希望の日記

2006年07月22日(土) 梅雨

今日は梅雨の晴れ間だ。生きている以上しないといけないことがたくさんある。部屋の片付け、掃除、人にやってもらえないことがたくさんある。本当は恋愛、結婚、子育てもあるのだが、できないので放棄してしまった。仕事もできていない。人付き合いも一切しない。無力だ。最後にはうつになって趣味も旅行もできない。でも回復できると信じている。すこしずつでも良い。
規律ある生活をしよう。だんだん食事もしなくなっていく。酒量も増える。部屋も散らかり放題。洗わない皿が山積み。読まない本、雑誌が床を占領。スポーツクラブも行かなくなった。意欲が低下してきた。うつの影響だろう。
女のカウンセラーと話したのは結構辛い体験だった。それでもその後女への恐怖心が和らいだのは確かだ。修行と考えてやってみるのもいいのではないか。5千円払って苦しい思いをする。嫌い恐い。これが女に対する感情だ。例の行為が関係していると思う。でももうそろそろ脱感作というかできるんじゃないか。
仕事と女だな。問題は。見た瞬間に恐い。どうしていいかわからない。恐い。嫌い。気持ち悪い。気分が悪い。話すだけで恐い。電話で女が出ただけで嫌だ。凍りつく。自分が守れない。自分を守ることは簡単じゃないか。方法も決まって稲。もちろん護身術というのはある。それは精神面でもあるだろう。カウンセリングや宗教や心理学はそのためにやっている。
ともかく落ち着こう。ずっとパニック状態にある。考えたら死の恐怖に取り付かれてつまり、自分の命が限りあるものと知ってから、ずっとパニックにあると思う。宗教はその安全ネットになる。
芸風変えよう。深刻ぶって小難しい理屈を書き並べるんじゃなく、楽しいことを書こう。ハイヒールの番組を見ていて思った。短い人生楽しく生きよう。せっかく能力あるのに生かさないのはもったいない。宗教的に生きることはやっぱり大事だ。美しく生きることは実利にもかなっている。だろうか。何に価値を置くかによって違うんじゃないか。昔の侍は生きる美意識が強烈だった。名誉を何よりも命よりも重んじた。境界例じゃないかと思う。切腹なんておかしいもの。でも世界中から尊敬され憧れられている。でもなりたいとは思わない。百姓で十分だ。切腹や戦士なんかしたくない。かっこ悪く生き延びたい。華々しく散りたくなんかない。先の大戦でも一人残らずそうだったに決まっている。戦争は誰でも嫌だ。
規律ある生き方をしよう。中学時代からうつと人格障害でおかしくなっていたが、勉強だけはやっていた。今は勉強もしない。規律が失われている。アメリカ人でもむちゃくちゃやっている放埓な野蛮人というイメージがあるが、勤勉な清教徒的性格もある。私は全く生活も人生も規律が失われている。それは何もできないだろう。快楽だけ求めてもだめだ。m氏のサークルに行っても働かされるのは当たり前だ。自律的な人間になろう。他人に道具のように使われるしかない。このままでは。自律的な人間になるきっかけに宗教を利用するのは賢明だ。
規律ある人間になれば自分から自分を守れるし、他人から自分を守ることもできる。今はどちらもできていない。わがまま放題に育った子供のようだ。hが嫌いだというが結局、あいつも私が嫌いだと思う。ストレスを感じていると思う。でも我慢して生きている。生きていることはストレスがある。仏陀も生きるストレスに耐えられなくて何もかも捨てた。家も親も妻子も身分も何もかも。今の私もそうしたい気分だ。でも宗教という支えがあれば何とか生きていけるように思う。
ずいぶん長いこと休んで苦しんだこともあったが、多くのことを学んで成長した。めくらだったのが、少し目が見えるようになった。規律ある生活をすることの大切さ、勤勉節約、つまり勤倹、これが一番大事じゃないのか。放恣は良くないだろう。


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