37.2℃の微熱
北端あおい



 ビューティフル・ドリーマー

夜の赤坂の路地に風鈴屋。
りーんりーんと耳にこだまする涼やかな音に、おもわず立ち止まる。
「ビューティフル・ドリーマー」(押井守、1984)のワンシーンが脳裏をよぎる。
白光のなか、影絵のように黒く浮かび上がる家々のあいだのせまい路地を横切っていく風鈴屋台、時間が止まった世界で、無数の風鈴が鳴りつづけるあの場面。
そう、思い出した。
あのシーンを見たとき、世界に対する距離感が失われ、同時に夢と現実の境界線もわからなくなっていく、あのふしぎな感覚をわたしもはっきりと思い出したのだった。そして、そのふしぎな感覚のあとで、ふいに怖ろしさに襲われる。
わたし、どこにいるの?(ここはどこ?)
わたし、どこにいたらいいの?(ここはいるはずのところじゃない?)
ここは夢と現実どちらなのでしょうか? それともどちらもおなじ?
風輪(風鈴のルーツという説がある※)は、仏教の世界観では世界を支えている最下底の層だという。
そうならば、あの風鈴の音は遠く世界の底から響いてくる音?
では、その音を聴きながら世界の底にたどり着き、この眠りからはやく醒めよう。

「この風鈴、ください」
「はい、いい音するよ。初夏の昼寝にはうってつけ」

※風鈴は、古い塔堂伽藍の軒裏の隅々に釣された「風鐸」(風輪とも言う)の涼しい音色をもとに作り出されたと言われている。


■その2

『お兄ちゃん、どうしても帰りたいの?』
『お兄ちゃんはね、好きな人を好きでいるために、その人から自由でいたいのさ。わかんねえだろうなぁ。お嬢ちゃんも女だもんなぁ』
『教えてあげようか?』
『えっ!? 知ってんの? 現実へ帰る方法を知ってんの?』
『誰でも知ってるよ? ただ、目が覚めると忘れちゃうの。こうやって、ここから飛び降りるの。そして、下に着くまでに、目が覚めたらどーしても会いたい人の名前を呼ぶの。名前が呼べない人は、きっと目が覚めるのが嫌なのね』
(『ビューティフル・ドリーマー』押井守、1984)

飛び降りたいのに、でもまだわたしは呼べる名前を持ってはいない。呼べないまま、飛んだとしてもきっとまだこの眠りのなかにいる。目覚めたいのに、まだ夢を見ている。
ここを読んでくださっている貴下、貴下には呼びたい名前がありますか?


2005年05月21日(土)
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