『96時間』Taken 2008年/仏 ピエール・モレル監督
娘を拉致された父親が犯罪組織に立ち向かい娘を取り戻す物語だ。
仕事(工作員?)にあけくれ、家族をかえりみなかったため離婚をし
富豪と再婚した妻のもとで暮らす娘を愛しているという男の背景が
取って貼り付けたような説明描写になっていると思う。
履歴がちゃんと存在してはいるのだろうが?
必然としての描写が成り立っていないと思う。
一番気になったのは、この物語の製作者の意図だ。
愛する娘を救出するという御旗の元に行われる男の暴力、殺戮の数々。
暴力描写がダメとかいう意味じゃない。
愛する娘を救出するためなら何でもありなのか?
愛するもののために闘うという大義名分の踏み絵を
差し出されているみたいで、違和感や反発を感じてしまうのだ。
「愛する娘のため」「家族」にフォーカスせずに
暴力描写を生かす?方向にもっとベクトルを向けた方が
かえって作品が生きるのではないか?
あくまでも「愛する娘の救出」は男のキャラクターを
描写するために存在するひとつのきっかけ、
その位のニュアンスだったら物語的に納得したかも。
(肉食民族を解さないアジア人的発想なのか?)
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