希望の日記

2006年12月16日(土) 希望

私にも希望が見えてきた。頭が悪くなって、人に馬鹿にされようとも、希望が見えてきた。偉くなれなくても良いんだ。私は中学時代に統合失調症を発症した。同時にptsdスペクトラム障害群を発症した。その後に私の行ったことは、その影響下にあることで、私に責任はない。多分。半分責任があるとしても私は自分を責めることができない。誰でも私のような病気を患えば、正しいことをすることは期待できなくて、悪いことをするだろうからである。そして今、ババアや小学生にまで馬鹿にされる自分であるからといって、自分や他人を責めることはできない。その代わりなのか、私は希望が見えてきた。良い薬を得て、落ち着いた穏やかな気持ちを見出した。薬なしで、心理療法や、宗教や哲学でこの精神状態を得ることはいまだかつて可能ではなかった。最新の医学はこれを可能にした。医学薬学、テクノロジーは日進月歩だ。得られるはずのなかったものが、今手にはいる。しかも安価で。千年前には王侯貴族も得られなかったものだ。私は希望を得た。長い苦闘の末に希望を得た。私は自分を許すことができた。自分の過去ばかりでなく、現在と未来を自分に許すことができた。この悪循環を断ち切って、生きるという希望を自分に許すことができた。私のしたことが私の責任でないならば、許すも許さないもない。たとえ私の責任であったとしても、許すことができる。私がコントロールできないものがリモコンのように私を乗っ取り操縦し、行わせたもののように感じるからだ。させられ感。統合失調症に良く見られる感覚。一部でもそういう状態にあれば、全てがその影響を逃れることはできない。だから私は自分を100%許せる。これからは統合失調症とptsdスペクトラム障害群に冒されなかった私として生きることが可能なように思う。薬はそれを可能にしてくれる。奇妙な病気の核のようなものを真珠のように何重にもくるみこんで、コントロールしつつ、生きていくことができるように思う。今の私をどれだけ道徳的に非難しようと、私には無効だ。ついこの間まで、私の病気の核は、私の苦闘によって真珠のようにくるみこまれていた。それが、脳にダメージを受けることで、それは私のそれが私を操ってそうさせたともいえるけれども、殻を破って飛び出し、私を再び、コントロールしようとし始めてきた。人格の荒廃をよりいっそう進めようとし始めた。そこに薬を飲んだので、それは抑えられようとしている。私の正気な部分が、再び目覚めようとしている。酒は良くない。私の脳にダメージを与えて、核が再び私を乗っ取ろうとする。薬を一日でも多く飲めばそれだけ、回復は早まる。この自明のことを実行しよう。その核に栄養とチャンスを与えないでおこう。
きっと治る。必ず治る。この薬で治る。私の病気の姿が明らかになった。急速に悪化した最近の病状。これは必ず良くなる。中学以来の自分の病気の姿が明らかになった。あの薬を飲んでいるとゆとりを感じる。今までにはなかったことだ。根治できる。
少し元気になってきた。そう思う。心がきれいになってきた。ゆとりということだと思う。きれいな面が出るようになって来た。鬼畜のような面とか卑しい面は出なくなった。誰も馬鹿にすることも差別することはなくなった。ゆとりだろう。薬が私を支えてくれている。
私が鬼畜のような行為をしてきたのは、私を乗っ取った病気がさせたのだ。私に責任はない。大変申し訳ないとは思う。心から悪いと思っている。でも私にはどうしようもなかった。どうか許してほしい。これからはこの薬を飲めば、決して悪いことはしない。
脳にダメージを受けたことで記憶障害になり、思考がうまくできなくなって、不安を感じる。それで転院したのだが、統合失調症と診断されてしまった。これでいいのだろうか。成り行きだから仕方ない。よほど矛盾が大きくなれば、再転院もやむをえない。しかし、今のところ薬は効いている。この調子で行こう。
明るく楽しく生きたいものだ。薬を飲み始めてから、少し良くなった。鬼畜のような考えはすっかりなくなった。穏やかになった。優しくなった。常識がわかるようになった。腹を立てることがなくなった。
何か疲れた。この薬を飲むのも一か月くらいすれば、よくわかるだろう。少しめまいがする。中学の頃おかしくなった。でも良いだろう。自分を責めることはできない。誰かを責めることもできない。病気を責めることもできない。災害みたいなものだ。今できることは薬を飲んで療養することだ。
ああ楽しい。本当に馬鹿になったのだろうか。情けなくなる。誰からも馬鹿にされる。最近の不調はひどい。誰にでも馬鹿にされる。あの病院との相性はどうだろう。良いとは思われない。しかし、成り行きだから仕方がない。
酒は二日続けて飲んではいけない。週に一回で良い。酒を飲んでも調子は悪くならないといっても二日続けるとやはりおかしい。この不調はなかなか理解されない。自分でも微妙だ。
しんどい。でもしんどいなりに何とか過ごせた。私は自分の望んだ人生を生きているのだ。天王寺に出てカレンダーを買った。本当にカレンダーが好きだ。会社からもカレンダーが届いた。私が催促したからだろうか。しんどくてもゆとりがある気がする。妄想的な考え方をしていることに気付いた。それはうつにもつながるかもしれないし、統合失調症や人格障害にもつながるかもしれない。人間は全ての病気の要素を持っているとある医師は言った。そうかもしれない。ptsdスペクトラム障害群の考え方はそうだ。それに統合失調症がくっついていてもおかしくはない。パニックになったり、落ち込んだりしない気がする。あの薬のお蔭だ。kクリニックでも同じかもしれないが、病名あるいはその可能性を告げられるのとそうでないのは違う。kクリニックはそれはそれで最良の病院だと思う。安定していれば。しかし苦しくなるとより専門的な治療を受けたくなる。a病院はそれはそれで良いと思う。これはだめだと思うまで付き合ってみようかと思う。
視野が白っぽく暗い。いつかは治るだろう。目を開けたまま寝ているような気がする。いつかは治るだろう。過去の私の悪事は全て病気のせいだ。正気だったことは一度もなかった。自分を責めてはいけない。
倉木麻衣のライブ映像を見た。面白い。ピュアな人だ。そういうところが好きだ。ピュアであることは良くないみたいな風潮があるが、ピュアでいいのだ。あるものにピュアに打ち込むことで価値が生まれるのだ。
今は調子が良くなった。全盛期の6割くらい回復した。すごく良かった。
こんなことを言うなんてとかするなんてと思ってショックを受ける。それは無意味だ。そういうことを言うのが人間であり、関西人だ。言わなくても心では誰でも思う。言うやつも中にはいる。言ってはいけないというのは自分のルールだ。人が従わなくても文句は言えない。私も人のルールを守っていないのだ。
私は遺伝的に弱いものを持っていたのだろうと推測できる。結果論だけど。小学生から少しおかしかった。ストレスを呼び込む。中学ではっきりした。高校で既におかしかった。前駆症状が出ていた。自閉であり、引きこもり、不登校だった。大学で統合失調症を発症する。それが完全に治ったとはいえなかった。今の会社に入る前、入った後、トラブル続きで私は精神的におかしいと思われている。おかしいのだからそう思ってもらっても構わない。むしろ自分自身が精神が余り丈夫じゃないということを自覚すべきだ。そうすれば無理はしなくなるし、卑屈でもなく、尊大でもなく働くことができる。障害があるのだから無理はしない。だからといって卑屈になる必要はない。


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