何か今朝は気分が良い。そんなに熟睡してないが気持ちよく目覚めた。最近では珍しい。もう治りそうな気がする。自分に優しくしよう。もうあんな職場なんかどうでもいい。自分を虐待する奴のところなんかに行くな。当たり前だ。 脳がダメージを受けているといっても大したことはない。ゆっくり回復している。これからどんどん良くなる。どこまでもどんどん良くなる。 頑張らなくてもいいのだ。すごく良くなった。どんどん良くなる。義人になった。全く違う人間になった。 気分がいい。楽しい。これまでにないことだ。もっとどんどん良くなる。もっと自分に優しくしよう。脳のダメージはかなり回復した。抗うつ剤との組み合わせで信じられないくらい回復するだろう。もっとずっとずっと良くなるだろう。 もっとどんどん良くなる。私は良い。素晴らしい。義人だ。聖人だ。正しいことを考え、正しいことだけを実行する。 すごく良くなった。ついてる。嬉しい、楽しい。ありがとう。感謝します。幸せ。許します。絶対良くなる。どんどん良くなる。あのセミナーも悪くはなかった。善良で弱い人は宗教的なサポートも必要かもしれない。一人ではできないことが集団だとできるのだ。弱いことを認めよう。 私はどんどん良くなる。どんどん良くなる。今はこの程度だが、これからどんどん良くなる。やると決めてやるだけだ。何でもできる。もっとどんどん良くなる。義人になった私は良いことが雪崩のように起きる。私は犯罪者なんかじゃない。義人だ。聖人だ。昨日までの自分とは全然違う。全く違う自分に埋まれ変わった。人に愛され、人を愛する。素晴らしい人間だ。仕事もバリバリできる。ptsdも治る。誰からも信頼される。悪いことを考えない。 ちょっと疲れている。どんなに疲れていても私は私で大事にする。一番大事な自分のことを大事にする。本当に自分が愛おしい。悪いことをすることは嫌なことだ。悪いことをしなくても生きていける。誰もがそうであってほしい。自分を虐待する奴とは仲良くできない。誰でもそうだ。明智光秀は織田信長を殺した。人間とはそうしたものだ。許すことはできる。でも一緒にいることはできない。私は母親と一緒にいることはできない。私が逆に虐待することも耐えられない。この一年で学んだことはそういうことだ。人と仲良くうまくやっていくことは大事だ。でも虐待する奴とは一緒にはいられない。一人さんも言っている。天国言葉を言っても良くならない。それは虐待する奴に依存しているんじゃないかと。確かにそうだ。どうしても自分を虐待する奴と仲良くしないといけないだろうか。機嫌を取らないといけないだろうか。そんなことはない。 大仙公園に行ってきた。やっぱり盛り上がらなかった気分が重い。重すぎる。義人となった。聖人となった。頭が重い。本を読む気がしない。それでもいいだろう。人は良い人ばかりだと思う。子供も大人も。公園で遊ぶ家族は罪もない顔をしていた。善良な人ばかりだ。悪いことをしても何もならない。 本が読めないなら読まなくていい。新聞が読めないなら読まなくていい。脳はものすごい勢いで回復している。きっとずっと良くなる。自分が思っているよりずっといい人間だ、私は。誰にも非難されるいわれはない。いま少し寝てちょっと元気が出た。ほんの少しほっとすることを探してみよう。今受容量が極端に減っている。この半年のうつptsd状態と脳のダメージ(気にすることはない)で何も楽しいと思わなくなった。小説もサークル活動もお祭りも。でも小さな喜び、ほっとすることなら受け入れられる。それが生きる喜びにつながる。 自分を傷つけるような奴とは仲良くできないし、一緒にはいられない。当たり前のことじゃないか。人生の最初で躓いたのはこのことだ。自分を虐待する人間とは分かり合えない。どうわかりあったら良いのだ。smか。あほじゃないのか。絶対に分かり合えないし、反撃するか離れるかどちらかだ。二度と会うな。私はあのグループとは絶対に一緒にならない。基本中の基本だ。私が仕事をしたくなるときは、自分を虐待する人間から離れて安全でいられるとわかったときだ。芸術家は迫害者から離れて自由を享受しているときだ。知識人は権力から逃れて自由に本を読んでいるときだ。迫害者と仲良くできるという幻想は一体どこから生じたのだろうか。全くの誤りだ。義人となる第一歩だ。それがここから始まる。 聖人になった。脳にいっぱい穴が開いたのかもしれない。でもそっちの方がいい。昔は人に優越していると確かに感じたが今はそうではない。パキシルはもっと効くはずだが、脳がダメージを受けているので余り効かない。それでも良い。じっくり治そう。きっと良くなる。脳がゆっくり動くので、腹が立つこともないし、恐いことはない。
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