柊小説

2006年03月01日(水) アカイヌクモリ  ―――�此檻押宗�

 翌日、僕は二四時間前にシンジの流した涙と、リョーキのあの厳つさの中にあった、人の身体を気遣う意外性を空想の世界であったことのように思い浮かべていた。二人に自分の貧弱な姿を硬直されるほど見られたことで、僕の精神状態は最悪だった。シンジのように跪いて泣きじゃくりたかった。揺れ動いていた�狎犬�るべきか�瓩箸いΦせ�ちと�犹爐砲燭き瓩箸いΦせ�ちは最早、選択する気力をもなくすまでにすさんでいた。
�爐發γ�も来てほしくない。来たところで誰一人、俺を人間として見てくれはしない。──同情して、泣いて、最後に励ましの言葉をかけられても、それは苦痛な一日に上乗せされる苦痛に過ぎない。だったら何も望まない。どんな言葉も聞き入れずにひたすら死を望み続ける──��
誰に語るわけでもなくそんな言葉を走らせていると、この日初めてのインターホンがリビングを響かせた。その時リビングを離れていた母親は、鳴り響くインターホンに、はーい、と返事をしながら玄関へ向かった。そして、前日と同じように壁一枚挿んだ籠もり気味な会話が聞こえてきた。
「おっ、久ぶ──ちょっと、歩き煙草やめなさいよー。近所の奴らにばれるとうるさいんだから」
母親の喋り方から、訪れたのはサジだ。
「どうでもいいっすよ……」
�爐笋辰僂修Δ性�
「人事だねー」
「シドに会わせてください」
「今リビングにいるの。部屋に移動させるから、ちょっとここで待ってて」
もう誰も来てほしくない、そう思っていたものの、サジが訪れたことでその気持ちは一八〇度ひっくり返りそうだった。
 母親に押されながら部屋へ向かっている時、僕は入学式の答辞で誰かが読み上げた�犂�待と不安�瓩箸いΦせ�ちそのものになっていた。──数分後に僕の前に姿を現すサジ。そのサジがどういう接し方をしてくるのか?寂しい、悲しいという感情がないあの男のことだ、以前と全く変わりなく貶すように接してくるだろう。でも、もしかしたらその逆でシンジ以上に感情的で僕を見た途端、抱きついて号泣するかもしれない。そんな姿を見てしまったら、僕はサジ以上のショックを受けるだろう。想像もつかないし、想像もしたくない……。
そんな想いを巡らせていると、母親が僕の顔をじっと見つめて何かを伝えようとしていた。その目は、サジが部屋に入って、僕の姿を見て、部屋を後にする頃にはどんな状態になっているのかを知っているかのような目だった。その姿をしっかり目に焼きつけとけ、とでも言いたいような……。

 扉に背を向けた状態で、僕はサジが入ってくるのを腹に力を入れる気持ちで待っていた。そして、扉が開くと何の躊躇もなく、ふらつきながら歩み寄ってくる気配を感じた。
「久ぶりだな。──何だ、思ってたより元気そうじゃねえか、目もイッてねえし。ただ、痩せたな……」
サジは背後から僕の肩を叩き、変わらぬ健康的で綺麗な顔を覗き込ませた。その様は、前日訪れた二人とは正反対だった。話し方や接し方、何ひとつ以前と変わりない。そして、ぽっかりと空いた時間の溝を埋めるかのように淡々と話し始めた。
「昨日、ケツ穴兄弟が来たんだってな。今朝リョーキが言ってたよ。んで、何か話しによると二人して全然喋んなかったらしいじゃねえか。シンジなんてここにいる時間、ほとんど泣きっぱなしだったんだろ?あいつは感情移入が激しいからな。まあ、いいか。それでな、昨日リョーキが話そうとしたけど話せなかったことを今から俺が話すからさ──」
そういうとサジは、部屋の中央にいる僕を押して、窓際のベッドの傍まで移動させた。そして、自分はベッドを背凭れにして床に座り込み、煙草に火をつけた。
「あれ、もしかして、禁煙になった!なんてことはねえよな?窓開けるから勘弁しろよ」
サジは驚くというか、恐いくらい平然としていた。自分の仲間が植物人間になってもそうしていられる精神的強さは、同じ喧嘩の強いシンジやリョーキとは比較にならないほどだった。
「えーと、まず──じゃあ、時間の流れに沿って話を進めるか。──おっとその前に俺、アヤと別れたんだ。結構前なんだけど。やっぱヤりたがりは体質に合わねえよ。まあ、そんなことどうでもいい。──とりあえず俺とあいつら、それにヒトミがシドの連絡を受けたのが五月三十日の朝だった。峠から戻って三時間経ってなかったと思う。眠さもあったけど、話の内容がデカすぎて初めはマユミさんの言ってる意味がわからなかった。でも、そのうち徐々に把握してきて、パニック状態のまま病院に向かった。ついた時にはもう三人はいてさ、その時、意識不明だって聞かされた。何だかな……急すぎて、しかも近すぎる奴だったから実感が全然なかった。ただ、呆然だった。──シノブさんとカオリさんが号泣してるのを見て、シンジがもらい泣きしやがってよ、俺が肩を抱く役に回されたんだぜ。──まあ、それからずっと面会を拒否されてて、一昨日やっと来てもいいっていう連絡が入ったってわけだ」
サジはそこで一旦話を止めて煙草を消し、それから俯きながら再び口を開いた。
「学校中、しばらくお前の話題で持ちきりだった。あることねえことが飛び交って、仲間割れして俺らの誰かがやったとか、酔っ払って車に轢かれたとか、目をつけられてたチームにボコられたとか……。そんなのばっかりだった。俺もあえてそういうこと口にしてる奴ら絡んだりしなかったけど、ひでえもんだったよ。──それより、シンジのことだけど、昨日見ただろ?あの痩せ方はどう考えても普通じゃねえ。あいつ、お前が病院に運ばれてから鬱みてえになっちまってよ、空手も勉強も何も手がついてねえ。今あいつに何言ったとしても無駄なんだ、頭に入らねえからな。リョウコのことだって、あの日から何も進展がねえ。どうにかしてやりてえけどな……。ヒロトもヒロトで何考えてるかわかんねえし。あいつの机の上には、いつも医学書らしいもんが山積みに載ってて学校にいる間は時間関係なくして読み漁ってんだ。頭のわりい分際で何やろうってんだかな。俺が聞いても、うるせえ失せろ、の一言だ。つくづくあのチビのことがわかんねえよ」
サジと同様、僕にもヒロトのやろうとしていることがわからなかった。僕の身体を治そうとしている、なんてことはまずないと思った。ヒロトにはそんな良心的な感情は存在しない。
「それにしてもよ、最近、声を出して笑うってことがまるっきりなくなったよ。あの日が嘘みてえだ。俺もあいつらもなんとなくぎこちねえし……。高原学校もさ、気づいた頃には終わってたよ。結局、俺もあいつらも行かなかった。ヒトミもリョウコもな……。おいシド──」
サジの声が詰まるように震えかかっていた。
「テメー……ゲロくせーぞ。いつまでそんなセンスのねえ芝居してんだよ、くだらねえ……。何とか言えよ。ブン殴られてえのか……?これ抜くぞ……!」
僕の鎖骨付近の動脈に挿さっている点滴管を、サジは真っ赤な顔をしながら力いっぱい握った。その顔は、こいつは本気で引き抜くつもりだ、と思わせるほどの形相だった。僕はすがるような気持ちでサジに伝えた。
�猗瓦韻茵帖帖�さっさと抜いてくれ。つれえんだよ、この生活……。俺は、この生活リズムに慣れるのなんてまっぴらごめんなんだ!だから早く抜いてくれ……頼む��
力で震えていたサジの手が、管からゆっくり離れていった。誰よりもわかり合えていたこの男にさえ、僕の気持ちは伝わらなかった──。管を引き抜こうと力んでいた手は、胡坐をかいている足元にゆっくり移動した。そして──サジの上半身が吹雪の中にいるように、小刻みに震え出していた。
「──ねえよ。抜けねえよ、俺には……。抜けっていうお前の気持ちは何となく伝わってくるけど……俺にはできねえ。ヒトミは……あいつはどうすんだよ──!」
サジが俯いていた顔を僕に向かって上げた瞬間、その何人もの女を虜にさせたふたつの目から、ひとつ、またひとつと涙が零れた。零れ始めた涙は止めどなく流れて、それはほんの一瞬にして粒から豪雨へと変わった。それでもサジは声を上げることも嗚咽することもなく、ただ口元を震わせるだけだった。僕は自分の目を疑うと同時に、目の前で崩れたサジの涙に引きずり込まれた。
これが──�猯泙箸鰐輝錣涼豊瓩世函⊇于颪辰討�らずっと思っていたサジのスタイルが、僕自身によって崩されていった瞬間だった。ただ……綺麗な涙だった──。十四歳が流す涙とは思えないほど──。
「……あいつはさ、あの日から二十日以上、学校休んで……登校しだしてもしばらく教室に入ってこれなかったんだ……。保健室とか、生徒指導室なんかで体調を見ながら授業受けて──。教室に戻ってきても、いきなり泣き出したりして、まる一日いるってことがなかった。体調も最悪だったと思う。メシもすぐ吐いたりしてさ、そのせいで──激痩せだよ……。初めのうちは声を──」
サジは泣きながら喋り続けていたけど、僕は突然自分がどこにいるのか、どういう状態に置かれているのかが全くわからなくなってしまった。そして、無意識のうちに心の真ん中にあるヒトミと過ごした思い出が溢れるくらい詰まっている、無数の引き出しの中のひとつにゆっくりと手をかけた──。

 

 
 なあ、この四月っていう暑くも寒くもねえ時季を必要だと思ったことはあ るか?

 うーん……正直ないかな。何か中途半端じゃない?桜好きじゃないし
 だよな。俺はジメジメした梅雨と、二月のあの普通じゃねえ寒さがあれば いいかな

 へー、シド梅雨好きなんだ

 ああ。梅雨は夏がくることを感じさせて、二月は春を感じさせる時季だと 思う。春も夏も別に好きじゃねえけど、その季節がくる予感がする間は好 きだな

 その考え──共感するよ、梅雨だけね。二月の寒さはちょっとごめんだけ ど、梅雨のジメジメ感は堪らないよね。お母さんは、洗濯物が乾かないっ てブツブツ文句言ってるけど

 浴衣の替えがなくなるからか?

 へへ、その心配はないみたいよ。ビックリするくらいいっぱいあるから。 ──ねえ、桜は好き?ちなみにさっきも言ったけど私は嫌い

 俺は別に何とも思わねえな。ただ、散るのが少し早すぎると思うけど

 好きな花とかある?

 ……特に好きって花はねえけど。そうだな、ヒナギクかな

 ヒナギク?似合わないねー。何で?

 わかんねえ、理由は特に。──多分、昔から常に玄関に活けられてたから かな。まあ、安いし、寿命が長くて匂いがいいだろ。あいつらには柄に合 わねえって言われるけど……

 へー、ヒナギクねえ……。私はカスミソウ。花束の中にほんの少しだけ入 れても際立つから。それに周りの花まで綺麗に見せる。まるで私

 ……そろそろ、帰りますか?

 ちょっと!何とか言いなさいよ。……いいもん、別に。それよりさ、ちょ っと部屋に寄っていってもいい?

 汚れてるぞ

 いつもでしょ




 「──リョウコがいたから……あいつがいたからヒトミは何とかやってこれたんだと思う。やつれ気味だけど、今でもヒトミが何かをする時にはつきっきりだ。私もシドの所に行きたいって言ってたけど、ヒトミが落ちつくまでは傍にいなくちゃいけないからって。話じゃ、登校拒否してた時、あいつはリョウコですら会おうとしなかったらしいぜ……。わかるか?あいつにとってお前は……そのくれえ大切な存在だったんだ。──ごめんな……俺が誘わなかったら、俺があの時泊まるって言ってれば──」
僕が気づいた時、サジの言葉はそれ以上続くことはなかった。代わりに、それまで堪えていた嗚咽が言葉を遮っていた。確かにサジの言う通りかもしれない。あの日ドライブに行かずに風呂に入っていればこんなことにはならなかっただろう。行っていても、あの場面にサジがいたらオッサンは確実に袋叩きにされ御用になっていたに違いない。ただ、あの日は楽しかった。シンジにもリョウコのことを伝えることができたし。その後、二人に何の展開もないにしても……。もし断っていたら、行ってしまった以上に後悔したのではないだろうか?まさか、それはないか……。

 サジが落ちつきをとり戻した頃、窓から見える空には僅かながらの星が光っていた。サジは涙に濡れた顔で口元を吊り上げた。
「俺の涙を見られるのはかなり運がいいぜ。なんせ、物心ついた頃から泣いた覚えがねえからな。──とりあえず、警察は当てにするな。お前をやった奴は俺とあいつらで何が何でも捕まえてやる。それと、ヒトミは必ず来る。だから信じて待ってろ。……じゃあな」
サジは僕の肩を二回叩いて部屋から出て行った。
 僕は、サジが管を抜かずにヒトミの状況を話したことに後味の悪い思いをしていた。ヒトミの辛い状況を知った上でこれから生きていかなければいけないのか、そう考えると今まで以上に気が重くなった。抜いてくれれば、辛くてもそれを抱えたまま逝くことができたのに──。
 サジが帰った後、母親がリビングへ僕を移動させている時、こんなことを言った。
「ああいう男に限って内面は結構脆いんだよ。ほとんどの奴がわかってないと思うけど、あいつの今日みたいな一面。シドは知ってたのかな?帰り際リビングに顔見せたんだけど、私はいつものサジより今日の方が好きだな。�狠豊瓩辰憧兇犬�した。──シドは、いい友達と出会ったね」
サジが来て部屋に移された時、後ろ向きで座らされた意味がこの時ようやく理解できた。母親はこの日、サジが泣き崩れることを知っていたのだ。僕はそんな母親の鋭さと、サジの流した涙を頭の中でパズルのように繋ぎ合わせながらこの日は眠りに落ちた。


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