希望の日記

2007年03月31日(土) 今日

今日はしんどい。昨日は酒を飲んだ。一段としんどい。odしてからおかしくなってしまった。馬鹿になってしまった。私は一体どうなるのだ。
人に親切にするということと人の親切に感謝する。この二つができれば世の中わかるんじゃないか。苦しさがすっと抜けた気がした。この二つのことに気付いたとき。人に優しくする。優しくされたら感謝する。これは基本だ。挨拶をする。挨拶をされたら挨拶を返す。これは基本ではないだろうか。男は仕事をする。女は子供を生んで育てる。これで何の問題もない。長いこと休んで得た結論はごく単純だった。明快だった。
原ザリのときもあいつは精一杯私に親切にしようとしていたのに、私が感謝せずにむげにしようとしたので、雰囲気がおかしくなったのだ。普通に感謝していたらおかしなことは怒らなかったのだ。森田の集会のときも、私の本心は変な奴らを見物してやろうという親切でない感情がそこにあったので見抜かれたのだ。egのときも同じだ。でもegでは私は感謝できたから何となくうまく行ったのだ。親切にされたら感謝するということが大事なのだ。親切でないまでも優しくする。これが基本である。恋人、夫婦、親子、友達の間は優しくする。親切にする。すごく大事なことに気付いた。私が仕事ができないのは、しようとしていないからだ。しようとしないことは誰もできない。自然にできるとか、誰かがやってくれるとかは仕事じゃないじゃないか。自分が人に親切にすることが仕事だ。これで仕事も人間関係も良くわかった。原ザリのこともこれで解決済みだ。平和が一番で戦いは嫌だ。戦いは何も生み出さない。イラク戦争を見たらわかる。戦争なんて前世紀の遺物なのに、まだ執着するのか。愚かな人間よ。人付き合いというのは親切にするということだ。お互いに。それが恋人でも夫婦でも家族でも同じことだ。私は人に親切にできないから恋人も妻も友人もできないのだ。人を恐がる。人と仲良くするということはそういうことだ。医者との関係でも同じことだ。親切にする。優しくする。人にはそういう気持ちが備わっている。それをすっ飛ばしてサディズムみたいな気持ちで何かを貪るというのは通らない。これが小さい頃から私を悩ましていた問題の答だ。サディズムが私に宿ったので私は苦しむことになったのだ。その答は人に親切にすることだ。人に優しくすることだ。お坊さんも親切にしてほしかったのだ。でもあの人は自分にだけ親切にしてほしいと言った。それは大きなお世話だろう。私が誰と付き合おうと。愛を独占したいのは人の常か。私がおかしいのか。優しさの淫乱なのか。誰にでも優しくするのは。私は無能なわけではないのだ。やる気がないだけだ。やる気を出せばなんでもできる。テレビでいろんな人が話していることが少し理解できるようになった。欲も勿論あるが、親切だ。松下氏にしても稲森氏にしても一人さんにしても仕事をするとは我欲を追求することではない。人に優しくすることだ。昨日の光学機器の社長さんもより人を助けるものを作りたいということで医療機器を作っている。ipodより良いということだ。それが完全というわけではないが、いいところをついている。
私が優しさがないというわけではない。人と変わっている訳ではない。統合失調症の傾向があるがそれは強いストレスが加わった場合だ。人に優しくするというのは全ての基本だ。同僚であれ、上司であれ、医者であれ、通行人であれ、男であれ、女であれ、優しくするのが基本だ。親切にするということ。朝、苦しかったが、それに思いついたら楽になった。
しんどい。目がかすむ。でも楽にはなった。人に優しくすることで自分が楽になるなんて魔法みたいだが、本当のことだ。女子供には親切にする。端的に言えば養うというのが普通だろう。それがやっとわかった。優しくする、親切にするというのが自分が楽になることだ。
目は霞むが少し元気になった。人に優しくすることが自分の生きる道だ。人に優しくするとは人を愛することと働くことだ。たいていの男は妻子や置いた両親を養い、働いている。これが普通の姿だ。私は病気でそれができていないが、本来はそうしないといけない。人からしてもらうばかりではいけない。人を愛し、働かないと生きていけない。当たり前のことではないだろうか。頭がぼけたとしても同じことだ。きっとできる。今までは間違った考えをしていたので何もできなかった。これからは正しい考え方ができるので楽になると思うし、いろんなことができるだろう。hやkでも優しくしてやればいいのだ。上とか下とか関係なく、人に優しくすればいいのだ。人に親切にする。これは素晴らしいことだ。人を愛することは素晴らしい。できたら人を愛して結婚したい。子供を作って子供を愛したい。私にもできる。できなかったとしても病気のせいであって私の考えは間違っていない。人に優しくするというのなら今すぐにでもできる。仕事もできる。復帰できそうな気が俄然して来た。坊さんと付き合ったのはおかしなことのように思う。でも当時はわからなかったのだ。彼も盲目な人の一人だ。かわいそうだ。でもかわいそうな生い立ちだからそうなったのだ。私はもう自分を取り戻した。私が勘違いしている部分、間違っていた部分を理解できた。人を愛さないこと。自分だけを愛すること。働かないこと。つまり人に優しくできないこと。人に親切にできないこと。今は違う。人に親切にできるようになった。働くことが一番親切なことだ。会社は自分を支えてくれている。それに応えて、元気を取り戻して人に優しくするのだ。人に優しくすることが自分を楽にするのだ。自分だけ良いという考えは自分を滅ぼすのだ。自分だけいいのであれば、働かないで金をもらうことになるからだ。私の思想は大体そんなところだ。これを改めないといけない。人に親切にできることだ。人に優しくできることだ。赤ん坊は可愛い。愛される。でも大人の男は愛されるだけでは飯は食えない。女でも男に愛され、結婚し、子供を生んで育てて初めて一人前なのだ。お前はどうなのだ。愛されることなどではなく愛することを学ばないといけないのだ。愛し、人に優しくするのだ。坊さんや原ザリのごたごたはもうこれで終わりだ。けじめがついた。心の中で決着がついた。これからの人生の方向もはっきり決まった。恐れず進むが良い。あの医者を信じて進むがよい。信じられなくなったら、そのときは病院を替わればよい。
一年前よりまともな人間になったのではないか。あの頃は今より元気だったかもしれないが、まともではなかった。自分で自分がわかっていなかった。だから傷ついた。今は違う。恩義を知っている。親切にされたら、親切にするということを知っている。この調子で行けばきっと良くなる。前の調子で行ってもうまくはいかなかった。今は人に優しくできる。親切にできる。
しんどくなってきた。いのちの電話に掛け捲っている。でもどこも出ない。休みの日は多いのだ。平日でさえ出ないのに休みの日はなおさらだ。私は少し立ち直ったと思ったのに。人に優しくするということ。それは良くわかった。
いのちの電話にかけた。きつそうなおばさんだったけど、一応話を聞いてくれた。私が酒を飲むのが悪いと言う話は共通している。甘えているのだ。でも甘えずにはいられない。人に優しくしよう。
大阪自殺予防センターに電話してしまった。自殺の危険はなさそうということであっさりと切り上げられてしまった。でもやさしそうないいおじさんだった。何かおじさんの方が優しい。さっきのおばはんは私を攻撃していた。でも話を聞いてくれただけでいい。今でもしんどい。でも何と言うか人に優しくするとか親切にする。優しくされたら感謝するということを考えていると自分が普通の人間らしく思えてきた。恩とか感謝とか大事なことだ。一番大事なことだ。人間がたくさんいる。一人で生まれてきたものはいないし、一人で生きられるものもいない。そのことを忘れそうになる。感謝が大事だ。人に優しくするというのは大事なことだ。人に優しくされたら感謝する。この二つだけでだいぶ違う。人間関係はそうじゃないか。人を愛すること。家族を愛すること。私は親や兄弟や甥や姪を愛すればいいじゃないか。姪は本当に可愛いと思う。甥も見たけど可愛かった。私は人非人ではないのだ。ただ少し病気のせいでおかしいだけだ。人の情愛はわかる。文学を解するくらいだから理解できる。
人に親切にする。優しくする。優しくされたら感謝する。
しんどい。姉にメールしたら一応すぐ返事が帰ってきた。見捨てられてはいないということだ。でも母親と一緒ではないと来ないというから私が大事なのではなく、母親が体が利かないから来るということなのだ。それでもいいけど。
少し楽になった。酒を飲んでも大丈夫じゃん。
良くなった。人に親切にする。人に優しくする。これで完璧じゃないのか。私は人が嫌いなわけではない。人に優しくすればすべてはうまく行く。特定の愛する人がいなければ人類愛でいいじゃないか。私は姪でも可愛い。赤の他人の子供でも可愛い。それほど博愛主義のいい人間なのだ。
人に優しくする。親切にする。これが大事だ。


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