柳生街道に言ってきた。朝起きたとき、まだ万全ではなかった。風邪っぽい疲労感が残っていたが、空は快晴だし、もったいないと思って出かけた。パキシルのお蔭だ。奈良へは11時過ぎくらいに着いたが、バスを乗り間違えて春日大社で降りてしまった。でも地図を見ながらようやく入り口までたどり着いた。まんざらぼけてはいない。それから素晴らしい道を歩いた。森のトンネル。森林浴し放題。素晴らしかった。下は石畳で相当なものだ。これ以上素晴らしい道は関西、いや全国でも他にはないだろう。峠の茶屋で弁当をあけようとしたら忘れてきたことに気付いた。やっぱりぼけている。ところが茶屋ではうどんも出していたので月見うどんを注文した。時間がかかった上にまずかった。冷凍の讃岐うどんのようだった。山奥だから仕方がない。猫が近寄ってきてすごい目でにらむので食い終わってからかまぼこを一切れ分けてやった、私はすばやくその場を立ち去ろうとすると猫がもっとないのかといわんばかりににらみつけてきた。すごく恐かった。やっぱり安易に人に施しをするものではない。自分の身まで危うくなるのだ。アメリカの国立公園に行ったとき、リスに襲われそうになったことを思い出した。私は優しいので怒れないのが欠点だ。これからは怒るようにしよう。私のほうは怒られてばかりなのに何で私は怒れないのだろうか。金を払うとき、おじさんが猫がかまぼこを食っているのを見て怒り狂って猫を追い払っていた。やっぱりやるべきじゃなかったのだ。犬にもほえられて恐かった。ちょっとした波紋だ。やっぱり権利が侵害されたら怒れるようになりたいものだ。法学部に行ったのもそのためでそれは良かったとおもっている。怒らなくてもいいことまで怒っているが。それで困ったことはないのだなあと思った。確かに私は猫を怒れなかった。だが、それで何か困っただろうか。猫はかまぼこにありついた。私は腹いっぱいだったので困らない。おじさんは猫を怒って教育した。猫はおとなしく散っていった。誰も困らない。私はこうやって休んでいるが何か困っているだろうか。金は毎月振り込まれ、食うには困らない。薬は飲みきれないだけ安く手にはいる。寝たいだけ寝ていられる。会社は私が重要な仕事をしていたわけではないので全く困らない。第一、一銭も私に払ってはいない。結局誰も困らないようにできている。私は病気で会社を辞めたが困っただろうか。次の会社を首になったが、食うに困っただろうか。金に困っただろうか。今も昔も金に困ったことなどない。困ったことがないというのはいいことだなあと思った。子供も困ったことなどない。女も困ったことなどない。男も困ったことなどない。北朝鮮が核実験をしたからといって誰も困らない。これからも決して困らない。誰も困りたいなどと思わないからだ。北朝鮮の指導者だって何も困っていない。困っていたら今すぐ亡命する。生きているのが楽しくて仕方がないから、やっていられるのだ。何も困ってなどいない。仕事というのは困ったことには違いない。何も困ったことなどない世の中を困ったことを作り出して、物を売りつけようとするのだから。だから困っていない人しかできない。一応私はこまっている人ということになっているから、仕事をしちゃいけないことになっている。でも本当は何も困っちゃいない。飛行機を操縦する奴が精神病や障害者など困った人だったら本当に困る。困った人は仕事をしちゃいけない。おばはんが嫌いだからといって何か困ったことがあるだろうか。全く困らない。嫌われて当たり前の生き物じゃないか。私は何も困らない。本当に困ったときは困っているんじゃなくてそのときこそ学んでいるんだ。今こそ私は学んでいる。でも困ってはいない。学んでいることを困っているとは誰も思わないだろう。 女は馬鹿で弱くて醜い。社会から排除されるのは当然だろう。馬鹿で弱くて醜い。何で相手にしないといけないのかわからない。 帰りの電車で若い女が何か放しているのを聞いていたら、kattunの誰かが休業するとか言う話らしい。聞いている方の女の応答振りがまた馬鹿っぽかった。もちろん話題自体が最高に馬鹿っぽいのだが。女は惚れ惚れするほど馬鹿なんだなと思った。小さい頃は馬鹿で可愛い。でもずっと20代になっても馬鹿のままだ。でおばさんになってもやっぱり惚れ惚れするほど馬鹿だ。要するに一生馬鹿だ。馬鹿で醜くて弱い。これは明らかなことだ。めでたいことだ。 女は馬鹿で弱くて醜いのにもかかわらず、男は欲情し、高い金を払う。私は笑わない。当然そうだと思う。しかしそれから自由であることもありだと思う。馬鹿で醜くて弱いものに金を払わない自由もありだと。
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