希望の日記

2006年09月06日(水) 紀子

紀子が男の子を出産した。ところで昨日の良い気分は長続きしなかった。逃げることだ。母親が私のストーカーと化してから私の人生はめちゃくちゃだ。田舎で過ごす手もあったのに逃れたい一心で大阪に出てきた。この15年はなんだったのだろう。感謝と愛だ。恐ければ逃げれば良い。何でババアがこんなにも恐いのか。ババアがストーカーと化したからだ。自分らしさを取り戻したい。母親もさすがに私に執着するのはやめたようだ。いくらなんでもきちがいじみている。優しいものであれという老子の教えが尊い。
オニババやストーカーや犯罪者と付き合いたいとは思わないだろう。どうすればよいか。何もしないことだ。無為だ。無為の為だ。何の理由もなく危害を加えてくる奴とどうしたら良いかなど考えるだけ無駄だ。距離を置くこと、冷却期間を置くことだ。最低50年は必要だ。
異常に興奮して襲い掛かってくる奴とどうしたらうまく行くかなど考える必要はない。相手にしないことだ。慎重に扱うことだ。ゆっくり行動することだ。
優しいこと。愛。これが大事だ。
会社に行きたいと思うようになった。女恐怖症は自分だけのことだ。あいつらは関係ない。職場を変えてもらっても良い。このままではいけない。焦ることはないが職場復帰に意欲が出てきた。
人を尊重しあうというのは良いことだ。当たり前のことだ。昨日そう思った。人を尊重するというのは当たり前のことだ。
人を尊重するのは楽しいことじゃないか。愛じゃないか。愛とは楽しいことだ。「あおぞら」という小説を読んだ。感動した。愛は人を癒すのだ。愛によってしか救われない。人は支えられていると著者は言う。実感としてはまだわからない。一人で生きているような気がする。でもきっと私も多くの人に支えられている。感謝、愛、互いに尊重しあうこと。
支えられている。私も人に支えられている。互いに尊重しあうことは素晴らしい。
しんどい。眠れなかった日の翌日が辛い。気分が重くなる。人を尊重すればきっと良くなる。何とかしようと思うんじゃなくて何もしないことだ。自然に任せれば自然に良くなる。
人を尊重するとはいいことだ。好きにならなくても尊重はできるだろう。尊重とはいいことだ。尊重することは気持ちいいことだ。それが当たり前だと気付いた。世間はそうなっている。
優しいものであれ。これは大きいことだ。私が強く乱暴なものである必要があるだろうか。全くない。優しく穏やかであることで全ての望みをかなえることができる。お互いに尊重する社会が望ましい。というよりそれが当たり前だ。人を尊重することは気持ち良い。本当に気持ちいいものだ。タオを読んでいると自然にわかってくる。
自分は自分らしくていいのだ。優しいものであっていいのだ。何が対象であれ、優しくていいのだ。優しくなければ何もできない。優しさと愛だけが何かができる力なのだ。乱暴とか力は何もできないのだ。キチガイババア一人コントロールできないのだ。人を尊重することは気持ちが良い。自分を尊重することは気持ちが良い。


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