希望の日記

2006年11月10日(金)

昨日は一時半に目が覚めて一睡もできなかった。やっぱり二日続けて飲んではいけない。脳の具合はまあまあだ。慣れてきているのだろう。眠れない中、引越しのことを考えた。家賃の安いところに移ったほうがいいのかと。もしこのまま復帰できなくて6割になったら家賃は払えない。空恐ろしくなってくる。そうなったらそうなったときだ。何とかなるだろう。別のところに移りたいとは前から考えていた。明るく楽しく優しく生きていこう。暗くネガティブに深刻に考えまい。芥川龍之介が人生最初の作家であったことは不幸だったかもしれない。人生はもっと明るく楽しい。柴崎友香のように生きて行きたい。休めることは幸せだ。ありがとう。自分を神の様に尊重しよう。自分のことを始終これだけ考えてくれるのは自分しかいないのだ。
道徳的におかしいことは止めよう。義人になるということだ。道徳的にいつも間違ったことを選択しているうちに考えがおかしくなった。改めることは遅すぎることはない。義人になろう。悔い改めよう。
この間のカウンセリングは噛みあわなかった。彼のコメントが見当はずれかつ不快に感じた。いつもと同じはずなのに私のほうがおかしかったのだろう。自虐はやめて明るく楽しく生きよう。優しく。
眠れなかった割にはおかしくならない。強くなったのか。道徳的に生きる、明るく楽しくというモットーが、心を軽くしたのか。新聞もまあまあ読める。アメリカで大きな動きがあったことがよくわかる。興味の問題もある。ベトナムの話なんか全く興味がないので読まない。興味が絞られてきた。やがて元気になれば広がるだろう。こんな日もこんな日なりに幸せで楽しい。今日ほど感謝したい日はない。こうして生かされてあることを感謝したい。誰も恨む気にならない。成長したのだ。
昼に近づくと少し気分が落ち込む。どうしてだろう。私の脳と体全身全霊はきっと必死で生きている。全力で生きているのだ。のんびり過ごしているだけでも。それで疲れてくるのだ。どっと疲れる。世間のハイテンションに当てられて昼ごろ疲れが出る。仕方のないことだ。穏やかに過ごそう。
ああ人よ、私を嫌ったり、馬鹿にしたりしないでくれと望む。人を嫌ったり、馬鹿にするものは同じ目に遭うのだろう。もう二度としないだろう。こんな思いをするくらいなら。母親との関係もうまく行っていない。親兄弟くらいしか頼るものはいないのに。明るく楽しく優しく生きることにしよう。暗く深刻にならないで。人を嫌ったりするのは悲しいことだ。道徳的に正しい方をいつも選ぼう。当たり前のことだ。自虐はやめよう。そうすればきっと道は開ける。今気分が極端に落ち込まないのは考え方が正しいからだ。正しい考え方ができるようになったからだ。成長したのだ。
私はきっと立ち直る。義人になるのだ。道徳的に正しいことがやっぱり間違いない。それができればうまく行く。それは簡単にできる。義人になるのだ。
私は誰からも嫌われていない。義人になった。順調に回復している。どんどん良くなる。
少し眠れた。良かった。今が底だろう。幸せだ。ありがとう。明るく楽しく優しく生きよう。むしろ何もしないほうがいい。休むとはそういうことだ。自虐をやめて自分を神のように尊重しよう。自分はそんなに優れていなくてもいいじゃないか。何でしゃしゃり出ないといけないのか。わからない。自分を虐待するものに依存するな。これからの人生は第二章だ。全く新しい人間だ。幸せを感じて生きていこう。明るく楽しく優しく義人として生きて行こう。
私は素晴らしい。よく頑張っている。自分を尊重するのだ。仏陀とかキリストは人類全体を愛してくれる。それを信じることだ。人は弱いものだ。何かを信じずにはいられない。自分の力をはるかに超えた世界で生きているのだ。愛と、神に支えられて生きているのだ。愛に生きよう。倫理的に生きよう。
今日は相当ぼけていた。最近はずっとそうだ。でもぼけていてもいいのだ。細かいところがわからなくてもいいのだ。うつも来るところまできた。でもこれから良くなる一方だ。
鶏肉の料理を作った。おでんばかりでうんざりしたからだ。非常に上出来でおいしかった。決してぼけてはいない。活字も読めるようになった。必ず良くなる。
楽しい。嬉しい。幸せだ。ありがとう。自虐をやめて明るく楽しく優しく生きよう。


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