昨日酒を飲んでまた早く目が覚めた。3時前。女は言って要らんことを言い、して要らんことをする生き物だ。それがいいと思っているらしい。もう気にしないことにした。何かしてきたらああまたかと思う。それでいいんじゃないか。やめさせることはできない。するなということをし、言うなということを言う。それが女だ。子供と同じだ。馬鹿じゃないのか。それを止めさせようとするのはもっと馬鹿だ。 今日もいい天気だ。家にいるのが悔しくなる。6時くらいから少し寝た。合計では結構寝ている。9時間くらいか。脳がダメージを受けているのでいじめられる。でも前からそうじゃないのか。というか自分のあり方からして攻撃されても仕方がないというか。 zにも攻撃された。でも仕方がない。やっていることは余り良くない。でもそれも仕方がない。でも薬が効いてきたのでこのまま行けば治る気がする。以前の薬だと治る気がしなかった。眠れるというのは大きい。 今年は良い年だった。脳のダメージなどどうでもいいじゃないか。本なんか読めなくても良い。 b校の嫌な女にまで馬鹿にされた。何もしていないのに攻撃してくる。嫌いだから嫌いだといっているのに。理由なんかないだろう。おかしいんじゃないか。何もしていないのに嫌がることをしてくる。そういうものだ。女というものは。するなということをし、言うなということを言う。相手にしないことだ。 アカンジアかなと思う。じっとしていられない。酒が悪いんじゃないか。 楽しい。一度くらい山に行ってみようか。朝早く起きること。明るいうちに帰ってこれること。文章が書けなくなった。読むに値する文章が。それを見抜いてあんなことを書いてるんじゃないか。あの性悪女は。どうしてあんな根性の悪い女に近づくのかわからない。自分が嫌な方、苦しむ方に行ってしまう。今の病院もそうだ。z氏もそうだ。自分が嫌な方苦しむ方に行くのは昔からそうだ。 なんばに行ってきた。地図を買った。意外に高くて2000円近くした。いつもより、穏やかで落ち着いた感じがした。自分の身分とかどう見られているかとか、余り気にならなかった。この方向でいいんじゃないか。この薬、こういう生活、こういうリラックスで良いんじゃないか。そう思った午後だった。 z氏とは会わないほうが良いんじゃないかと思う。お互いに不信感を持っている。お互いに傷つけあう。egのことで不快なやり取りがあった。あれの言うことなんか聞かない方が良いんじゃないのか。何で付き合うのか。機嫌を取る必要はない。あれの機嫌を取るためにegに出たり、b校に出たりしたのだ。間違っている。 依存しない方がいい。薬にしろ、医者にしろ、カウンセラーにしろ。功罪両面あるのだし、100%信頼できるはずもない。実際egは大失敗で、いまだにその悪影響というか、悪い連鎖のために立ち直れないでいる。カウンセラーなんか私の処方箋ではない。どうも眠れない。でも薬のせいか苦しくもない。酒と薬はどうやら正反対の効果を持つらしいから、なるべく酒は控えた方がいい。脳が壊れる。医者が出す薬は結局、どの曲が好きかということくらいでしかない。デパスという曲がすきなのか、リスパダールなのか。好みの問題でしかない。統合失調症かうつ病かptsdかなんて誰にもわからない。私のことを統合失調症と思うヤツはいないだろう。幻覚も幻聴もない。妄想もない。ただどの薬が好みですかという程度の差しかない。どの薬も一定の効果がある。どの効果がお好みですかということだ。昔だったら有無を言わさず入院ということなのだから、世の中進んだものだ。これで文句を言うなんて贅沢というものだ。 少し落ち着いてきた。脳にブレーキをかけることができた。 薬のせいか気分が軽くなってきた。眠れるというのが大きい。今日は眠れないが。もっと元気に復活したい。でもとやかく言われるのは困る。道徳的に悪いかのように言われるのは困る。病気とかアルコールによるダメージによるものなのに、私が悪いかのように言われるのは大変困る。勘違いも甚だしい。プロのカウンセラーにしてそうなのだから、一般民衆はそうなるだろう。だから人と会いたくないというのだ。zというのは完全におかしい。似非カウンセラーだ。でも薬のせいで少し回復した。この分ならいずれ回復する。人間はメンタル的に大丈夫な人間とそうでない人間の二通りいる。大丈夫でない人間はスペクトラム的にありとあらゆる病気を抱え込む。ptsdスペクトラム障害群を更に発展させれば、統合失調症やノイローゼも包摂するようなスペクトラムを考えることが可能だ。実際私がそうだ。ありとあらゆる病気の可能性がある。どの薬も相応に効く。だからパキシルも効くし、ジプレキサも効くのだ。でも損なわれていない、正常な部分も残っている。その部分を生かせば、狂気の部分は個性ということで通る。三島由紀夫も芥川も川端も狂気と正気の間を往還した。そんな人間にとって、世間の常識など意味を成さない。診断しても無意味だ。彼らが統合失調症であろうと人格障害であろうと無意味だ。私もそういう人生を歩む以外にない。何かのマスターになるのだ。大学を出るとマスターとかドクターとか称号がつく。仕事でも同じだ。経理のマスター、人事のマスター、自分の与えられた仕事のマスターになるのだ。私は何のマスターにもならない。小説家なら小説家としてクリアーすべき水準と言うものがある。芥川賞というのはあなたは純文学作家として水準をクリアーしていますよということだ。それだけの知識と技量を備えているということだ。それなくして憧れだけでは無意味だ。田舎暮らしならそれのマスターにならないといけない。年金生活者ならそれなりのマスターにならないといけない。 少し楽しんで生きよう。楽しむことを自分に許そう。
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