いつもの月曜の朝だ。会社に行かなくていいのは本当に幸せで、嬉しく楽しく、感謝したい。ありがとう。今日は映画でも見に行こうかな。女でも誰でもガードを下げて力を抜けば抜くほどうまく行くのだと思った。力を入れて興奮し、怒れば怒るほど全くうまく行かない。 仲良くしようとするからいけない。仲良くなんかできるわけないだろう。人格障害の宅間みたいなやつが包丁持って襲い掛かってきているのに我慢なんかできないだろう。あの洗脳マニアのカウンセラーもほとほとうんざりだ。自己犠牲はうんざりだ。 対人関係の注意事項は優しさ、慈悲である。引くべきところを押している。自分ができうる限り優しくあること。相手の立場まで降りていくこと。腹が立つときこそ哀れみが必要だ。人は人が恐いのだ。 こうやって動けるようになったのは喜ばしい。3,4月はむしろ躁状態で良い状態とはいえなかったのだ。危険に満ちた状態だ。今は落ち着いて危険を見分けられるし、危ういところはない。 カポーティーをみてきた。面白かった。もっと気持ち悪いかと思ったが、大丈夫だった。カポーティーは同性愛なのだろうか。気持ち悪い人物に描かれていた。やっぱり人に情けをかけるのは大概にした方がよい。絞首刑まで見せられる羽目になる。作家と言うのは業の深い商売だ。でもだいぶ大丈夫になった。外に出られるようになった。見られても平気になった。義人であるためには哀れみがどうしても必要だ。義人であればその辺が自然にできる。本当に憐れだと思う。この気持ちは大事だ。抑圧も排除もする必要はない。女々しいと思われても平気だ。女性的に生まれてよかったと思う。私は悔い改めて許された。新しい人生を生きるのだ。 抗うつ剤の効果はすごい。でも有頂天にならないのは脳全体がダメージを受けているのか。それでも一向に困らない。世間は私の100倍くらい馬鹿な奴ばかりだ。気にすることはない。困ったことは起こらない。哀れみというのは本当に大事だ。これがあれば何も困らない。 一人さんのcdを聞いていたら涙が出てきた。神様が認めてくれているんだから回りが何と言おうと気にしなくて良い。そう言ってくれる人が地上にいると言うだけで嬉しくなる。ありがとうと手を合わせたくなる。劣等感がひとを苦しめる。ものすごく思い当たる。自分が何かの劣等感を持っているから人を攻撃する。自分を攻撃する。人に嫌われる。穴ババアも劣等感の塊だ。それに怒っても仕方がない。私が劣等感の塊なのをコピーしているのだ。それを私に100倍にして返しているのだ。劣等感。学歴とか色々ある。母親との問題。父親との問題。母親は父親が出世できない理由を学歴に求め、子供に当たってくる。私は高望みしてここまでやってきたが無理なんだ。無理がたたってこんな病気になってしまったのだ。でも私は回復する。きっと立ち直れる。 斉藤さんの講演を全部パソコンで聞いた。すごすぎる。私が一年かかって考えたことが全部語られている。最後の話が特にすごい。死は恐ろしくない。優しい神なんだ。多分そうじゃないかと思っていたことをずばり言ってくれた。人間にそんな困ることや嫌なことを神様が与えるわけがないと。全くそうだ。テロメアと言う何だかdnaだかなんだかがあって寿命を決めているそうだが、神様が何でわざわざそうして寿命を決めたのか。すごくよくわかった。生きることは時には大変な苦しみだ。それはもう70年か80年でいいだろうと。苦しみから救ってくれるんだ。もうがんばらなくていいんだよと。死は何も恐いものじゃない。全くその通りだ。むしろ甘美なものかもしれない。一番恋焦がれているものかもしれない。安らかに天寿を全うして死ねるものならば、決して恐れるものでもなんでもない。小さい頃から死が本当に恐かった。恐怖が私をこんなにも苦しめてきたのかもしれない。私もだいぶ成長した。一人さんの話が一回でこれだけわかってしまうなんて。恐いの反対は優しいじゃないか。あのババアも死と同じで訳もなく恐がっているからほんとに恐くなってしまう。恐いわけがないじゃないか。最近本当に恐くなくなってきた。女は弱くて無知で時には醜い。でもそれが人間の姿じゃないか。普通にしてたら人間とはそういうものだ。自然な姿だ。子供だってそうだ。赤ん坊なんか全くそうだ。見ようによってはサルのように醜いという人もいる。親自身がそういう。それが当たり前じゃないか。老人だってそうだ。弱く愚かで醜くなって死んでいく。もう頑張らなくていいんだよと、神様が優しい神様が迎えに来る。死は優しい神様だというのが一人さんの教えで私もそう思う。人は恐いだろうか。普通にしていたら恐くなんかない。人間の真の姿は空腹に泣きじゃくる憐れな赤ん坊じゃないか。何も恐くなんかない。優しい。哀れでもある。恐いと思うのは全く間違いだ。全く間違った妄想か何かに取り付かれている。恐れと言う魔物に取り付かれている。悪い人間と付き合ったってそんなのは過去の話だ。もう悔い改めて許されている。ババアだって恐いんじゃないのだ。弱いし、優しいのだ。死が恐くないんだったら、ババアなんか全く恐くないに決まっているじゃないか。 私はもう義人なんだから良いんじゃないかと思う。恐がることも卑屈になることもないと思っている。過去に変な人間と付き合って変になったからと言って今はもう悔い改めて許されているのだから、気に病むことはないのだ。 スピードを上げて頑張ることではなく、スピードを最小限に落として、はるか下のほうにまで降りていくことでうまく行くんじゃないだろうか。厳しくしてもだめで、優しくすることじゃないか。恐いと思えば恐くなるし、優しいと思えば優しくなる。
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