| 2006年03月21日(火) |
アカイヌクモリ ―――�勝檻院宗� |
「座れよ!」 一昨日の夜、親父の怒鳴り声で目を覚ました。 「離して、もう寝るんだから。それにシドだって会いたいなんて思ってないよ。──いいじゃない。シノブは自分の実家だけにシドを連れて行けば。私には構わなくていいからさ」 状況を把握するのにそれほど時間はかからなかった。親父は僕の寿命が迫っていることをこれまで以上に強く感じて、母親に僕を互いの実家に連れて行き祖父母に会わせないか、という話を持ちかけた。けど、母親はそれを断固として反対という状況だと僕は悟った。──それにしても、親父が母親を怒鳴りつけたのは珍しいというより、僕が知る限りでは初めてだった。 「お前はシドのことなんか全然考えてねえ。テメーのことだけだ」 「仮にもしそうだとしたら介護なんてしないし、その前にシドと一緒に頸動脈でも切って死んでるわよ。私が幼い頃からあの家を出るまで、父親からどんなことをされてきたか、シドがお腹にできる前に話したよね?シドが会いたいって思ってたって……私は絶対に会わせる気なんかない!」 「好きにしろ。俺はシドを連れてお前の親父に会いに行く」 「ふざけないで……。勝手なことばっかり言わないでよ!」 「シドには時間がないんた!」 「わかってるよそんなこと!わかってるけど……考えたくないよ。あと少しでタイムリミットだなんて。シドは私たちの大切な子だよ。その子が私たちよりも先に――。あの子がいなくなったら私は生きていけない。シノブとカオリだけじゃ生きていけない。私は三人がいて初めて動けるの。電池じゃないけど、一人でもいなくなるとだめなの……」 二人は夫婦というよりも、互いのことを何ひとつわかりあえずに言い争う恋人同士のようだった。これから事態はどう転ぶのか、この時はまだわからなかったけど、肝心の僕は祖父母どうこうより遠出をしてみたいという気持ちが強く、心は早くもリゾート気分に近いものがあった。──けど、二人の声が激しく飛び交っているのにカオリが止めに入ってこないのはおかしい。お人好しで繊細気な顔をしているわりに、こんな状況の中でも熟睡できるカオリが僕には酷く鬼に思えた。 二人の間に重い空気が流れているのが、僕には目に見えるようにわかった。そして──沈黙はしばらく続いた。
「……わかった。怒鳴ったりして悪かった」 やっぱり先に折れたのは親父だった。 ──沈黙。 「ねえ、考えてたんだけど、こうしない?今度の日曜に私はシドを連れてシノブの実家へ行く。シノブは私の実家に行ってあいつにシドに会いたいか訊くの。私との関係と、家族の今の状況を一通り説明してから。もし会う気があるって言ったら、来週にでも連れて行こう。私はちょっと無理かもしれないけど」 「マユミ……苦しみから抜け出せるチャンスかもしれないんだぞ」 「今はだめ。シノブの気持ちは嬉しいけど、今はシドのことだけに……。逃げてるわけじゃないから。それだけはわかって──」 妙な沈黙。 「──日曜は明後日か。地図を書いておく。わかりづらい道は明日にでも説明するから。それより、カオリは連れて行かないのか?」 「あの小娘は変な気を遣うからね。行かないって言いそうだけど、明日訊いてみるよ。……ねえ、ちょっとさ、やっぱみんなで行かない?もう緊張してきた」 「……俺はいいって。今更行っても、だろ。これはシドのためだから。向こうが俺に会いたいって言ったらその後にでも行けばいいし」 「別に無理に私の実家に行かなくたっていいよ。それはシノブに任せるけど。でも、もし行くんだったらカオリも連れて行って。あの子にとってはあいつがどんな人間だろうとお爺ちゃんになる人間だから……」 結局カオリは家に残った。 「お父さんを一人にしたらかわいそう」 という、わかるようなわからないような理由で。親父は母親の実家を訪ねようかどうか、一晩中考えても決められていないようだった。 「優柔不断は嫌われるぞ〜。──じゃ、行ってきまーす!」 人事同然の母親に親父は苦笑いで、カオリは大きく手を振って見送った。
|