関ヶ原に行ってきた。良い旅だった。快晴でアップダウンのある中を楽しく歩いた。ウォーキングはスポーツだ。ドーパミンはスポーツによって消費されて減るのだろうか。そうであればいいが。そして太陽を浴びてセロトニンは増える。間違いなく良い効果がある。今朝はなぜか少し不機嫌だった。良く眠れたのだが。今日は6割くらい楽しかった。旅としては100%の成功だ。トラブルゼロだった。帰りに人が嫌いだなと思った。私を理由もなく傷つけてくるから。女ばかりでなく男も嫌いだ。油断すると偉い目に遭う。親兄弟でも例外ではない。姉はいまだに私にモラハラ的な態度を取る。明るく優しく人に接するという根気がなくなってくる。根本的な信頼感がなくなる。中学の頃変ないたずらの手紙を送りつけられたことがある。くそ女の仕業だ。私は一度そんなことをしたことがある。人に優しくする気がなくなる。そんなに機嫌の良い人間は世の中にいないと気付いた。平気で人を傷つける奴ばかりだ。絶対に人を傷つけないと思っていたら人に傷つけられるだけじゃないのか。護身術が必要だ。信頼だけではだめだ。不信感の絆というおっさんがいたがそうかもしれない。人は傷つけるものだと思っている。アメリカ人は少なくともそう思っている。このごろになって日本人とアメリカ人の違いが判るようになって来た。付き合いは真っ平だと思う。日本人も嫌いだが仕方がない。出て行くわけにも行かない。 ああ人間が嫌いだと思った。人を傷つけて利益を得る。よろこぶ。そんな奴ばっかりだ。好かれなくてもいいじゃないかと思った。中学のとき理由もなく女にからかわれたりいじめられたりした。そいつは高校になってからも私をからかってきた。まったくわからない。人は理由もなく私を嫌い攻撃してくる。少なくとも10人に一人はそうしてくる。ワキガが理由かもしれない。顔が気に入らないのかもしれない。でも暴力を振るう理由にはならない。境界例とか統合失調症みたいな奴ばかりだ。そのときなぜ女を恐がらないといけないのだろうと思った。全く恐くなくなった。何か悪いことをしてくるならいじめてやればいいのじゃないのか。男をなめるなということだ。何で仲良くしないといけないんだ。何で好かれないといけないのだ。ばかかお前らは。何暴力振るっているんだ。バランスの問題だ。どうしても女が好きになれない。それで刺激を求めて変態行為に耽っているうちに本当に興味がなくなった。それも成り行きだから仕方がない。幼女に向かうのか。そんなことはない。100人に一人くらいは好きになることもある。10人に一人くらいは欲情することもある。長続きしないが。へんなビデオばかり見ていたら本当に嫌いになった。本当に嫌な奴らに見えてきた。そうじゃないのかもしれないが、脳がそういう風にしか反応しなくなった。現実の女はそれに反応して私に意地悪をしてくるのだ。女でなくても男も変な奴はそうしてくる。この間のカウンセリングの先生みたいに。あいつは頭おかしい。それがわかっていて近づくのか。フッキーと同じことにならないか。ドーパミンが過剰になってくると危険がわからなくなってくる。危険なものに吸い寄せられるようになる。フッキーみたいな飛び切り危険な低脳のキチガイに近づいてしまう。どんどん程度が低くなる。下流に近づいていく。それで良い人でいられるだろうか。見ただけで喧嘩を売ってくるやつも中にはいる。ワキガというだけで暴力を振るう奴もいる。何もしないのに襲い掛かってくる奴もいるのだ。あのくそババアみたいに。働き者とは統合失調症かうつ病のことだ。b校の奴らなんか何もしていないのに襲い掛かってきやがった。頭おかしい。それは治るということがなかった。どうにか工夫すれば収まるということはなかった。完全におかしい。仲良くなんかできるか。カウンセリング講座も結局同じじゃないのか。朝カルのババアと仲良くできたか。そもそも仲良くしたいか。高校球児や韓国人や首相にまで欲情する奴らなのに。私の手に負えるわけがない。それが自虐的だというのだ。人間は理由もなく人を攻撃する生き物だ。少なくとも私にはそう見える。理由もなく人に襲い掛かってくる。すごく恐ろしい。すごく人間が嫌いだと今日初めて思った。傷つけられたから、そんなはずはないと思って何度でも近づく。何度でも傷つけてくる。絶対に止めることはない。人間はそういう生き物だ。カウンセラーなんて頭おかしいじゃないか。病んだいるかみたいな奴らじゃないか。何で私が付き合わないといけないのか。何で私がそれにならないといけないのか。どこまでお人よしなのか。きっと傷つけてくる。何度でも。思い違いなんかじゃない。暴力で禁止することもできない。姉は今でも私を隙あらば傷つけようとしている。全く信用していない。私が信頼を築こうとしても決して心を許さない。女は家庭の中で居場所がないのだ。だから自分で家庭を築く。子供を生んで初めて居場所が見つかるのだ。何で面倒見なくて良いやつの面倒を見ようとするのか。何で繰り返し、自分を傷つけるとわかっているやつらに近づくのか。私は姉を理解できない。母親も理解できない。人間が理解できない。私は壊れているのだ。ずっと壊れたままで生きていくのだ。太陽が本当に脳がいいのか。うつにはいいかもしれないが、統合失調症には良くないんじゃないか。太陽を見る統合失調症のまぶしそうな目。私は関ヶ原の駅に帰ってきたとき不機嫌になっていた。キオスクのババアが喧嘩を売ってきた。喧嘩を売られても絶対に買わない。絶対に絡まれない。何もしていないのに喧嘩を売ってくるやつが確かにいる。それも少なからずいる。ババアに多い。若い女にもいる。おっさんでも若造でも同じだ。フッキーはその代表だ。あの低脳は意味もなく人を傷つける。自分でもコントロールできないのだ。あの職場は統合失調症、人格障害、知的障害の巣じゃないか。私は意味もなく喧嘩を売られる。最初あの低脳児と付き合ったのは学校帰りに喧嘩を売られたことがきっかけだ。二番目の変態と付き合ったのはやはり意味もなく喧嘩を売られたことがきっかけだ。三番目のキチガイ低脳は上履き入れを持ってきたのを見たからだ。訳もなく面白いと思ってしまった。それが運のつきだった。四番目は寂しさから変な奴をからかってやろうと近づいたら絡んできた。それ以来人と付き合わなくなった。そしたら教師の低脳に絡まれるようになった。父親も正直何を考えているのかわからなかった。ちょっと境界例ぽかった。遺伝だろうと思う。中学くらいから私は泳げない人間がおぼれるように人生に苦しみ始めた。苦しみは減るどころか増す一方だ。今がピークだ。地獄の苦しみだ。女は低脳児と同じに見える。ばかで平気で人を傷つけてくるからだ。繰り返し、際限もなく。力やルールで縛ろうとしてもだめだ。何であんなものを恐がらないといけないのか全くわからない。人を恐がる必要なんかないのだ。何で恐がらないといけないのか。今日ウォーキングの帰りの電車でそう思った。低脳の面倒なんか見なくていいんだ。いたずらの手紙を送りつけてまで人を傷つけようとする低脳なんか相手にすることはないのだ。そうはっきりと思った。世の中にはまともな人間と低脳の二種類がいる。低脳は理由もなく喧嘩を売ってくる。b校の奴らみたいに、フッキーみたいに。何でそんなものを恐がる必要があるのか。何でおばはんや女を恐がる必要があるのか。今日そう思った。事実全く恐くなかった。何も悪いことをしていないのに攻撃されても全く恐くない。北朝鮮みたいに悪いことをしていれば攻撃されるのではないかと怯えるだろう。人は皆人が恐いのだ。 恐がる必要はない。人の機嫌を取るのはやっぱり良くないのだ。人の機嫌を取るために嫌なことを我慢したりするのは精神衛生上一番良くない。低脳を恐がったり、機嫌を取ったりしてはいけない。いけないわけではないがその必要はない。そうすると不利になる。あの執行役員も頭おかしい低脳だ。私に絡んできた。何もしていないのに絡んでくる奴は低脳としか思えない。攻撃性を抑制できないのだ。 ああ嫌だ。ほとほと嫌になった。世の中が人間が。人を邪魔者扱いしやがって。こっちだって大嫌いなんだ。 低脳やボーダーはもううんざりだ。恐がる必要もないし、憐れむ必要はないのだ。憐れみは誰も嫌だろう。憐れみを通じて支配するのか。理解できない。わからなくなった。愛と感謝と優しさだ。でも低脳やボーダーはうんざりだ。世の中がもううんざりだ。
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