希望の日記

2006年08月08日(火) 曇り

今日は久し振りに曇りだ。眠れたが疲れている。完全否定というのはいいことだ。受け入れないといけないと思うからどうしようとか思うのだ。受け入れなくていいのだ。完全否定でいいのだ。以上終わり。フェアーであることだ。反俗でいいじゃないか。フェアーであれば完全否定でいいのだ。
完全否定というのは気持ち良い。フェアーだからだ。安全だからだ。フェアーであるというのは気持ちが良いものだ。受け入れないといけないと思うからどうしようとか思うので完全否定と思えば、悩むことは何もない。人の機嫌を取ろうと思うから思い悩むのであって、自分の機嫌を取っていれば何も悩むことはない。自分の姿がスッキリと見えてきた。完全否定という自分の姿が。キチガイや境界例に悩まされることのない健全な姿が見えてきた。
フェアーというのは無敵だ。どんな境界例のキチガイでも大阪のババアでも絶対に大丈夫な方法だ。道徳的に自分がOKなだけではだめで相手がオーケーまたはフェアーでないといけない。人の意思を無視して人に危害を加えたり、人のものを奪ったりするのが何がフェアーなんだ。馬鹿じゃないのか。私は自分だけ得をしようとしているのではない。フェアーでありたいといっているだけだ。
完全否定してしかも自分が正しいと信じられるようになって来た。今日も源氏の教室でキチガイババアがセクハラして来た。私は自分を守った。完全否定でいいだろう。すごく一瞬楽になった。完全否定。フェアーであること。すごく楽になった。何が偉いんだ。お前らなんか。何が偉いんだ。完全否定でいいだろう。
完全否定とは素晴らしい。ババアでも何でも完全否定できる。これは素晴らしい。ババアとはウンコみたいなものだから完全否定とは簡単だ。女なんかウンコみたいなものだ。
完全否定でいいんじゃないのか。というか何だ。ババアって。何の意味もないことは明らかだ。生きていても仕方がないんだ。わかったか。完全否定だ。
完全否定。誰も恐くない。これはすごいことだ。ちょっと前は全てが恐かった。今は何も恐くない。フェアーであること。完全否定。これが大きい。


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