心のガーデンは修羅ですよね。
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2005年06月13日(月) |
●Why so green & lonely?(長谷川の小話) |
Why so green & lonely?
仕事を失って、家庭を失って、一人きりで自分について考える時間ばかりが 膨大になって、初めて気が付いたことがある。 俺には趣味と呼べるものが何もなかった。空いてしまった時間を何かに費やして 楽しむという事が、俺にはできないのだ。 予定の何もないまっさらな一日を、俺はどうやってすごしたらいいのだろう。
入管をクビになってあたふたしているうちに、今度は妻に逃げられた。 話し合いやら、金の調達やら、引越しに駆けずり回っているうちはまだよかった。 自分自身を省みる時間などなかったから。
今までの生活との縁が切れてしまった時、それは急に俺の中に現れた。 ぽっかり、としか形容のしようのない虚無感。 明日から何をしたらよいのかわからない。わからない。何もわからない。 笑えない。日が暮れて夜になることだけにほっとしている。
背筋を伸ばして生きるつもりが、結局、何の準備もないままの人生リセットに 終止してしまった。
いっそ「THE END.」だか「Fin.」だかに終止してくれたほうが どんなに楽だったろう、と考えることがあるけれども、 同時に自分が切腹なんてできる人間じゃないことも、十分承知していた。 政治責任と言えば聞こえはいいが、代わりのいくらでもいる「入管局長」が腹を かっさばいたところで、何かがバラ色にかわるなんて、そんなこと、笑い話にも なりゃあしない。
願っても、頼んでも、もう同じ場所には戻れない。 何もかも変わってしまったことに慣れるしかない。 部屋を変えて、電話も住所も食器も新しく(当然だが著しいランクダウンだ) なった時、俺はそれを誰にも報告しなかった。できるわけがない。 久しくメールを打つこともなかったケータイも捨てた。鳴らないケータイは 持っているだけでうすらさむい現実の自分を再認識させる。 (それはいつも唐突に俺をへこませた)
弱っていた。 自分でも驚くほどに体から力が抜けてしまっていた。 部屋の中に差し込む光が畳を明るく照らす時、その四角い空間だけが ほんの少し自分をなぐさめてくれるような気がした。光に手を伸ばすと そこはいつもあたたかかった。 そんなことにすら思わず胸がしめつけられてしまうほどに、俺は、俺の心は、 俺の体は弱っていた。
平日の昼間は居心地が悪かった。 職場の人間に出くわしそうなターミナルやかぶき町には足を向けないように していた。誰かに会って「今、どうしてるの?」なんて聞かれた日にゃあ それこそ、その場で崩れ落ちてしまえるだろう。
久しぶりに外に出たのは水曜日だったと思う。 水曜は入管の定例報告会のある日で、その日だけは重役たちがターミナルの外に 出て来ることがなかったからだ。 向こうは俺のことなどとっくに忘れているだろう、会ったところでなんとも 思いやしないだろうと、自分に言い聞かせてみても、どうしても踏ん切りの つかなかった俺は、結局そんな理由にすがったのだった。 そしてもう一つ理由があった。 天気が良いというのに、外からは物音ひとつ、布団をたたく音や、郵便配達の バイクの音すら聞こえてこなかったのだ。 なぜだったのかは今になってもわからない。 たまたま近所の住人たちが「今日は布団を干さなくてもいいや」と考えた日だった のかも知れないし、配達されるものの何もない日だったのかも知れない。 「たまたま」そんな日があっただけなんだろう。 「たまたま」俺の人生がこんな方向に転がってしまったのと同じくらいの軽さで 世の中と言うのは回っているのかもしれない。誰のせいでもなく。だから、何も 言えないんだ。
理由付けやそんなお膳立てを並べて初めて、俺は明るい外の景色の中へ足を 踏み出すことができたのだった。
了
***
長谷川さんはクビになったあとしばらくボーゼンとした日々を送っていたと思う。 そして何かと心配性だといいなぁー。
そんで、もう少し時間がたったころには「あれー、銀さん、今日も来てたの? で、その台どうよ?」とか言えるようになってるといい。(堕落じゃなくて回復)
もし、読んでくださった方がいらっしゃいましたら、長谷川さんのあまりの暗さ には目をつぶってやってくださいまし。
実のところ、目の前の現実にへこみすぎたタイゾーさんが、差し込む光に手を 伸ばすシーンを想像してもだえていたのでありました。マダオ、最高!
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