昨日も眠れなかった。でも明け方ふと気持ちが楽になった。自分を愛し、優しくし、労わり、休ませ、慰め、守り抜くと思い続けていると、自分をいじめても仕方がない。外界からの不当な圧力には反撃しようと思った。戦う勇気が出てきた。そうすると楽になった。両親には感謝、女には憐れみ、慈悲。自分は間違っていない。自分の機嫌を取ろう。とことん自分の機嫌を取ろう。自分を守り抜こう。人の機嫌を取るな。自分を守れ。女が嫌いでも攻撃されるいわれはない。大体なんで人を攻撃できるのだ。何を考えているのかわからない。 自分をとことん守ると考えると自分に向いていた刃が人に向くようになる。勇気が出る。誰にも負けないと思う。絶対誰にも負けない。 女を見ると腹が立つ。母親との葛藤が原因だ。今でも腹が立つ。ずっと喧嘩していた。過去の話だ。でも現在の話でもある。 自分を守り抜こう。ストレスがあるならストレスを取り除き、休養が必要なら休養しよう。とことん休もう。労わろう。優しくしよう。 アイムオーケーユアオーケーは母との葛藤をすっきりしたものにしてくれる。私が母を嫌いになったのは偶然か必然か今となってはわからないし、どうでもいいことだ。好きでも嫌いでも恩義があり、感謝していることには変わりはない。仏陀は親を捨て反省することもなかったし、女を忌み嫌って排除した。私はそこまでは行かないがそういう考えもありうると言うことだ。そこまで女が嫌いということもありうる。私はしかしアイムオーケーユアオーケーと言う立場に立ちたい。好きでも嫌いでもその立場にいささかも揺るぎはない。良い関係はそれしかないのだ。私は否定されたりすることはないのだ。アイムオーケーユアオーケー。そこに好き嫌いの感情はない。好き嫌いのような偶然的な感情に左右されず正しく判断行動できる。自分の利益を損なうことはない。 アイムオーケーユアオーケー。私は生涯のほとんどを母親や社会との闘争に明け暮れて、実りあることがほとんどできなかった。ほとんどの人生をうつ状態とノイローゼと統合失調症の混乱の中で過ごしてきた。ババアや女に自己重要感を与えることができれば簡単にコントロールできる。あなたは私にとってかけがえのない人ですと言えば女やババアは私のためにいくらでも働くだろう。選挙のとき政治家が汚い婆にまで手を握って目を見つめ話しかける。これで投票してくれるのだ。ババアと言うのはそういうものだ。ババアや女を本当に愛することなど必要ない。そういう自己重要感を与えるだけでいいのだ。コントロールできるのだ。あまりにも馬鹿なのでわからなかっただけだ。本当に馬鹿なのだ。女は。 アイムオーケーユアオーケーの中でそういう自己重要感を出せばコントロールできるだろう。あまりにも馬鹿なので私の常識では理解できないのだ。 自分の身を守るのに理屈はいらない。方法も何でも良い。こうして休んでいるのも一つの手っ取り早い方法だ。自分をとことん守りぬく。とことん優しくしよう。王侯貴族のように扱おう。 egの後脳が勝手に暴走し始めておかしくなった。でもおかしいまま生きていかないといけない。ババアが本当に嫌いだ。中学くらいから始まった。あのキチガイウジムシくそガキと付き合ったからだ。母親を嫌いになる理由はないのだ。母親はあのウジムシを嫌ったのであのウジムシは母親の悪口を言った。それで影響されて母親が嫌いになった。何で悪いウジムシと付き合うのか。何でウジムシの影響を受けるのか。この二つを反省すれば母親との問題はクリアーできるだろう。 あんなくそ見たいナ職場には戻りたくない。うつが再発する。自分の機嫌を取ろう。人の機嫌を取るな。サラリーマンの世界ではうまく行かない。物書きになりたい。 原因はわからないが中学の頃からおかしくなってきた。キチガイウジムシと付き合ったからだろう。そこにキチガイウンコ教師による虐待によるPTSDで完全におかしくなった。こんなストレスは取り除かないといけない。疲れたら休む。最近昼間外を歩いていると変な目で見られる。当然かもしれない。でも家でじっとしてはいられない。 もし病的な人格障害みたいなものであったなら、癒し、治療しないといけない。これを反社会的な性格と取られると困る。病気であって本人に落ち度はない。いいものに影響を受ければそういう風になるのだ。これからはいい物だけに触れ、いい影響だけ受けよう。いい影響とは何か。心を豊かにするものだ。過去を振り返ってばかりではいけない。現在に生きるのだ。とことん休み、とことんケアーし、サポートし、優しく労わり、幸せになる。それが責任と言うものだ。いじめたり、罰を与えるべきものではない。それすらはっきりわかっていないに違いない。あの下等動物はいじめにかかっている。ケアーが必要なものをいじめるとはどういうことだ。怒るぞ。とことんケアーしよう。サポートしよう。労わろう。王侯貴族のごとく尊重しよう。決して粗末に扱ってはいけない。価値ある存在なのだ。 自分でも自分がよくわからない。いつ何が原因でおかしくなったのかわからない。くそみたいな奴らと付き合った結果おかしくなったが、どうして付き合ったのかもわからない。誰を責めたらいいのかわからない。生まれつきだったと言うのか。そのときはそうしたかったのだし、今更何を言っても始まらない。今このときを生きることしかできない。今できることは昔を穿り返すことではなく、ゆっくり休むことだけだ。自分に優しく、労わり、病人を扱うように慎重に扱うことしかない。特効薬はない。宗教に親しみ、自分を美しく保つことだ。過去を振り返ることではない。 eg以降色んな経験はしたがいいことは一つもなかったし、結局精神病的な症状が出て休職に追い込まれた。復帰のめども立っていない。今はそういう人格崩壊を重く受け止めて慎重に行動することだ。セルフコントロールができるように慎重に訓練することだ。呼吸法、塗り絵、計算ドリル。思い切って小説に打ち込んでみるのもいいかもしれない。あれ以後評価されたのは一編の小説だけだからだ。自分に優しくし、宗教的にのみ生きることだ。 eg以降脳が暴走して自分をコントロールできない。hの奴とも何度も衝突する。病気がそうさせていると言うことがわからないらしい。でも私もあのくそ爺が信じられないことをしても病気がさせているとは思わない。危険極まりない爺で直ちに社会から排除すべきと思う。だから私も自分をコントロールできない限りは言い訳はできないと言うことだ。病気だといい募ればすなわち、社会から排除されることを意味するのだから危険だ。ドーパミンとか脳内物質のコントロールがうまく行っていないので、薬や呼吸法でコントロールできると思う。それ以外の何とか療法なんか一切止めた方が良い。休むこと。労わること。自分に優しくすること。王侯貴族のように扱うこと。他人と接しないこと。もうこうなってしまったものは仕方がない。危機管理ができてなかったのだ。子供の頃と何ら変わっていない。危険に晒されていないと落ち着かない。共依存の特徴だ。今後は宗教に従って生きていこう。それ以外考えられない。一人さんもそうしている。幸之助翁もそうしていた。偉人で宗教的でない人はいない。宗教的であって不快に思う人や文句を言う人はいない。それでいて物の価値を高める。商人なら儲かる。政治家ならうまく治まる。芸人ならヒットが出る。山本リンダを見よ。人に憎まれることはない。魂力をつけよう。 私はこれからどうなるのだろう。立ち直れるのだろうか。あのへぼカウンセラーの言いなりになってegなんか出たばっかりに人生めちゃくちゃだ。でも先のことはわからない。困ったことは起こらない。 自分をとことん守ろう。
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