柊小説

2006年03月22日(水)  アカイヌクモリ  ―――�勝檻押宗�

 「樹海かよ、ここは?」
トンネルを抜けた母親の第一声は、そんな無礼極まりない言葉だった。紛れて僕も心でぼやく。
�犢餠�越えたかも!?��
いくつもの山々に囲まれ、薄い月明かりに照らされているようなこの不思議の国はある意味長閑で、またある意味堕落していた。舗装されていない荒れ放題の道にびっしり敷かれている枯れ木や枯れ草。車の両端には延々と立ち並ぶ木々とそびえ立つ岩壁が僕らの侵入を阻んでいるのか、ものすごい圧力を感じる。
 しばらく変化のない景色が続いていた時だった。遠くの方に公共施設のような建物と江戸時代の藁でできた家を思わせる数えるほどしかない民家、それと広大な田畑が姿を現した。
「家はあるけど……どう考えても人が住んでいけるような環境じゃないよね。野生動物以外は生きていけないよ。だってスーパー、コンビニどころか、自販機だって倒れてて使えないじゃん。どうなってんの、ほんとに。……シノブ、早めに出てきてよかったかもね」
母親は離島指令が出たにもかかわらず、島に残っている人間を捜索するような目で車をのんびり走らせながら辺りを見回している。確かに、人が生活していると思う方が難しかった。仮に、火災や土砂崩れが起きたとしても、迅速な対応をとることはできないのでは──。
 数件の民家と比べればだんとつにまともな家の二十メートルくらい手前で車が停まった。平地に面した二階家。屋根はエンジ色で壁は長年の土や埃のせいか、顔をしかめたくなるほど汚れている。
「ねえシド……」
エンジンが静かに唸っている中、母親が手のひらサイズの地図を広げながら言った。
「シノブの実家はさ、うちからこんなにも遠かったけど、私の実家はね、今まで遠い遠いって言い続けてきたでしょ?でも、本当は隣町なんだ……」
母親は地図を折ってから僕の手を握った。
「やっぱり家出て清々しながらも、帰りたいって、どっかでそういう気持ちがあったのかな。いつでも帰れる距離にいて、その安心感みたいのにすがってたのかもね。それがシノブとの唯一の違いかな。あいつは本当に居場所なかったみたいだから。──どうして今まで嘘を突き通してきたか──。あんたとカオリが会いたがるからよ。小さい時なら特にね。でも私はあんな奴に可愛い子供を抱かせたくなかったし、見せたくもなかった。……わからない。もしかしたら、ただ単に自分が父親に会うことを恐れていただけなのかも。今はちょっと後悔してる。自分のことだけであんたたちの気持ちを考えもしなかったから。いつも大事な話の時、謝ってばっかりだけど──ごめんね」
母親の手が僕の頬に添えられた。とても切なそうに──。母親が今までずっと隠し続けてきたことに、怒りなんてものは湧いてこなかったけど、それ以上に、隠し続けていることでもいつかは言わなければならない日が必ずくるということを知った。それは同じ人間でも僕にはできないことだけど……。
「とりあえずお疲れさん。無事到着したみたいね。正面の二階家がシノブの実家だよ。言わなくてももう気づいてるか……。すぐ行こう。何時に帰れるかわかんなくなっちゃうから。でもその前に──一服させてー!」
 運転席のドアを背凭れにして母親は、大自然の風に当たりながら煙を立たせ心を落ちつかせている。
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親父はそれしか言わなかったけど、実際十七年間ここでどんなことを思いながら過ごし、またどんな思いで出て行ったのだろう。少なくとも僕がこの環境で生まれ育ったのならば、海外へ出ようという前に、国内の大都市に出ようという気持ちになるというか、させられるだろう。この口がどうにか開くものなら訊いてみたいものだ──。
「行くぜ!シド」
助手席のドアが開いた。母親は不安と緊張で気持ちが押し潰されないように無理して気合を入れているように見える。これからどんな展開になるのか。ガチガチに震えながら車椅子の子を押す母親。その車椅子に乗り、言葉を発せずにただ正面を見つめている僕──障害者シド。何も知らずにいつもと変わらぬ日常を過ごしているだろう、親父の両親──。
これから起こること全て、僕には楽しみに思えて仕方がない。


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柊大地 [MAIL]

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