もう年末だ。何も準備していない。掃除もしない。昨日は熟睡はできなかった。酒を飲み続けて脳が興奮状態にあって、薬が十分効かなかったのだ。今日からは眠れるだろう。こうして休めることに感謝だ。両親にも感謝している。そして謝罪する。許せなかった自分を許す。見境がつかなくなっていたのは病気のせいだ。でもそれは私のせいとみなされるだろう。それは甘受する。 善良であること、道徳的であることは気持ちが良い。人が好きであり続けること、自分が好きであり続けることは気持ちが良い。この二つだけで過ごせる。 悪の原因はなんだろうか。わからない。そういうことを言うとzは怒り出す。あくなんか関係ないと。私は善良でありたい。道徳的でありたい。そう考えるとつじつまが合う。ちょっと前まで朝から寝ていたのに比べるとかなり良くなった。やっぱり薬が効いてきたのだ。私は大体のことがわかってきた。悪は良くない。人を好きであり続けること、自分を好きであり続けること。これが最低限の義務だ。 今日は雨。どこにも行きたくない。行く場所がない。本を読むのももう一つ。書くのも嫌だ。今はじっと試練のときだ。焦っても仕方がない。昨日はうまく行った。というかよく自分が見えた。よく自分が見えれば自分をコントロールできる。 今日は一歩も外に出なかった。家にいるのが一番良い。やがて脳も回復してくるだろう。精神も安定してくるだろう。善良であることに自信もつくだろう。荒廃した気持ちで生きていくことはできない。善良であろう。人が好きでい続けよう、自分が好きでい続けよう。 統合失調症は胎児のときに原因が生じるという。私は逆子だったという。もしかして母胎での脳の成長がうまく行かなかったのかもしれない。思春期の頃にも非常に生き辛い感じを持った。最新の学説と一致する。大体私に起こったことが何かわかった。もう何でもわかる。恐れるに足りない。 私は善良である。人が好きである。自分が好きである。善良であるということはいいことだ。これで全てが解決する。これからいいことだけが山のように起きる。全てが新しくなり、悪いものは良くなり、いいことだけが雪崩のように起きてくる。悪い習慣はやめて良い習慣に置き換えよう。 これからは楽しいことしか起こらないような気がする。今でも十分楽しい。
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