昨日は飲みすぎた。朝4時に目が覚めた。毎日は飲めないのはこのせいだ。フェアーであれば完全否定でもいいじゃないか。人は私をとっくに完全否定している。私は中学の頃から完全否定している。そのお蔭で良い大学に入れた。その頃に戻ろう。完全否定でいいのだ。人の機嫌を取るなというのはそういうことだ。人は人の都合で機嫌が悪いのに、何で私が機嫌を取らないといけないのか。 他人に同調しようとか仲良くしようとか、機嫌を取ろうとかただ自分がぼろぼろになり、傷口を広げるだけなのに、共依存そのものじゃないか。完全否定で行こう。皆さんさようなら。 完全否定こそ浮かび上がる唯一の方法だ。皆さんと仲良くしたり、同調したり、好きになったり、好かれたりと言うことはないです。今までもそうだったけど、これからますますそうです。少し調子が良くなった。パキシルのお蔭か。もっと早くのめばよかった。それとも湯治旅行のお蔭か。波動の弱い人々に触れたお蔭で正常化したか。ふるさとの側を通ったためか。その全てだろう。旅行中はストレスでおかしくなりそうだったが、帰って来てから、今までになく好調だ。 よく遊び、よく休もう。遊ぶのが仕事だ。集中して遊ぶ。これが大事だ。集中して仕事をするのと同じだ。それと完全否定。過去について考えることの完全否定。過去との決別。あのウジムシとの出会いが私を自虐的に反社会的にした。フェアーでありたい。完全否定とはそういうことだ。自虐的になることの完全否定。悩むことの完全否定。悩むことは何の理由もなく自己を傷つけることだ。絶対嫌だ。もう絶対にやめる。自分に欠点があるとかここが悪いとか言っているとウジムシがまた現れる。完全否定しろ。以上終わり。 強く乱れた波動を整え穏やかにする、鎮めるというのが主要な目標だ。egでかき乱された波動。これを穏やかにし、コントロール可能な状態にする。それで生きる力が弱まるかというとそんなことは決してない。むしろ強まる。社会適合性が飛躍的に高まるからだ。こんな状態では助けたくとも誰も助けられない。 遊びに夢中になる。これが大事だ。勉強はいいんだ。もう全てわかったから。 完全否定する。絡まれても絶対に相手にしない。これが大事だ。絡まれていちいち相手にするからおかしくなる。これだ。結局私の問題は。絡まれても一切無視しろ。完全否定しろ。何なら殺せ。そんな奴の存在を正当化する必要はない。フェアーであるとはまず自分に対してフェアーであることだ。極限まで高められた波動を弱くしろ。コントロール可能なまでに。気を整えるのだ。ヨガだ、気功だ。合気道だ。おかしな波動の人間を完全否定することで自分の波動を守ろう。穏やかに保とう。乱れた波動の奴らを受け入れるな。被害を受けるな。完全否定しろ。小さい頃からおかしな波動の奴ばかり、受け入れてきたために自分の波動までおかしくなってしまった。完全否定でいいじゃないか。絡まれても一切無視しろ。フェアーであることだ。どんな理屈をつけても受け入れられるものじゃない。こっちまでおかしくなる。乱れて高まった波動をゆっくり元に戻すのだ。 完全否定でいいんじゃないか。波動を穏やかにしよう。これは当たり前のことだ。コントロール可能にするのだ。人間は鏡のように波動に反応する。こちらが乱れた強い乱暴な波動を出していると見事に同調してくる。女が特に敏感だ。全くこちらに何の意図もなくても勝手に反応してくる。疲れて仕方がない。それが嫌なら完全に気配を消すことだ。完全否定し、波動を穏やかに整え、妨害電波を起こさせないようにすることだ。波動を穏やかにするには良く遊びよく休むこと。田舎に行くこと。人とたわいのない会話をすること。 完全否定することと、波動を穏やかに整えること。これがテーマである。私には受け入れられない。絶対に受け入れられない。穏やかに真面目に生きて行きたい。楽しく穏やかに生きて行きたい。 完全否定しよう。波動を穏やかにしよう。人の弱々しい波動に同調しよう。 フェアーであること、完全否定すること、波動を穏やかに整えること境界例の気持ち悪い奴を受け入れてはいけない。いじめる奴になんでいじめるのか考えても言ってもわからない。理由なんかないのだ。完全否定しかないのだ。どこに受け入れる要素があるのか。 フェアーであることと自分を守ることが肝要だ。命がけで自分を守ろうと思う。波動を穏やかにして、冷静に考えよう。自分の身を守る権利は絶対的にある。大嫌いな関西人から自分を守る権利はある。境界例のキチガイから自分を守る権利はある。これは絶対的なものだ。譲歩する余地はない。フェアーであること。本当に自分を守ろうと思った。フェアーであれば自分を守れると思った。絶対に守れる。今まで自分を守ろうと思ったことはない。そういうことではだめだ。最初に職を失ったときに自分を守ろうと思わなくなった。自暴自棄になった。これからは全力で自分を守る。どんなことがあっても自分を見捨てたりはしない。投げやりになったりしない。 人の機嫌を取ったり、皆のためにどうとか訳のわからないことを言っている暇があったら自分を全力で守るのだ。フェアーであれば自分を守るためにどんなことをしても許される。完全否定でいいじゃないか。本当に嫌いなんだ。関西人が。向こうも当然そうだ。吐き気がする。関西人。何の親しみも感じない。最近は東京人も嫌だ。日本人が嫌だ。九州人が良いかというとそれはそれでややこしい。境界例が多いし。こんなスラムみたいなとこ嫌だ。波動の弱い人間と凶暴な境界例が混在している。世界一汚らわしい町だ。 フェアーであること、フェアーであることは本当に自分を守る。自分の道徳ではなく相手の道徳になる。完全否定。これは素晴らしい。フェアーである。 フェアーであることと、波動を穏やかに整えることは同じだ。キチガイに挑発されて中学の頃私は波動を大きく乱した。小さい頃から乱れていたに違いない。でも穏やかに整えることは可能だ。それがフェアーというキーワードだ。波動をあわせること自体は、観察すればわかる。フェアーであるという気持ちで女や子供を見ていると波動が弱いのがわかる。若者もそう強くはない。一部の女とおばはんが乱れているのだ。大阪のおばはんなんか皆嫌いだし恐いに決まっている。あれは波動が乱れきっている。人間ではない。 波動を整える。穏やかにする。これがポイントだ。呼吸法、薬、ヨガ、座禅、合気道、何でも良い。有酸素運動。フェアーであれば元気でもいいのだ。波動を穏やかに整えることができれば、パワーが強くてもいいのだ。
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