今日はいい天気だ。でも気分は暗い。どこかに行きたいという気にならない。山なんか行きたいと思わない。昨日もよく眠れなかった。明日医者に行って来ようか。 脳がダメージを受けたとしても自分では仕方がない。余り思い迷わない方がいい。楽しみを求めることだ。感謝と楽しみ。これが自分のすべきことだ。 私が善良でないといって攻撃してくる。私が父親を見て不安を覚えたのと同じ理由だろう。全くこの人は何も見えていないと気付いたときの不快感。そんな人間の元に身を寄せないといけないことの不安。そしてそれが的中したときの怒り。でもあの人はそういう人なのだ。何も見えていないまま生きてきた人なのだ。私もそうだ。同じ目で見られているのだ。 楽しい。楽しみを追求すれば楽しい。こうして働かないで誰とも会わず、部屋にいることは楽しいなと思う。 善良であることは楽しいな。生きていることは楽しいな。 少し小説を書いてみた。頭がぼけているのでそれなりのものしか書けないだろうが、それでもいいじゃないか。それとも心が動揺するから書かないほうが良いだろうか。疲れない程度に楽しみながら書いていこうか。楽しくなければ読むほうも楽しくはない。 少し頭がはっきりしたように思う。しんどいけれども。小説を書くにはそういうメンタリティーになる必要がある。それがいいことか悪いことかつまり、病気にとってよいか悪いかはわからない。 書いた小説を消してしまった。失敗した。へこむ。書き直そう。ぼけているからミスすることが多い。信じられないミスだ。ぼけてしまった。凡人と変わらなくなってしまった。凡人以下だ。何もできない。何もする気がしない。今消耗期、または回復期だからやる気が起きないのだ。自然に回復してくる。 今日眠れなかったら、明日診察に行ってみようか。あと二週間我慢するのは辛い。あの医者なら何とかしてくれるだろう。 楽しむことだ。善良であること。人が好きであること、自分が好きであること。感謝すること。 産業医に会ってきた。復帰はまだ考えなくていいといわれた。よほど元気ないと見られたのだ。実際元気ない。女子高生でも恐い感じがする。おばさんにいたっては何をかいわんやだ。 しんどい。今日も早く寝よう。楽しみを求めることだ。感謝だ。秋になると鍋がおいしい。生まれてきてよかった。これは一人さんの言葉だが、つまりこういうことだ。感謝と生きる喜びが一体となっている。今幸せだ。夕餉前のひと時。ロハスの番組を見ながら寛いでいる。これ以上幸せなことはない。 食後ニュースを見ているとほのぼのしたネタをやっていた。ほっとする。これがいいんじゃないだろうか。楽しもうという気持ちと楽しませようと言う気持ちが合致するときに楽しみが生まれる。 今日も食事ができてよかった。感謝している。嬉しい。楽しい。 私は完全に安全を確保されている。職場においても外出中でもどんなシチュエーションでも同じだ。ミクシー上でも同じだ。だからびくびくする必要はない。難しいことに興味が湧かない。それも仕方がない。医者は良くなるということを言っていたからそれを信じよう。それにかなり良くなっている。
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