もうすぐ梅雨明けだ。楽しい。女が嫌いなのは偶然であり、かつ意味がある。それを無理に原因を探ったり、変えたりする必要はない。それで不利益を受けたり、処罰されたりする必要もない。自分を守っても良い。守る必要がある。こんな簡単なことを許さなかったとは愚かだ。うつが治ってきた。薬のお蔭だ。 自分を守るとは簡単なことだ。素晴らしいことだ。 私が付き合ってきたウジムシたちも私に何かを教えてくれたのだ。もちろん付き合わないほうが良かったが、こんな奴もいるということだ。自分を守ることだ。女が嫌いでもいいのだ。自分を守ってもいいのだ。 諸富の本を読んだらいいことが書いてあった。popという心理学のことが書いてあった。全く東洋哲学みたいなものだ。 自分を守るということはいいことだ。女が嫌いなら嫌いでも良い。誰でも嫌いだろう、ババアなんか。トランスパーソナルを読んで人が人を超えてつながっているのだという思いを強くした。あのキチガイババアでも同じ人間なのだという感じがした。自分を守っても良いし、女を嫌っても良い。そんなことは自由だ。宗教も同じことだ。誰でも死に行くものも生まれたばかりのものも同じだという気がする。生まれ変わりも信じたければ信じてもいいと思う。浄土に行くつもりだ。弥陀の本願にすがって浄土に生まれ変わるつもりだ。 女を嫌ってもいいということ。自分を守って良いこと。憐れみの気持ちを持つこと。女を嫌っていることを女に感づかせないこと。トランスパーソナルな考えを持つこと、つまり、人は皆同じで現在過去未来、人類皆つながっている、平等であると考えること、これは一歩進んだ考えで楽になる考えだ。小さい頃はそういう考えを持っていた。しかし数々の付き合ってはいけない人々との出会いにより、私は汚れきってしまった。これは簡単に元に戻る。浄土真宗とトランスパーソナルによって。ホンのちょっとしたきっかけで浮上できる。というより、したまで下がっていく必要はない。いつも機嫌よくしてなというのはそういうことだ。私は機嫌が良かったのだ。 ものすごく良くなってきた。浮上してきた。いつも機嫌よくできる。私は誰にでも好かれる。とても良い性格で誰からも好かれる。あの小説も誰からも好かれるから好評だったのだ。私の良い性格を信じることだ。
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