月に舞う桜

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2006年01月18日(水) できるだけ新品を

昨日、芥川賞と直木賞が発表された。
直木賞、東野圭吾『容疑者Xの献身』!
おー、パチパチ♪
ノミネート6度目での受賞とのことで、感激もひとしおなんだろうなぁ。
『容疑者Xの献身』はミステリー関係の賞で3冠を取っているから、これで4冠だ。すごい。
……私、わーわー言うわりにまだ読んでないのだけれど。
ハードカバーって高いしスペース取るので、買うのに躊躇してしまう。なら、ブックオフへ行くか? となるわけだけれど、でも、本当に読みたい小説はできるだけ新品を買うことにしているのだ。古本屋さんというのは、新品ではもう手に入らないものを買うことができたり、要らなくなった本が別の人の手に渡って再び活かされたり、という意味ではものすごく役割が大きいけれど、出たばかりの小説がずらっと並んでいるのを見ると、何だか悲しくなる。命を削ってものを生み出すという行為、そこに込められた思いや人生、そういうものすら消費の対象になっている感じがするのだ。
私にとって、本は「安ければそれでいい。読んでしまえば、もう終わり」というものではない。そこには、書き手としての視点が大いに含まれているのだろう。ものを創ることのある種の壮絶さを知っているから、安易に古本に手を出すことができない。読みたいものならそれなりのお金を払って真新しい本を買うことが、創り手に対する私なりの敬意の払い方なのだ。
私の中で一定のルールがあって、すでに亡くなっている作家の小説と、個人的に読みたいわけではないけれど必要に迫られて(小説の資料にするとか、教養のためとか勉強のためとか)読む本は古本屋で買ってもいいことにしている。
以前、村上龍の『KYOKO』と山田詠美の『A2Z』をどうしても読みたくなったことがある。2冊とも本屋には置いていなかったのだが、私はどうしてもどうしても、その日に手に入れたくて、アマゾンで注文して数日待つことすらできなかった。それで仕方なく、ブックオフに行った。どちらも手に入って帰りはルンルンだったけれど、心の片隅に後ろめたさと言うか申し訳なさが残っていて、「ごめん」と思いながら読み始めたのだった。どちらも心にぐっと来る小説だったし、せめて売り飛ばさずに大事にしようと思う。
そういうわけで、『容疑者Xの献身』をどうするかだ。まぁ、売れっ子で印税もたくさん入っている東野圭吾だ、私一人くらい古本で済ませてもどうってことはあるまい(私のルールってこの程度か……)。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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