月に舞う桜

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2020年05月27日(水) ビニールマスクをかぶせられた日々

押し込めていても、記憶の蓋は簡単に開く。
日本小児医会が2歳未満はマスクを着用しない方がよいとの見解を出した記事を読んで、その記事内容とは直接関係ないけど思い出したこと。

幼少期、ドーマン法という民間療法をやらされていた。
その中に、ビニールマスクで鼻と口を覆って自分の呼気を吸う(=酸素を薄くする)ことで心肺機能を高めようとするプログラムがあった。
医療者立ち会いでもなく、脳性麻痺治療の医学的エビデンスもなく、場合によっては、これ、虐待になるんじゃないのか。

(だいたい、出生時に脳内が低酸素状態に陥ったがための脳性麻痺なのに、さらに低酸素状態にしてどうするのかしら)

ほんと、大切な子ども時代に、何であんなに時間と労力を奪われなきゃいけなかったんだろう。

思えば、歩けるようになりたいなんて子どもの頃から一度も思ったことがないし、ドーマン法をやらされている頃から障害が“治る”なんて1ミリも信じていなかった。

ただただ周りの大人たちに“治る”ことを願われ、期待され、私は彼らが諦めるのを待っていた。

もちろん、歩けるようになりたいと思ったことがないからといって、この身体でこの社会を生きることに問題を感じないわけがない。
この世を生きねばならないなら、障害のある人生より、障害のない人生のほうがいいに決まっている。
ただ、私にとって、歩けるようになる(=自分が犠牲を払って体を社会に合わせる)ことが解決策だと思ったことはないし、いまも思わない。

「医学モデル」「社会モデル」という考え方を知る遙か昔から、自然と医学モデルを拒否していたのだろう(社会モデル的な価値観までは、はっきり持ってはいなかったけれど)。
でも、医学モデル的な日々に時間と労力を奪われていたからこそ、歩けるようになりたいとは思わず、医学モデルを拒否していたのかもしれない。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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