当に私は女が嫌いなのだろうか。嫌いじゃいけないのだろうか。父親不在で母親と深刻な葛藤の生じる場合があるのだろう。引きこもりのパターンだ。日本特有だと聞く。母子の癒着だ。それでもうまく行く場合もあればうまくいかない場合もある。女を好きになって、女の味方になって優しくしてやって、協力して、協力してもらって生きていくのが普通の男だろう。女に依存している。私は女から独立しようとして苦しんでいるのか。私が女や母を嫌いになったのは偶然か必然かわからない。でも今では女をどうやって好きになって良いかわからない。本当に見ただけで腹が立つ。自分を騙してうまくやっていくか。全面戦争を続けるか。それは不可能だろう。自分が損するだけだ。私は女を愛することができない。さりとて女になることもできない。女に暴力を振るわれたり、セクハラされたりするのも嫌だ。女嫌いにも拍車がかかってきた。今更女を好きになることはできない。でも自分を守りぬく。自分を労わりぬく。女が好きであっても嫌いであっても自分が好きだ。自分を愛しぬく。私は変わっていても私は私だ。私は私を守りぬく。優しくする。危害を加えらるいわれはない。女が嫌いだったとしても迫害されるいわれはない。権力が嫌いな奴は女が嫌いだ。女は権力だ。権力が嫌いな私が私は好きだ。女が嫌いだからと言って私を迫害する権力が私は許せない。私は私をかばいぬく。私を守り抜く。疲れたら休む。病気になったら癒す。そうして生きていく。私は女が好きな奴なんてこの世にいないと思う。仕事が好きな奴がいないのと同じだ。女とは仕事を強いる動物だ。それが好きなんておかしい。男は女が嫌いだ。女は女が嫌いだ。だから女は誰にも愛されない。だから自分で自分を愛する。女も男を愛していない。自分を愛しているだけだ。私もそうしよう。自分を愛しぬこう。人に仕事を強いよう。自分だけうまいもの食っていい物着て良い気分になっていよう。女のように。 女が好きかどうかなんかどうでもいいんじゃないか。女は女が死ぬほど嫌いだ。自分だけを死ぬほど好きだ。私も自分を死ぬほど好きになろう。そうすれば楽になる。精神的のみならず、物質的にも楽になる。健康にも気をつけ、節約と貯蓄に励むようになるだろう。隣人を愛し、仕事を愛し、町や国を愛するようになるだろう。国を愛する心、自分を尊重し、愛する心は大事なんじゃないだろうか。商売は宗教である。学歴なんかいらない。政治も法律も宗教である。これも学歴はいらない。角栄を見よ。秀吉を見よ。幸之助を見よ。商人は権力が嫌いだ。商売は宗教であって、権力から逃れて、自分の食い扶持と権力を手に入れることだ。反権力だ。自分を愛すると言う一番自然な感情に従おう。自分にその果実を味わうことを許そう。自分を愛するならば、自分を必死で守ろうとするだろう。そうすれば簡単だ。それが答えだ。女が好きか嫌いか、男が好きか嫌いかなんか全くどうでも良い。自分を好きになれ、自分を労われ、優しくしろ。損得に徹しろ。 私の人生は母親との葛藤の歴史だったのだなあと思う。母親の言うことは間違いではないだろう。でも私は反発した。自分の人生を見通すことができた。これで直すことができれば最高だ。苦しみもなくなるだろう。今ババアや女どもと生じている葛藤。冷戦。モラハラ。それらのルーツは全て母親に冷たい気持ちになったことから生じている。母親に感謝の気持ちが必要なのではないか。母親に感謝そういうことではないだろうか。弱者には憐れみ。やはり宗教が必要だ。癒そう。休もう。優しくしよう。 感謝と言うのは大事だ。そういうところから自分を労わる気持ちが出てくるのじゃないか。人に優しくできないものは自分自身も粗末に扱うだろう。もっと簡単に考えたら簡単に解決できる。親に虐待を受けたりした人もいる。そういう人はなかなか解決は難しいだろう。でも私は違う。簡単すぎて答がわからないのじゃないか。親には感謝、弱者には思いやり。自分も労わる。一所懸命仕事する。シンプルなのが一番だ。複雑な人生など真っ平だ。簡単な人生をわざわざ難しくしている。それは病気だ。やめたほうがいい。感謝し、ツイテルと言い、困ったことは起こらないと考え仕事に励もう。それだけのことじゃないか。母親と葛藤など馬鹿馬鹿しいことだ。 私は神の前で哀れな弱い生き物だ。全ての人間はそうだ。いつ死ぬかわからない、哀れな生き物だ。であれば自分に優しくし、自分を尊重し、自分の素晴らしさを素直に発揮しよう。自分のだめさを発揮している暇はないのだ。 母親に感謝する気持ちはあるのだからそれでいいのではないか。反発する気持ちもあるだろう。でも今はどうでもいいことだ。 母親は血のつながりがあるからそういう気持ちは大事だが、そのほかの女はいつでも切れる関係にあるか全く関係ない。だから自分を守ることができる。 自己重要感を大切にしないといけない。たとえ相手が女であっても自己重要感を与えるようにしないと恨みをもって復讐してくる。私は女が嫌いなので今までどれだけひどい目にあったか知れない。 今不調だからものを考えないことも大事なケアーだと思う。気晴らしを連続する。一週間飲み続ける。それはやった。体に悪いと言うことがわかった。精神的にセルフケアーする。人に攻撃されたら、きちんと反撃する。アサーティブということだ。今多分自尊心がぼろぼろになっているのだと思う。同窓会に出入りしようとしたりしたのもそれを補填したかったからだ。結果は惨憺たるものだった。自尊心はいっそうぼろぼろになった。人に依存してもだめだ。一から十まで自分でやろう。自尊心、自己重要感を守るためには人から攻撃されて黙っていてはだめだ。アサーティブに自己主張しないといけない。自分を守らなければならない。都会にいて自分が守れるだろうか。田舎に引っ込んだら守れるだろうか。自分がしっかりしないといけないのではないだろうか。そのためにはしっかり休み、自分を労わり、十分癒され、回復した後、やるべきことを黙々とやる。これに尽きる。 堺浜のケーズデンキに行ってきた。プラズマがきれいなのか液晶がきれいなのかわからない。明るいのは液晶だ。外で過ごすのも神経が磨り減る。人の視線が気になる。当然と言えば当然だが、正常な証拠だ。私は深刻な事態にある。窮している。それは中学のときからだ。危機的な状況にある。外から見てもわからない。怠けているのだ。辛抱が足りない。わがまま。そうではない。頑張りたくても頑張れないと言うことが普通の人間にはわからない。しんどくてもできることがある。それをやろう。塗り絵とか計算ドリルでも良い。読書でも良い。集中してやってみよう。原田式を取り入れてやってみたら道が開ける。それからそれから誇りを取り戻すことだ。自分を王侯貴族のように扱う。誰がなんと言ってもそうする。ありとあらゆる気晴らしを試してみよう。こんなにもうつが高じたのだから全力で自分の機嫌を取ろうと思う。自尊心、自己重要感を守ろう。自分の機嫌を全力で取ろう。今が一番苦しいときだ。これがきっと後で役立つ。 自分をとことん優しくしよう。人のことなんか関係ない。人に優しくしてもらわなくてよい。自分で自分の機嫌を取る。今日は私の精神障害のルーツが母親への反抗にあるということがわかって収穫だった。少しずつ自分が見えて来ているのだろう。 世の中が繁栄しようが乱れようがどうでも良い。私が平穏無事であれば良い。 2ちゃんねるにアクセスできなくなった。絶対あの悪徳業者が細工したに違いない。信じられない犯罪領域が広がっている。 私は本当に優しく真面目で正しい。私がこんな目にあうことは間違っている。絶対に正しい。 母親には感謝の気持ちでいっぱいだ。女は損な役回りでかわいそうだ。哀れでならない。私は自尊心をもつべきだ。なぜ私が中学のときおかしくなったのかわからない。母親が嫌いになったのもなぜかわからない。皆あのくそガキのせいのような気がする。貧乏人の土方のせがれ。ものすごく頭が悪く、不潔で根性最低。何であんなのと付き合ったのかわからない。今でもそうだ。何でこんなのとというような馬鹿と付き合っている。私は自尊心を持つべきだ。 馬鹿と付き合うのは止めよう。2ちゃんねるみたいな非合法みたいなアングラみたいな奴らと付き合わないといけないのだ。あのキチガイみたいなババアとか。絶対許さん。私は人を否定できないものだからどんなに自分に害があっても否定できない。その結果自分を傷つけてしまう。親や兄弟を傷つけてしまう。どうしてかわからない。馬鹿は許さない。自分を守るのに理由なんかいらんばい。自分に危害を加える奴は絶対に許さん。何だあの中学のときのキチガイ教師は殴り返してやればよかったんだ。不登校で上等だ。馬鹿にするな。私は働くために通っているのに何嫌がらせしているんだ。殺すぞ。殺すぞ。殺すぞ。殺すぞ。 私は絶対に正しい。何でこんな目に遭わないといけないのか。アイムオーケーユアオーケーは私と母親の関係についてだったのだ。私と母親の関係はあるときアイムナットオーケーユアナットオーケーだった。それがアイムオーケーユアオーケーになるならば全ては解決するのだ。私は中学以来、今に至るまで葛藤し続けている。アイムオーケーユアオーケーにならない。もう楽になりたい。大学のときもそうだったし、会社に入ったときもそうだったし、このくそ職場に入ったときもそうだった。アイムオーケーユアオーケーでないといけない。自分の機嫌を取ろう。人の機嫌は取らない。私は正しい。私は絶対に正しい。 母親にはひどいことをしたなと思う。中学時代から暴力を振るい、病気になって帰ってきて、また葛藤が生じ、喧嘩し、父親が死に、家を飛び出して一人にして不眠にした。これは過去のことだろう。でもやっぱり悪いことだ。過去を反省しなければ未来はないだろう。やっぱり悪いことをしたのだ。 母親は大事だ。小学校や中学校のくそ馬鹿がきは全く価値がないどころか有害ならい病菌みたいなもんだ。生まれてこなければ良かったんだ。今からでも生きてたら死ね。母親は大事だ。親兄弟は大事だ。大事なものを大事だと思えばいいじゃないか。間違いが正しくなるんだ。そういうことをしているからあんなくそみたいなババアにつけこまれるんだ。そこを変えれば自分も苦しさがなくなり、伸びていけるだろう。母親は大事だ。私に災いをもたらすくそガキどもは死んだらいいのだ。と言うか生まれてこなければ良かったんだ。罪を悔い、改めれば道は開ける。今からでも遅くない。人非人みたいなくそガキと付き合ってはいけない。感謝の気持ちが大事だ。母親に感謝、父親に感謝。それをくそみたいな餓鬼のいうことを聞いて親兄弟を嫌ったのは間違いだった。間違いを間違いと認めることは大事だ。自分を大事にしよう。自分の機嫌を取ろう。 親兄弟のいうことを聞かないでくそガキやくざの言うことを聞いてしまったためにおかしなことになった。親の言うことを聞いていればよかった。らい病菌みたいな毛じらみみたいなやつらのいうことを聞いて付き合ってしまった。本当におかしくなってしまった。
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