善良に生まれ変わった私に今、よきことが雪崩のように起きている。脳がダメージを受けた分それがゆっくりと確実に起こっているので、何が幸いするかわからない。昨日は5時まで眠れた。少しずつ早く目が覚める。仕方ないだろう。十分眠れている。自分の人生が善良というキーワードで非常にクリアーに見えた。完全に理解できた。普通の善良な人々はこんなことは完全に理解できていたのだ。世の中は善良な人ばかり、値打ちのある人ばかりだ。人生の楽園に出てくる人々はエリートではない。どちらかというと失敗した人、不幸に見舞われた人々だ。リストラ、早期退職、子供の病気、職場不適応、親の介護。でも根が善良だから、新しい道で幸せを手に入れている。善良であれば不幸に見舞われてもまた幸せになれるのだ。邪悪であれば、どんなに権力やお金を持っていても決して幸せにはなれない。それから邪悪さに邪悪さを持って戦おうとしても絶対に勝てない。邪悪ということは才能も努力も要らない。女くらい邪悪な生き物はいない。そんなものと戦ってはいけない。自分が善良であれば、絶対に負けない。邪悪なものは善良なものに絶対に勝てない。だからいつでも善良であればいいのだ。 すごくやる気が湧いてきた。躁状態ではない。やらねばならないという気持ちとやりたいという気持ちが、静かに穏やかに混ざり合っている。もうあれこれ考えるときは過ぎた。ただやるべきときだ。読むべき価値ある、面白い本は山積みされている。行くべき土地は私を待っている。やるべき仕事は山積みされている。 人のやることは全て自己表現ではないだろうか。職人はいいものを作って名を残す。侍は良い働きをして名を残す。役者は良い芝居をして名を残す。政治家は良い国を作って名を残す。商人は巨万の富を蓄えて名を残す。これらは生きるために必要なことだろうか。生活必需品、食料以外は人間はそんなに金のかからない生き物だ。象じゃないからそんなに食べない。そうすると何のためにやっているかというと、自己表現以外にぴったりくるものはない。目立ちたがりと言い換えても良い。有名になるヤツは有名になりたいのだ。ただ生きていくだけだったら、動物と変わりがない。目立ちたい、認められたい、褒められたい、愛されたい。自己表現したい。人間にはそういうやむにやまれぬ欲求があるようだ。それを否定する必要があるだろうか。そういうところは出る杭は打たれるとか言って散々叩かれる。でも出過ぎた杭は打たれない。あのババアみたいなものだ。あのババアは生きるために必要な糧は夫が十分すぎるくらい稼いでくれている。でもあのババアの自己表現欲求、自己顕示欲、認知欲求は満たされない。だから安い給料で馬鹿みたいに働く。企業にとっては好都合な存在だ。それに引き換え、何の欲もなくまるでやる気がないのに、文句の多い私見たいな存在は邪魔で仕方がないだろう。だから私は何をすればいいか、自ずからわかる。 私くらい自己顕示欲、自己表現欲、認知欲が強い人間はいない。それを抑えるよりもいい方向に向ければすごくいい仕事ができる。私の未来はばら色だ。 精神障害者の犯罪率は低いが、凶悪犯罪を犯す確率は高いという。私が大きな罪を侵した理由がわかった。私のせいではなく、病気のせいだ。私のできることは悔い改めること、薬を飲み続けること。向上すること。善良であるという楽な道を歩くこと。 来年こそはいい仕事をしていい年にしよう。やるべきことも、やり方も全てわかった。後はやるだけだ。善良であること、人を好きでいること、自分を好きでいること。これだけ覚えておけば重大な間違いはしない。過去の私は邪悪で凶暴で大罪の連続だった。どこから反省していいかわからない。でもそれが精神疾患によるものだとしたら私も哀れな犠牲者であって責めることはできない。昔から説教されるのが何より嫌いだった。悪いことをいっぱいするのだが、人に怒られたり、非難されたり、説教されたりすると決まって逆切れした。病識がないことと、道徳的に鈍麻していること、これが私の特異な性格と行動の原因であった。でもそれはほとんど病気によるものだから、責めることはできない。私を道徳的に非難することはそれこそ道徳的に間違っている。薬を飲むことと休養、ストレスをためないことくらいしかない。父は善良だった。しかし根っからそうとばかりもいえないのは、よく信じられない差別発言をしていたことからも推測される。わが家系は強気になれば罪を犯し、弱気になれば、気が弱すぎて失敗するという浮き沈みの激しい家系である。とにかく馬鹿の一つ覚えみたいに善良であること。これに徹すればきっと救われる。信じるものは救われる。 病気だから道徳的な非難は当たらないということは置いといて、善良で道徳的であろう。それだけだ。そしてためらわずいいことはすぐやるということ。この二つだ。 一時は朝から寝て昼から寝込んでいた。そして夜7時に寝ていた。それから思うとものすごく回復した。善良であるだけでこれだけよきことが雪崩のように起きる。 ミナミに出て柴崎友香の文庫を二冊買った。そこでちょっとした不愉快なことがあってへこんだ。女は必ずしも善良ではない。被害者意識の塊だから、自分が優位に立つと、恐ろしく残酷で邪悪なことをやってくる。防御方法は善良であることだ。それ以外にない。こんな簡単なことはない。 今年もいよいよ終わろうとしている。私は今年一年本当によくがんばった。本当に自分を褒めてあげたい。本当に偉い。よく頑張った。 紅白が始まった。坂本冬美が声がかれててかつしわが増えてて衰えが目立って嫌だった。格闘技ももうひとつで良くない。
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