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憂いの泉
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2005年11月07日(月)
難病克服の募金、なんとなく寂しい感じ。


難病の手術のために街頭やテレビで募金をよびかけ
何千万という寄付を受けて、
一人の子どもの命を助けるという話がしばしばあります。

その子はみんなから受けた善意に応えられるように
きちんと生きていこうとするでしょう。

でも、もし私がそういう病人の立場だったら、
そんな大金を必要としてまで自分なんかの命を永らえさせるのは
かなり気が引けてしまいます。

私がそれだけのお金に見合うだけの生き方ができるのか甚だ疑問だし、
そんなプレッシャーを背負いながら一生生きていくのは
相当たいへんなことじゃないかと思ったりもします。

私はそこまでして生きたくはない…というか、
その何千万円のお金を自分一人だけのためではなく
もっとたくさんの人の命を救うことに使った方が合理的だと、
私には見えるのです。




これは、募金を募って手術代を稼ぐことがどうとか、
人の命の価値がいくらだとかを論じようとする文章ではなく、
私個人の死生観を一面的に紹介するための文章です。

…っていうか、「難病克服のための募金」の話を耳にするたびに
なんとなく寂しい感じがする気持ちをどうにか表現したくて、
「命の値段」だとか「死生観」だとかいう
めんどくさい言葉を遣わざるを得なくなっているだけです。





エンピツ