今日は土曜だ。昨日hから電話があったのだが、いつものように不機嫌そうな声と態度で気分が悪くなった。金はz氏に持ってきてもらうことにしようか。ある意味耐えられない。どっちが悪いということじゃなくて関係が成り立たない。カウンセラーと同じ問題だ。恐怖にとらわれて機嫌を取ろうとする。それは良くない結果をもたらした。でも生きるためには仕方がない。果たしてそうだろうか。仕方なく不良とつきあうのか。売春婦が仕方なくヤクザと付き合うように。そんな必要はない。恐怖に支配されているのだ。あの声を聞くだけで悪化するのだ。どうして我慢しないといけないのか。会社のことを忘れられれば回復したも同然だ。恐怖に支配され振り回されてはいけない。今はデリケートな時期だ。細心の注意を払いたい。今ほど休みが貴重なときはない。人が恐いのだ。男であれ、女であれ。ただ女は少し恐くなくなった。誰も恐くはない。あのカウンセラーと話していると脅されてしゃべっているような気になる。あの人に自分のことをしゃべるのはすごく抵抗がある。いちいち反応するのもうざい。聞き直されたりすると切れそうになる。しゃべりたくないから小さい声になるのにそれを咎められているような気になる。低姿勢なようで傲慢な服従的なようで支配的な温厚なようで攻撃的な、優しいようで残酷な、それは全ての人間に共通しているのかもしれない。だったら会わない方がましだ。もう会いたくない。会う気力をなくした。hも声を聞くだけで嫌だ。私は疲れ傷ついているのに、それに腹を立て攻撃してくる。訳がわからない。思えば社会人になったとき体を壊したときはこんな状態だった。女が嫌いで人が恐くて傷つけたくて仕方がなかった。反社会的人格障害のようだった。今抗うつ剤の影響でそういう面が出てきている。hのヤクザ性にも刺激を受けて。カウンセラーとも衝突するのだから良くないのだ。デリケートな時期だから細心の注意が必要なのだ。無理をすべきではないのだ。全力で自分を守らないといけない。絶対に危険に曝してはいけない。 抗うつ剤を飲んで境界例の連中に戦いを挑むことは危険極まりないことだ。勝ち負けなんかどうでも良い。勝ち組とか負け組みとか正気とは思えないたわごとを信じる連中と戦いたくなどない。今本当に休みが必要だと思う。あのhの声さえ聞きたくない。あの境界例トリオ。どうして私が付き合わないといけないのか。今心静かに穏やかに慎重に思慮深くありたい。都会の弱肉強食のサバイバル狂想曲から静かに身を引きたい。人間らしくありたい。切腹などしたくない。恐くないといいうるためには慎重に危険から遠ざからなければならない。境界例患者に抗うつ剤を飲んで戦いを挑むなど命知らずにもほどがある。今私がすべきことは森の中の静寂に身を隠し、休むことだ。傷を癒すことだ。人間から離れることだ。商いや戦いや活動から身を引くことだ。恐がる必要はない。でも恐くないといいうるためには万全の手を尽くさないといけない。慎重でなければならない。この世を変えて安全なものにすることは誰にもできない。思慮深く、用心深く、慎重である以外に恐怖から自由になる方法はない。田舎に引き込むのも一つの方法だ。ここは十分田舎で私は大阪や東京のような大都会で戦うことを免除されている。もう既に余生だ。今私は満身創痍だ。たたく気力も体力も残っていない。それで恐くないといいうるためには、危険から遠ざかり、じっくり休み、体力を養わねばならない。カウンセリングさえ危険である。恐怖である。傷つくからだ。掲示板を読むだけで傷つくこともある。人を傷つけずには生きられない境界例の人々の巣食う空間もあるからだ。十分危険から遠ざからねばならない。勇猛果敢もほどほどにしないといけない。 悪に走るのは恐怖からだ。アメリカの強大な軍事力は恐怖の集積だ。私は人と交わらなくなった。中学生の頃だ。恐くなった。傷つけられることが恐くなった。その代わりに反社会的になり、悪をなし、思うようになった。社会を憎むことはそれだけで既に反社会的である。社会から遠ざかり、社会を呪うことは十分反社会的である。精神病を患うほどに。今でも大人のまともな付き合いはない。人間が恐い。隣人は何度引っ越したかわからない。社会性ゼロ。傷つけることが恐いし、傷つけられることが恐い。恐くないといいうるためには、十分慎重でなければならないし、社会的でなければならない。社会の義務を果たし、社会に貢献できなくてはいけない。逆に迷惑をかけるようではいけない。カウンセリングさえ受けられない。最初あのカウンセラーは私を警戒した。傷つけるような気がしたのだろう。恐いから強くなるというのは正しいようで正しくない。野蛮で凶悪な人間になる。ますます人間らしくなくなる。恐いならば理性的に手を打ち、周囲と仲良くし、十分自分の安全に配慮しないといけない。付き合いを断ち切っても安全にはならないし、恐怖は減らない。恐怖は誰にでもある。恐怖で人をコントロールできるとは妄想である。愛と優しさと感謝だけが人を動かし、変えていける。カウンセラーが恐いのは傷つけられる恐怖をかじるからだ。これでは安全な状態でカウンセリングはできない。z氏がこれほど間を空けたのは思慮深いことだ。思慮深く臆病で優しくあろう。休もう。善良であろう。生を楽しもう。人間は弱い。誰も弱く恐がりだ。傷つけてはいけない。愛し、優しくしなければならない。 人の機嫌を取るから具合が悪くなるというのはすごく説得力があった。最初の悪との出会いはご機嫌取りだった。ご機嫌を取るとずっと機嫌を取らないといけなくなる。自分の機嫌を取ろう。そうすれば人に優しく接することができる。人を愛することができる。自分の機嫌は自分で取ろう。 人の機嫌を取る必要はないが自分の機嫌は取りましょう。幸せとかありがとうとかついてるとか言って魂力を上げましょう。そうすれば人を罵ったり、差別したり、傷つけたりすることはなくなる。女は弱い。憐れだ。そうすれば自然に思いやりやいたわりの気持ちが湧いてくるだろう。 人間らしくなろう。これは一番の近道だ。人の機嫌を取ろうとする限り、苦しみは果てしなく続く。自分の機嫌を取るようにすれば楽になる。 絡まれるのは悪いことを考えているからだ。悪いことを考えないようにしよう。人を差別したり嫌ったり、悪いことを考えていると顔に出る。それで絡まれる。私は役員に絡まれたことがある。よっしゃんとか変な奴にも絡まれた。幸せ言葉をいつも口にし、幸せな気分でいよう。悪は必要だろうか。悪であることは必要だろうか。必要ない。悪人であることは必要ない。 十分注意すれば恐いことは何もない。恐がる必要はないのだ。なぜ人の機嫌を取ってしまうか。恐怖から。愛されたいから。でも子供じゃないのだからそう愛される必要だろうか。 恐れる必要はないが、十分注意せねばならない。努力しないといけないし、一所懸命働かないといけない。悪人であってもメリットはない。善人であろう。幸せ、嬉しい楽しい、ありがとう、感謝します、許します。 あんなババアは十分注意しないといけないのだ。注意しないで恐くないというのはおかしい。無謀なだけだ。抗うつ剤で無謀さを増強しても危険が増大するだけだ。今回は危険が実現したわけだ。良い人間であることは最善の自己防衛だ。人の機嫌を取ることではなく、自分の魂力を上げるのだ。 無謀になった。抗うつ剤の影響で。egに行ったのも無謀だった。良く絡まれるようになった。この間母親に絡まれた。もうおしまいだ。z氏にも見放された。ゆっくり休もう。z氏に恨みをもったこともあった。とんでもないことだ。私は良く逆恨みをする。egを勧めたのは彼が悪いと。そうではない。私の素質と抗うつ剤の作用だ。あの人は悪くない。良かれと思ってやったことだ。今は恨んでいない。善人であることは良いことだ。でも悪人であること、あったことはまた悪くない。親鸞の教えだ。悪人正機説だ。弥陀の本願は我ら悪人のためにこそあるのだ。織田信長だって悪人だ。狂人に近い。憧れたり、まねしたりするのは無謀というものだ。小泉氏はそれをやってのけたが。善人であっても何も悪くないんじゃないのか。私は今悪人ではないと思う。悪いことは考えないし、しようとも思わない。悪いことをされても仕返ししようとも思わない。アングロサクソンとは違う。一向門徒だ。 今朝恐怖について考えたことが私の心を落ち着かせた。恐がる必要はないが、用心深く、慎重に行動することが大事だ。それさえ守れば必ず安全は確保される。悪はメリットがない。善こそ生き残るメリットがある。悪は強くなるだろうか。確かにそういう面はあるかもしれない。悪いことは強いことだ。でももう十分だろう。悪いことはもうする必要はない。考える必要もない。 hが来た。そんなに感じ悪くなかった。なぜだろう。用心していれば恐がることはないのだ。それにあいつは私がしんどいということを今日始めて実感したようだ。しんどそうに見えるといわれた。大体大人の人間同士はそういうものだろう。今日は酒飲み二日目だし。私は職場を変わったほうがいいと思う。ストレスの原因はあいつである可能性がある。十分注意することだ。十分注意すれば怖いことはない。十分注意しないと危険なこともある。十分注意すれば怖いことはない。悪い人間はいないのだ。hは私があいつを恐がっていることを知っているのだろうか。本当に薄気味悪い。でも十分注意していれば恐くはないだろう。用心深く行こう。私が女性的で恐がりであっても一向に構わない。不注意で無謀であることの方が恐い。自分の安全をよく考えて十分慎重であれば、恐いことはない。恐がりすぎは良くない。何もできなくなる。恐怖の余り、冷静な判断を失ってしまう。恐怖にコントロールされて愚かなことをしてしまう。攻撃的になってしまう。自分に不利な馬鹿なことをしてしまう。上司に逆らうとか、飛ばされるようなことをしてしまう。全て恐怖心の災いだ。恐怖心を上手にコントロールできることがポイントだとわかってきた。 なんばに行ってきた。好日だった。御堂筋を歩いた。一人で御堂筋を歩くおじさんはどう見えるだろう。透明人間になった気がした。不安だ。孤独だ。それを直視することは困難なので、幻想と狂気に逃げ込む。恐怖は消えることなく増大する。恐怖や不安の原因を取り除くよう努力したらどうだろうか。目をそらしても原因がある限り限りなく増大していく。アングロサクソンは恐がりだ。hやkも恐がりだ。でもそのために必死で働く。普通そうだろう。私も中高生の頃は必死で働いた。でも代償に精神が崩壊した。人が恐くて付き合えなくなった。社会性が全く育たなかった。反社会的になった。本当に努力しているだろうか。本当に十分注意しているだろうか。全く努力してなく、全く注意していない。無謀であり、無防備すぎる。だからひどい目に遭う。人の心を傷つけても何とも思わないようになった。恐怖心があることは健全なことだ。でも放置すればどんどん増大する。フッキーは人間の体をなしていない。そんなものがこの世にいるとは思わなかった。本当に不注意だった。人の機嫌を基準におく限り、こういうことは何度でも起きる。自分の機嫌を取ろう。人の機嫌を取ろうとするやつは命までとられる危険がある。大げさではない。数多くの天才作家が自殺している。狼も傷ついたときは森に篭って傷を癒すという。私もそうする以外にない。十分注意しているだろうか。無を自分に強いていないだろうか。自分を危険に曝していないだろうか。この際考え方を180度転換すべきだ。自分の機嫌を取ってやるべきだ。自分を傷ついた孤児のように放っておくのは罪悪だ。必死で自分の機嫌を取ってあげよう。 恐怖を取るために必死で働くとか、必要な配慮をするとか、ヤクザや上司に喧嘩を売らないとか。配慮が必要だ。優しさとか配慮とか。そういうことが重要なんじゃないか。十分注意すれば恐がることはない。でも私は恐怖が強すぎて混乱し、必要な配慮ができているとは言いがたい。全ての人に好かれることによって、問題を解決できるだろうか。全く間違っている。間違ったことをごり押しする悪い癖がある。抗うつ剤の副作用もある。人生の楽園を見ると本当に羨ましい。羨ましさとは魅力なんだろう。実際以上の魅力があるのか。実際はもっと魅力があるのか。配慮を失っている。人間らしさを失っている。父親は優しかった。優しいことはいいことだ。どうしてこんなに悪くなったのか。その報いを受けたのだ。自業自得だ。でも自分をこれ以上責めるのは止めよう。自分の機嫌を取ろう。父親はそんなことを望まないだろう。私が元気を出して再び生きることを望んでいるだろう。配慮、優しさ、愛情が足りない。父親に残酷だったように周りの人間に配慮が足りない。電車の中でも配慮が足りない。でも自分ではどうにもならない。配慮と優しさが必要だ。人間らしさが必要だ。それは必ずできる。人間である以上必ずできる。人に優しくすること、一所懸命に働くこと。甘えないこと。自立すること。必ずできる。 真面目で働き者になろう。私の父のように。どうしてこんなになってしまったのかわからない。今は疲れすぎているから止めよう。自分の機嫌を取ろう。幸せ、ありがとう、ツイテル。感謝します。許します。そしてごめんね。これだけで十分じゃないか。
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