希望の日記

2006年10月28日(土) 一人塾

一人塾に行ってきた。みんなノリの良い人ばかりで、私はうつで元気がないので浮いていた。何か今の私は暗くて恐い感じがするようだ。抗うつ剤はある程度攻撃的になるので中途半端に効くと確かに恐いかもしれない。職場でのトラブルも抗うつ剤のせいかもしれない。でも飲まないわけにも行かないので、これは抗うつ剤の効果という認識が必要だ。頭のよしあしは関係なく、本当の地金が出る。でも一ヶ月前に比べるとはるかに良くなった。自分が恐がられているくらいはわかるようになった。一ヵ月後にははるかに良くなっている。ところで昨日の塾は出ないほうが良かったかもしれない。過覚醒が再開したかもしれない。2,3日様子を見よう。無理やり何かをやらされる感じとか、嫌がることをされる、ptsd的なこととかは禁物だ。恐い経験をするとか。あの職場はずっと恐かった。ババアが来てからもっと恐くなった。hも恐い。恐くない振りをして頑張ってきたが、恐いと言おう。ptsdが治まらない。抗うつ剤で元気になりつつ、慎重に、人間らしく行動しよう。アクティングアウトとかは絶対に禁物だ。そんなことくらいはわかるようになってきた。薬物や人の言葉に即反応しない。良く考えて行動する。私は義人だ。人間が好きだ。以前だったら全く受け付けなかったであろう、昨日のような会でも参加できた。ただ私にはまだ早すぎる。健康な状態で参加しよう。途中で頭が痛くなってきた。明らかに洗脳だ。宗教団体そのものだ。近づかない方が良いことははっきりしている。でも会社も宗教団体だし、いずれ洗脳される。洗脳マニアのカウンセラーもいる。あの人は特別だ。
善人であることは恥ずかしいことではない。悪人になろうと必死で努めて来たがそんな必要はない。昨日も元悪人の告白に真剣に腹が立ったが、笑ってやればいいのだ。皆笑っていた。善人はそういう反応をする。自分と関係ないからだ。心のきれいな人はそういう反応だ。私も洗脳もできないくらい、悪人になっているのだ。義人になろうと決めた。するとすぐに変わった。これを元に戻さないようにしよう。
この日記もネガティブなことは一切書かないようにしよう。正しいことなんて何かわからないのに、ネガティブなことを書けば真理に近づくという考えは幼稚だ。こうなりたいとか、こうありたい、こうなってほしいということ、よきこと、夢をいっぱい書けばやがてそれが実現する。私は必ず復帰する。完治する。薬も不要になる。仕事もうまく行く。人間関係もうまく行く。よきことが雪崩のように起きる。義人になろう。馬鹿でもいいじゃないか。頭がいいと評価されるより、人間的に信頼された方がずっといい。そんなことぐらいわかっていたはずなのに。馬鹿になろう。昨日の人々は皆善人ばかりだ。善人が生きていくには宗教が必要なのだ。神や人の助けが必要なのだ。義人になれば全てがうまく行くようになる。今でも私は義人だ。義人であればきっとうまく行く。私は明らかに義人ではなかった。悪いことばかりしていた。いい人間なのに悪い人間になろうとした。これからの自分は今までとは全く違う。別の人間だ。全く新しい人間だ。弱くてもいい。強い必要はない。女性的でもいい。今はちょっと弱っているからこれくらいにしておこう。私はきっと救われる。困ったことは起こらない。劣等感を捨てて差別意識も捨てて自分を愛し、自分を虐待せず、明るく楽しく働いて生きていこう。
今ちょっと調子が悪いが、いろんな人のパワーをもらって元気になろう。脳のダメージは徐々に回復している。一ヶ月もすればすっかり回復している。もし回復しないとしても義人である私は全く恐くない。昨日も人が恐くなかった。人の心がすごくわかった。きっと全てうまく行く日が来る。今ももう既にうまく行っている。義人である私には困ったことは起こらない。人が善人に見えた。実際長いこと悪人をやってきたが、悪人は疲れる。やってられない。キャラにないことなのだ。義人になれば全てうまく行く。ptsdも治る。対人恐怖も治る。働けるようになる。魅力的になる。あの作品を書いたときは義人だった。義人になれば友達もできる。義人になれば人生が開ける。世の中悪人なんかいない。いたら排除される。昨日の元悪の例でも途中で悪いと気付いたのだ。善と悪が心の中にいるというリアルな告白だ。私の心にも善と悪がいる。義人になるとはいつも落ち着いて正しいほう、善なるほうを選ぶということだ。善を選ぶと損するだろうか。それだったら、窃盗、カツアゲ、引ったくりまでやっていた昨日の男のようになってしまう。もっともそこから経営者になった根性はすごいものがある。神を信じるといっていた。神を信じるようになってから善を選べるようになった。私も神を信じている。善悪は見られている。必ずわかるようになっている。だからというわけではなく、善を選ぶのが義人であり、大人だ。善でも悪でもないグレーゾーンがあるといっていたが、少なくとも悪とわかっていることは選ぶまい。善だけが道を開いてくれるのだ。私は義人だ。昨日までとは違う。すっかりいい大人になったのだ。必ず道は開ける。ちょっとぼんやりするようになったのは悪いことを排除するための一時休業期間だ。いいソフトと悪いソフトを入れ替える準備期間だ。それに三ヶ月かかる。そして新しい環境が必要だ。多分。同じ環境に入れられたら、悪いソフトが作動する可能性がある。
完ぺき主義はやめよう。自分が楽にやれることから始めよう。自分を追い詰めない。
やっぱり昨日は行くんじゃなかった。催し物は選ぼう。ああいう洗脳的なことをやるんだったら、行くんじゃなかった。お人よし過ぎる。無害な穏やかなものを選ぼう。今日は行かなかったが、遺跡の話とか、当たり障りのないもの。今日の疲れは今日眠れば取れるものと思う。さっきは少し気分が回復した。パキシルで明るくなったら、義人としてよいことに使う。今は疲れすぎているので休むことに使う。これが好循環を生む。義人の好循環だ。悪いことや自分をいじめることにエネルギーを使うな。今までというか前回抗うつ剤を飲んだときはどちらかというとそうだった。今は脳がダメージを受けているのでおとなしくしていられる。もっぱらハイキング、ウォーキングにエネルギーを使おう。癒されることに使おう。
すごく謙虚になったと思う。悪いことをしたなという思いがある。結局あのおばさんにも悪いことをしているのだ。嫌いだからといって悪いことをしていいことはない。義人ではない。私はもう義人になった。下らないことでもめたりしない。今日は本当に疲れた。弱音を言いたい。弱音を言うと少しは気がまぎれる。愚痴とか不平不満は言ってはだめといわれるが、疲れたときは疲れたといおう。それにしてもうつになる人は良い人が多い。結局私も良い人、義人なのに無理して悪い奴を演じるのは無理なのだ。そういうところがb校でも問題になったのだ。人間嫌いというか反社会的というか。自分を責めてはいない。もう悔い改めたのだ。簡単なことだ。元々義人なのだから。抗うつ剤で元気になった分、自分にも人にも優しくできる。そういう好循環を今度は生み出そう。
今日初めて外に出たが、おかしな感じはしなかった。むしろいい感じがした。赤ちゃん連れのお母さんを見てほほえましい気持ちになったり、母娘の会話を聞いてほほえましくなったり、家族っていいなあと思った。私は少し気持ち悪いだろう。脳にダメージを受けているせいだ。きっと回復する。義人になってきっと回復する。人が恐いと思わない。普通に行動できた。回復しているんじゃないか。義人宣言したとたんに世間が近く思えてきた。良い人ばかりなんだと思えてきた。
今は脳がダメージを受けているから、多少気持ちが悪くても仕方がない。でも義人として基本的なことはかえって間違えなくなった。人が嫌いだったのが好きになった。良い人ばかりだと思えるようになった。家族はいいなと思えるようになった。かなり回復した。
新聞が読めない。何が書いてあるかわからない。小説も少し難しい。目を開いたまま寝ているような感じ。人の言うことをすぐ聞き漏らす。目が活字を追っているのに読めない。仕方がない。少しずつ回復するのをまとう。躁うつ病でも小説を書いている人もいるのだ。
字が読めないのは我慢しよう。仕方がない。無理をしたり焦ったりしてはいけない。安らかな気持ちでいよう。どんどん良くなる。ずっと良くなる。きっと良くなる。気持ち悪いなんていわれなくなる。
今日は相当辛い。前頭葉が必死で頑張っているのだが、ついていけない。ゆっくりやろう。自分に優しくしよう。昨日の会合に来てた人たちは皆元気なんだ。アトピーの人とかもいたけど、一応健康なんだ。私は気持ち悪がられるくらい弱っている。行くべきじゃなかった。本を読み、cdを聞くだけで十分だ。一人さんは言葉は穏やかだが、やることは徹底していて甘くない。うっかり近づくとえらい目に遭う。
私は人間が好きだ。義人になったら、急に好きになった。馬鹿になるのもいいことだ。ヤンキーは自分がお人よしなんじゃないかと思って、悪いことをしたいのだ。私も良くわからなくなった。今更ヤンキーと仲良くしろといわれても苦しい。適当にしたい。差別しているわけじゃなくて合わない。無理すると苦しい。ヤンキーから見ると私も相当ヤンキーみたいだ。抗うつ剤は上手に使おう。今日は7時に寝ようかと思う。疲れすぎている。昨日の疲れと酒の疲れ。不安定になっている。でも人が好きだ。昨日の人々は悪い人ではない。でもやりすぎではないか。あんな洗脳みたいなことをしてはいけない。暴力的だ。密室に閉じ込めてあのやり方はおかしい。耐えられないくらい野蛮だ。あれを盛り上がりと感じる感性が信じられない。一人さんも気をつけたほうが良い。本とcdだけにしておこう。
今まで散々反俗的なことを言ってきたが、義人となって後は民衆の皆さんが好きになった。何もエリートでなくてもいいじゃないか。平凡な庶民が好きだ。どうしてかわからない。悪いことはしたくない。いいことだけしたい。
義人として真面目にこつこつやって行きたい。きっと世間は認めてくれるはずだ。真面目だったことは一度もない。これではいけない。義人になるのだ。
脳がダメージを受けてから気持ち悪がられるようになった。でもくじけない。きっと良くなる。義人になろうと決めたのはその後であった。これは良かったのだ。今はずっと良くなった。これは必要な過程なのだ。こうなる運命だったのだ。きっと良くなる。実際良くなっている。義人になった。これは以前にはなかったことだ。
どんどん良くなる。私はもっともっとどんどん良くなる。必ず良くなる。義人になった今は世界は開け、仕事もうまく行く。今までうまく行かなかったのは能力ではなく、人間性の問題だ。それはもうあらかた解決した。義人になったからだ。
人間は本当に良い。良い人ばかりだ。どうして私だけ悪くて怠け者で卑怯で悪いのだろう。絶対に改めよう。義人になろう。父親に誓う。これはうつと関係なく実行できる。むしろそれによってうつは治る。義人になればうつもptsdも治る。
私は嫌われてなどいない。気持ち悪くなどない。邪悪でもない。義人だ。善悪の区別はつく。正しい人間だ。
人間は悪くない。世の中の人は皆真面目で働き者だ。私もそのようになりたい。簡単だ。やると決めてやれば良いだけだ。きっとできる。絶対にできる。この間衣替えなどの仕事があっという間にできた。決して怠け者でもないし、能力は十分だし、できないことなどない。自信を取り戻せ。絶対にできる。義人になればきっとできる。
人間はいいなあ。自分が義人になって初めてそのことに気付いた。今までいかにおかしな考えだったかわかった。うつの本当の原因はそれだ。
うつは自分で直せる。自分で自分をいじめて治ろうとしないだけだ。仕事も自分で決めてやればいくらでもできる。
私は犯罪者みたいなところがある。それは確かだ。だから気をつけないといけないのだ。義人にならないといけないのだ。それは意思の力でできる。昨日のあの元ヤクザもちゃんと誰に言われるでもなく更生しているじゃないか。誰だってできるのだ。私はきっと立ち直って見せる。義人になる。悪いことをしてうまく行った奴はいない。


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