昨日は誕生日ということで酒を飲んだ。自分を責めるのはやめよう。でもできるだけ飲まない方がいい。人の日記を読んで気分が悪くなってしまった。やっぱり、自分が傷つけられた人間は人を傷つけないではいられないのだろう。虐待の連鎖とはよく聞く。ところで感謝とは大事だ。感謝と善良であることを旨としよう。それにしてもいつも女にからまれる。特に最近は脳がダメージを受けているので、余計に突っ込まれやすい。それでも考えた。私を攻撃する奴は撃退する。当たり前のことだ。女なんか恐くない。女の弱点を私は知っている。だから恐くない。頭がボーっとする。大丈夫だろうか。酒はほどほどにしよう。復帰できなくなる。人と会話もおぼつかない。昨日母が電話かけてきたとき、何か腹が立って会話できなかった。何か不愉快になる。心配しているのか、ストーカーなのかわからない。心配しているのなら感謝するが、ストーカーなら嫌だ。当たり前だ。そんな母親になったのが嫌だ。でも感謝はしている。でも46にもなって母親の小遣いをもらう奴は日本広しといえども私しかいない。でも障害者と思えばいいだろう。本当にそうなのだ。怠けているわけではない。私も高校くらいまでは点取り虫でがりがり亡者だった。それが病気になってから気弱になり、銀行を辞めてからもう一切欲を持たなくなった。それはそれで良くないと思う。欲と言うと悪いが、夢といえば誰でも持っているいいものだ。夢を持とう。 感謝だ。善良さだ。心の落ち着きが悪いときはこの二つでいい。天国言葉だ。文学系の人とは相性が悪いみたいだ。中上健次のセミナーに行ったときも思った。性格が悪すぎる。自分が文学が好きだから仲良くなれると考えるのは浅はかだ。絆。絆は大事だ。今こうして生きていられるのは母や会社のお蔭だ。それが良くわかっただけでも休んだ甲斐があった。善良でなかったら人間としては生きられない。当たり前じゃないか。そうすれば女ともうまく行く。怒っても良いんだ。自分が善良であれば怒ってもいいのだ。この前、ミクシで中傷されたときも怒ってやった。そうしたら向こうが何か謝りはしないが、擦り寄ってきた。どこまでも根性の悪い奴だが、それ以上は怒らなかった。善良であれば、一所懸命働いても良いし、欲を持っても良いし、怒っても良い。傷つけられたら怒っていいのだ。善良であること。感謝すること。仕事はできる奴ができることをしたらいいのであって、できない奴はできることをして、感謝していればいいのだ。それを感謝しないから、からんできた。hが。それがきっかけで長期休養になった。私は怒っていいのだ。あそこに戻る必要はないのだ。善良であれば、怒っていいのだ。 今まで悪いことばかりやってきたから、これからの人生はいいことばかりやろう。この休みでもずいぶん傷つけられた。自分で損なったこともある。これからは自分を大事にしよう。善良であること、感謝すること。一所懸命働くこと。 昨日母親が電話してきて、調子が悪かったもので、ついつっけんどんな態度を取ってしまった。年賀状を書かなかったので、つい先日も電話をしてきた。何か監視されているみたいで嫌な気分になる。こんな気持ちも病気のせいか。若い頃からそうだ。母親との関係はうまく行かない。肉親だからこそうまく行かない。へそ曲がり、天邪鬼なのだ。悪気はないが、善と反対のことをやってしまう。だから善良であれというのだ。私が善良な人間と言うことは誰も知らない。であれば善良であることをはっきりさせないといけない。 悪いことをしても自分に帰って来るだけだ。悪いことはしない。決してしない。そんな風に思ったのはつい最近のことだ。病気のせいだ。母親に冷たい態度をとるのも病気のせいだ。申し訳ないことをした。 人間は悪いことをそもそもできるだろうか。私は父や母に悪いことをした。それは病気のせいだと思う。自分でも自分がなぜそんなことをしたのかわからない。それは皆自分に帰ってきた。だからもう報いを受けたと思う。それは病気でもある。だから悪いことはできないものだ。悪いことをするのは病気がそうさせているのだ。正常な人間は悪いことはしないものだ。悪いことをしたと思ったら、それは病気がさせているとしか思えない。悪いことをしたと思ったら、努めていいことをしよう。良いことは意識的にやろう。 人は悪いことはできないものだ。少なくとも自分はそうだ。悪いことは病気にならないとできない。病気が治れば、できない。悪いことをするために病気になったようなものだ。それともうひとつできない理由は全て自分に帰ってくるから、悪いことをしても得をしないという意味だ。悪いことをして得をする奴というのはいない。私は長いこと悪いことをしてきたが損ばかりしている。全部自分に帰ってくる。両親の楽しい老後をむちゃくちゃにしてしまったが、自分の人生も糸の切れたたこみたいになってしまった。悪いことをすれば必ず自分に帰ってくる。仕事をサボったばかりに自分が病気になる。hやkのことはいいから自分が病気を治して、善良になり、職場に戻ることだ。 大きな気付きが押し寄せている。静かに。やはり良きことが雪崩のように起きているのだ。私は統合失調症の面もあるが、うつや神経症の面もある。最初に入院したときにそういわれた。今もそうだろう。だから薬を飲みつつもカウンセリングや認知療法が有効なのだ。宗教も有効だ。機械的な何とか療法では実感が湧かないが、宗教には血が通っている。森田療法は血が通っているから有効なのだ。血が通っていなかったら、理解できない。私は統合失調症の傾向があるので、血が通っていない人間に見られやすい。今この年になっても親不孝をするのはやっぱりおかしいといわざるを得ない。だから薬を飲む以外ない。その上で安定してきたら、宗教や、呼吸法や、心理療法、カウンセリングをやれば良い。そういう順序でやっていこう。 漸く治りかけている。普通の人の考えを知るようになった。ぼけてよかったともいえる。もしぼけなければ自分に違和感など感じなかったはずだ。これは神の定めたものだ。こうして私は治っていく。 太宰や安吾は薬中毒だった。めちゃくちゃだった。少しくらい、オーバードーズくらいどうと言うことはない。普通の人たちの考えは面白い。すごく自然に聞けるようになって来た。 善良であること。人と自分が好きなこと。感謝すること。悔い改めること。私は病気なので色々悪いことをしてきた。でも犯罪者で刑務所にいるような人間は、精神的におかしくない人間はいない。私もそうだ。でも悔い改めることができる。出直すことができる。できたら違う職場に行きたいが、同じ職場でも可能だ。 私もだんだん良くなっている。だんだん良くなっている。歩みは遅いが、薬のお蔭で良くなっている。良かった。良きことが雪崩のように起きている。一人さんも良いとこ取りだけじゃなく、実際役立つためには、辛い部分もやる必要がある。例えば人の倍働けとか、こつこつなんていってないで、バリバリ働けとか。できるのかという気もする。とりあえず病気を治してからだ。 外に出て用事を済ませた。ちょっと郵便局に行くだけで色々ある。おばはんとの緊張関係。胡散臭げな目つき。何で挙動不審にならないといけないのか。私もちゃんと税金払っているっての。でも小さい子は可愛い。何考えているかわからないけど。でも善良であれば何も疚しいことはない。 昨日酒を飲んだのがすごく脳に来ている。酒は飲まない方がいい。でもリラックスする面もあるから、適度であればいい。父は完全に依存症だった。父と私は非常に良く似ている。父はアルコール依存症になり、私は物書き依存の統合失調症になった。どっちがどうとはいえない。でも私は何とか立ち直りたい。 脳にダメージといっていたけど、だいぶ回復している。ぼけたお蔭でわかったこともあるし、統合失調症の良い薬に出会えたのもそのお蔭だし、これで膿を出し切って、良い方向にいくだろう。これからはあれやろう、これやろうということをどんどんやっていいから。ずいぶん良くなっている。真面目になった。私は善良になった。善良で道徳的で、人と自分が好きだ。感謝の気持ちだ。まず母親に感謝だ。生んでくれた母親、父親に感謝だ。無限の愛で育んでくれた両親に感謝だ。感謝を忘れたら人間ではない。今日母に手紙を出した。一歩成長したのだ。やっと人に感謝できるようになった。母親が私を生んだ日のことを仕切りといって寄越す。感謝しろと迫っているのかと考えたりもするがそれは妄想だ。唯一の絆はそういうものになってしまう。もし感謝を忘れたら。私は感謝を思い出す。 リハビリのドラマを見ている。面白いが辛い。感情移入せざるを得ない。自分のことをやっているみたいだ。別に病気じゃないけど(笑)。主人公は一度目の発作でおとなしく家に引きこもっていれば再発はなかったかもしれない。でもじっとしていることはプライドの高い彼女にすれば無理なことだったろう。私もおとなしく家に引きこもっていれば、あんな変な奴に出会うことはなかったし、第一似非カウンセラーに会うことはなかったし、こんな再発もなかった。人生わからないものだ。それで当の本人から、これでは復帰できないとか言われるのは理不尽に感じる。それで辛いのにあったりして、無理して面白い話をする。何の役目なんだ。 リハビリのドラマ面白かった。自分が変わっている。良い方に変わっていると信じている。良きことが雪崩のようにおきている。あれだけ深刻な脳のダメージを蒙っても起き上がりこぼしのように立ち上がるその根性。見習わないといけない。絶対に見習え。 あんな境遇に陥った人でも楽しむことは楽しんでいる。息子とのピクニックや散策。人生の喜びは味わっているのだ。私も自分を追い込んでしまう。少しの愉しみも味わってはならないとなぜか思い込んでしまう。そんなことはない。十分楽しむ時間はあるのだ。あんなおかしな人とであったばかりに再発した。早く落ち着きたい。落ち着くまでちょっとの辛抱だ。でも今は少し、自分を客観的に見られるようになった。今日も郵便局で列に並んでいるうち、焦っている自分を客観的に見ている自分がいた。少し成長した。というか落ち着いた。薬のお蔭だ。感謝しよう。感謝だ。何はなくとも感謝だ。感謝できなくなるまで自分を追い込んではいけない。 意識して落ち着いてみよう。薬の助けも大事だが、意識でできることもあるのでは。深呼吸するとか音楽を聴いてみるとか。
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