希望の日記

2006年11月16日(木) 野崎観音

昨日は野崎観音に行って来た。心安らぐひと時だった。酒を飲んだ。今朝は一転気分が良くない。やっぱり酒を飲むとだめだ。眠れない。朝、一人さんの天国言葉を唱えていると楽になった。でも2時間も3時間もやっていると頭が痛くなってきた。一人さんの教えも洗脳に近い暴力的なところがあるから、恐い気もする。下流の教えだ。下町の暴力性を感じる。私についていけるだろうか。適度な距離で付き合おう。「嬉しい、幸せ、ありがとう」といっていると本当に幸せになってくる。でも頭が痛くなってくる。それはそのせいかどうかはわからない。
明るく楽しくやっていこう。優しく堂々と。自虐はやめよう。自分を受け入れ、人を受け入れよう。当たり前のことで、何も怖くはない。あのおっさんとの一夜以来、人が受け入れられなくなっている。無邪気に自分を出せなくなっている。臆病になっている。n原氏とも会っていない。恐くなった。少しずつ人を受け入れていくようにしよう。自分をまず受け入れ、そして人を受け入れよう。簡単なことだ。自虐をやめれば簡単にできる。
きっと回復できる。きっと立ち直れる。私は善良だ。私は一所懸命働く。
人を傷つけることは自分を傷つけることだ。自分を傷つけることは人を傷つけることだ。自虐は加虐だ。少し前は普通に思いやりとかできていたのに。どうなったのか。私は道徳的に立ち直ろう。女が恐いとか嫌いというのは明らかに病気だ。今はかなり良くなった。何とも思わなくなった。嫌いとも恐いとも思わない。義人になったのだ。
世の中は簡単にできている。そうでなかったら困るだろう。明るく楽しく優しく堂々としていればいいのだ。自分を受け入れ、人を受け入れるのだ。
今日は調子が良いのか悪いのかわからない。すごく良く見える気もする。女でも男でもいいじゃないかと思う。どっちが嫌いとか恐いとか一切なくなった。女の言うことなんか全く気にならない。ほんとにどうでも良い。好きな女がいればそれで良いし、いなければそれでもいい。体と心は不可分のものだ。無理やり分けて考えるからおかしくなる。ずいぶん回復した。自分を受け入れ、人を受け入れられるようになった。幸せ、ありがとうといつも心で唱えていれば誰とももめない。誰も憎んだりしない。誰も恨みに思ってはいない。すごく気持ちが落ち着いた。成長した。自分を愛し、人を愛す。当たり前のことができるようになった。パキシルのお蔭で落ち着いてきた。医者も今日は優しかった。あの人は優しい人なのだ。ずいぶん世話になった。多分今戻っても誰とも衝突しないだろう。人生が世の中がシンプルに見えてきた。良い人ばかりなのだ。自分が困った困ったと騒がなければ大丈夫なのだ。
強いことがいいことだろうか。強くなくても良い。正しいことが大事だ。良心に恥じない思考や行動ができるかどうかだ。悪いことを考えてもしても強いことにはならないし、絶対得をしない。自虐の最たるものだ。自虐で得することなんか絶対ない。人と戦っても自分が傷つくだけだ。人を攻撃することは自分を傷つけることだ。自虐は絶対いけない。他人を傷つけることも絶対いけない。二つとも同じことだ。いつまでも悔い改めないことは最大の自虐だ。もういい加減に悔い改めよう。実際悔い改めた。もう悪いことはしない。自虐は決してしない。自傷行為は絶対しない。これは病気の問題ではなく、意志で解決できる問題だ。
少しずつ良くなっている。今は待つことだけだ。自虐、自傷行為を絶対しないこと。反社会的なこと、人を傷つけること、喧嘩すること、反抗すること、これは絶対だめだ。全部自虐だ。自傷だ。今までやってきたことは全てそうだ。両親に深く謝りたい。本当に迷惑をかけた。絶対に人に迷惑をかけてはいけない。良いことをして初めてお金がもらえて暮らしていけるのに、迷惑をかけて生きていけるわけがない。中学時代から、反社会的で、反抗的だった。絶対それでは生きていけない。自傷行為をやめるならば、卑屈になることはない。社会のためになることをやっているなら決して卑屈になることはない。漸く根本的な問題に自分で気付いたようだ。きっと立ち直れる。
大仙公園に行って来た。やっぱり自然があって良かった。不快なことは全くなかった。老人もホームレスも実に穏やかで平和だ。緑化センターというのがただでなかなか良かった。庭のようになっている。個人ではなかなかできない。帰りに靴下を買ったが靴下屋って何であんなに恐いのか。前も恐かった記憶がある。客が恐い。店員も恐い。いるだけでものすごい恐怖を感じる。下流パワーを感じる。100均も恐いがあれほどではない。これは一つの謎だ。
ところで今日はやっぱり調子よくない。でももうなれた。酒を飲んだ翌日はしんどい。その事実になれた。人間なんにでもなれるものだ。
やっぱりパキシルの威力はすごい。漸く人間らしい気持ちになってきた。我慢できるようになって来た。確かに運が悪かった。ひどい目に遭った。でもこの薬を飲めば何とか人間らしい気持ちを取り戻せる。屈辱にも耐えられる。正しいことがわかる。こんな目に遭ったから真実がわかったかどうかはわからないが、こんな目にあっても立ち直れる自信がついた。希望が湧いてきた。このままパキシルが効いて、もっと調子が良くなるのを待つ以外にない。自分との戦いだ。
人から何を言われようと、馬鹿にされようと私は一歩一歩前進している。ゆっくりとではあるが回復している。辛抱強く自棄を起こさないように、着実に歩いていこう。待つ勇気が必要だ。今こそ成長しているのだ。学んでいるのだ。
長い長い混乱と苦痛だった。よく耐えた。でも漸く希望の明かりが見えてきた。今度は以前よりはるかに強い人間として復活する。誰に馬鹿にされようと気にすることはない。屈辱に耐えて、頑張って復活するのだ。復活の手ごたえが出てきた以上、どんな屈辱にも耐えられる。希望ほど強いものはない。アウシュビッツでも希望を失わずにいたものが最後まで耐え抜いた。頑張ろう。
どんなに馬鹿にされようと屈辱に耐えて回復を待つのだ。決して自棄を起こすな。生きることの高貴さに比べれば、世間の無理解や侮辱なんか何の意味もない。私は困ってなどいない。学んでいるのだ。世間は広い。自分の心の中だけに閉じこもっていてはいけない。私の心の問題が世界政治や経済に何かの意味があるか。そんな話は乱暴かもしれない。誰の心の問題も関係ないからだ。しかし自分の心の問題だけで全てを見失ってはいけないということも覚えておくべきだろう。良心に恥じることがなければ堂々としていれば良い。私は悪を行いやすい。悔い改めて正しい道に戻ろう。


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