希望の日記

2007年02月22日(木) 曇り

何か気分がさえない。朝目が覚めたがはっきりしたのは昼前だ。これは脳がぼけているからこうなるのだ。どうにかならないか。復帰できるかわからない。単純なことしかできず。細かいことがわからなくなった。人の感情の機微などわからない。こうなるのも運命だったのだ。ぼけるのはジプのせいかもしれない。12時まで寝るというのは相当だ。
どうも具合が悪い。少し横になった。頭がぼけている。こんなので生きていけるのか。世の中のスピードが速く感じる。何もできない気がする。医者目線で見よう。そうすればどうすればいいかわかる。落ち着くのはどうしたらいいだろう。
少し横になった。少し楽になった。薬の加減もあるのだろう。寝すぎか。楽になりたい。寝ているのが一番楽だ。今はこんな状態でも仕方ない。病気のせいだ。両親に悪いことをしたのも病気のせいだ。今は薬のせいで良くなったので当時のようなことはない。私は罪を犯したが、私のせいとばかりはいえない。病気のせいも半分あるのだ。私ばかり責めないでくれといいたい。病気が寛解したときに悪いことをしたとわかるのだ。しんどい。起きているのもしんどい。寝ていてもいいよ。
少し寝た。本でも読んでみようか。カリスマ教師が教育は楽しませることだと言っている。最近私が考えることだ。商品でも楽しいから買うんじゃないか。お笑い芸人が人を楽しませる。それと同じだ。総理も小泉は人を楽しませたので人気だったのだ。人の機嫌を取っていいのだ。そういう意味では。機嫌の悪い奴の機嫌を取ってはいけないという意味だ。教師は生徒の機嫌を取っていいのだ。楽しませるということだ。機嫌を取るのとは違う。商品も客を楽しませるから買ってもらえる。ほとんど必要なものがない豊かな社会で物を買わせようとしたら楽しませることだ。ドンキホーテでも意味のないものを買わせるには陳列で楽しませることを考えている。世の中はそうなっている。韓流ドラマでも人を楽しませるから人気なのだ。教師もそうだ。政治かも製造業者も商人もそうだ。人を殺したり、殺されたりという時代はとっくに終わっているのだ。アメリカみたいなやり方ではだめなのだ。ソフトパワーとはそういうことだ。吉本みたいなやり方がいいのだ。吉本のお笑い芸人が藤原紀香と結婚できる時代なのだ。下流社会になるとますますそうなる。小泉みたいなのを求める。いいとか悪いの問題じゃないのだ。
村上隆だって、買い手を楽しませるようなものを作るので高い値で売れる。人を楽しませるのは悪いことではない。良いことだ。いい仕事をして人を喜ばせる。これは素晴らしいことだ。私はもう戦うのは嫌だ。戦う必要のない奴と戦うなんて自虐以外の何者でもない。戦う人生ではなく、人を楽しませ、喜ばせる人生にするのだ。それが統合失調症の寛解ということにつながる。
私が戦い始めたのはいつだろう。小学生からもう戦っていた。戦う必要なんかないのだ。人を楽しませ、喜ばせる人間であれば、うまく行く。自分も苦しくはない。統合失調症になんかならない。感謝という気持ちもわかるし、楽しむということもわかる。善良ということもわかる。全て同じものに通じる。人を喜ばせ、楽しませることだ。みのもんたがなぜあんなに人気か。人を楽しませるからだ。キムタクにしてもそうだ。人を楽しませ、喜ばせることだ。自分にもできる。簡単ではないが、簡単なことからだったらできる。戦うことに何か意味があるだろうか。自分も苦しいし、辛い思いをするし、人に苦しみを与える。どうしてそんなことをしないといけないのか。自分が楽しみ、喜ぶことが人を楽しませ、喜ばせることに通じる。
死にたい。こんなこと書くのは初めてか。本当は死にたくない。生きたい。
髪が薄くなった。ぺったんこだ。これは情けない。


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