目が覚めた。いつものことだ。でも頭が少し痛いので不快だ。しばらく酒は飲まないほうがいい。神様に助けを求めたくなる。神を信じている。こうして頑張っている私をきっと見ていてくれる。仏も信じている。ありとあらゆる超越的存在に救いを求めたい。親兄弟や世間の普通の人々を尊敬する。ちゃんと働いて子供を育てるのは大変なことだ。本当に尊敬する。 目が覚めた。調子悪い。長くは眠れなかった。神はいる。辛いとき、困ったとき、一所懸命のとき、神の偉大な愛と力を感じる。昨日の夜はそれで眠れた。今朝は訪れない。もう自分の力でやりなさいということか。 自分を許す。もうこうなってしまったのだから、良かろうが悪かろうが自分を許す。こつこつ一歩一歩、回復を図ろう。私は悪いことはしていない。つもりだ。ゆっくり、自分を労わって、焦らず頑張ろう。 人に優しくしよう。自分にはもっと優しくしよう。神はいる。辛いとき、困ったとき、一所懸命なとき、神の偉大な愛と力は私の中で働く。 今日はこれからは自分に優しくしよう。これまでになく弱っている。どこが悪いとかそういうのも止めよう。 ゆっくり過ごそう。何を見ても劣等感になるので自分を責めないで自分に優しく過ごそう。 ゆっくり過ごそう。これだけ苦しいんだから何かが間違っているんだろう。でも今は考えるのは止そう。弱いのは悪くない。老子の教えだ。弱く優しいことは悪くない。 誰か私に優しくしてほしい。切実にそう思う。カウンセリングなんかに通うのはそれだ。でもお金だけ取られて理屈っぽいことを言われるのは納得がいかない。今は考えまい。 優しくしよう。自分と人に。人の機嫌をとってもいいんじゃないのか。ただし責任を取らないといけない。兄との関係はうまく行かなかった。人の機嫌を取るなといわれているので取らなかったら明らかに機嫌が悪かった。 今日は苦しいのでカウンセリングに行くことにした。苦しいから行くというのはどうかと思うし、結果も余り期待できない。でも耐えられない気分だ。一人でいることに。やさしいことは悪くない。いいことだ。人を尊重することはいいことだ。人の機嫌を取るのではなく、人を尊重するのであればいいのじゃないか。今日一晩寝て明日は元気になっていれば良い。 カウンセリングに行ってきた。行ってよかった。やっぱり共感が必要だ。大阪のカウンセラーは全く共感しない。理屈ばかり言って偉そうに言う。堺のカウンセラーが良いや。田舎っぽくて良い。難しいことなんかいらない。気の利いた小難しいことなんか聞きたくない。こちらの話を良く聞いてくれたらいいのだ。 優しいことが価値がある。愛。自足すること。人を尊重すること。優しさを失うならばどんな業績を上げてもだめだろう。悪事に身を染めたとしたら身の破滅だろう。こんな簡単なことがわからなくなるなんて。 やさしいことは恥ずかしいことだと思っていた。そんなことはない。これが一番なのだ。ほかの事は二の次三の次だ。仕事をするのは何のためだ。妻や子を養うためだ。普通は。私はそういう優しさが欠けている。優しさが多すぎてずるさが足りないのではない。いつの間にかそういうことになっている。本末転倒だ。最初が優しさだ。愛だ。尊重だ。どうしてそんな簡単なことを忘れてしまうのか。そういうことだから人に優しさを乞うことになってしまうのだ。
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