| 2006年03月24日(金) |
アカイヌクモリ ―――�勝檻粥宗� |
母親はゆっくりと時間をかけて偽りなく、婆ちゃんに全てを話した。家を出た後の親父のこと、自分のこと、親父と出会った時のこと、カオリのこと、僕のこと、あの事件から今に至るまでのこと……。 婆ちゃんは胸の辺りからセーターを引っ張り声を漏らさずに涙を拭いていた。その姿を見て母親は何も言わずにコートのポケットに入っていたハンカチを婆ちゃん──義母親にそっと手渡した。婆ちゃんは頷きながらそれを受けとると重々し気に口を開いた。 「あの子が……社会に出て、こんな綺麗な人を嫁にもらって、子宝を授かるなんて──。あの頃は想像もできなかった。何しろ手がつけられない悪たれで、私も主人も何不自由なく育ててきたつもりだったのに……。本音を言っちゃうとね、出てった時は気持ちが楽になったんだよ。そのうち帰ってくるだろうって、あのバカのことだからそうは行く場もないだろうって思いながらねぇ。でも、あの子はいつになっても帰ってこなかった。心配はしたけど、多少の恨みもあって、ああいうバカは苦労を知った方がいいと思ってさがそうともしなかった。そんな気でいて、気づいたら何年も経っててねえ、その時にはもうどっかで生きてればいいって、そうにしか思えなくなってたよ。寂しいことだけどねぇ。──いいかい、シノブがどんなに悪たれだったとしても、あの子のことは一日でも忘れたことはないよ。それだけはわかってちょうだいな。どんな親でも子供を心から恨む親はいない。あんた、マユミさんて言ったっけねぇ?」 「──はい」 「私の娘になるんだねぇ……。それじゃあ、母親としてひとつ言わせてもらうよ。──親に会いに行きなさい。それで私にちゃんと話したみたいに親にもそうしなさい。きっとあんたのことを待ってるよ。──ここに来たのはこの子のためだったんだろぅ?この子があんたたち親子の関係を必ず修復してくれるよ。この子だってそれを望んでるよ」 �爐匹Δ�な……�� 「……でも、私は……やっぱり恐いんです」 母親は駄々を捏ねるガキのように俯いた。そんな母親の手を婆ちゃんは力強く握った。 「大丈夫よ。あんたにはシノブがついてるんだから。それに、産まれて間もない娘をあの子と会うまで一人で育ててきたんだろぅ?辛かったろうに……。あんたは強い女だよ。だから大丈夫」 「お義母さん……。ありがとう」 「それより、カオリっていう娘さんの顔も見たかったよ。あんた似かい?この子は私が最後に見た当時のシノブにそっくりだけど……」 「ええ、娘とはよく似てるって言われます」 「じゃあ、豪くベッピンさんだねえ。今度連れて来ておくれよ」 「シノブも一緒に──ですか?」 「もちろん。あの子が帰りたいって言うならねぇ。私は構わないよ。この手で力いっぱい抱きしめるようなまねは一〇〇万積まれてもしないけど……」 「ヘヘッ、シノブと同じこと言ってますよ。あいつも、向こうが会いたいって言ったらって」 「あの子は元気かい?」 「元気すぎるくらい元気です」 「あのガキも、もう今年で三九になるんだねぇ」 「──あのぉ、気になってたんですけど、旦那さんは家にいらっしゃらないんですか?」 「ああ、ごめんなさい。言い忘れてたっけ?主人はねぇ、六年前に死んだんですよ」 会話が弾んできた時に突然の訃報。気分が一気に沈んだ。母親もどうすればいいか、戸惑いながら言葉を選んでいる。そんな母親に婆ちゃんは笑顔を見せながら淡々と言った。 「心筋梗塞だった。苦しまずに逝ったから……それだけでも幸せだったんじゃないかなと、私は思うんだけどねぇ。今日は無理だけど、シノブと娘さんと四人で来る時は墓参りでもしていってちょうだいな」 「はい、必ず。失礼ですけど、おいくつだったんですか?」 「えー、六五だったかねぇ。短いっていったら短いかもしれないけど、あの人は懸命に生きてたから……。あっ、ごめんねシドくん。放っておいたわけじゃないんだよ」 �倏未気鵝�俺は置物じゃねえぞ�� 「何か話しかけてあげてください。返事も反応もないけど、聞こえてますから」 母親は僕を婆ちゃんに近づけた。婆ちゃんは哀れんだように凝視している。そして、トゲに触れるように僕の髪を触った。 「──髪はいつもこうにしてるのかい?」 「はい。髪を逆立てるのがこの子のスタイルなんで。それはシドがこうなってから家族が受け継いでずっと続けています」 「そう……。障害者なんて呼び方したらこの子に怒られるかもしれないけど、ずいぶん強い目をしてる子だねぇ。──シドくん、精いっぱい生きなさい。そして、いろんなものを信じて。こんな細々しい体だけど、あなたには心があるんだから」 婆ちゃんは僕の頬に手を添えてそう言った。いろんなもの──。言葉通りいろんな意味が込められているのだろうけど今の僕には、仲間、家族の幸せ、奇跡、ヒトミ……。そのくらいしか思い浮かばない。あっ、あと、親不孝者のシノブ・マユミとその親の修復──十分か……? �燹帖弔修譴砲靴討癲△匹Δ靴銅�分以上に人の幸せをこんなに望むようになってしまったのだろう。身体以上に最近は、心までも軟弱になっていきやがる�� 「……お儀母さん、もし迷惑じゃなければ、お線香を上げさせて頂きたいのですが。よろしいですか?」 母親は体を前屈みにして遠慮がちにいった。婆ちゃんは力なく手を、パンッと叩き微笑んだ。 「そうだねぇ、せっかく遠くから来てくれたんだし。きっと主人も喜ぶよ。こんな綺麗なお嫁さんに拝まれるんだから。──仏壇はすぐそこの部屋にあるから行っておいで。この子は私が見てるから」 婆ちゃんは階段の隣のふすまを指さしてそう言った。 「じゃあ、ちょっとお邪魔しますね。──行ってくる。待っててね」 仏壇の部屋に母親が消えてから、婆ちゃんは僕の手を握りずっとニコニコしている。目つきが悪いせいか、ちょっと薄気味悪くもある。不意に、金剛力士像と並んでいても違和感がないかもしれない、と考えてしまった。ちょっと失礼だろうか……。 「本当にシノブとよく似てる。まるであの子がここにいるみたいだよ。……想像もつかないねぇ、あの子がどんな大人でどんな親なのか」 �爛�キの殻から抜けきれない大人だけど、味のある男だよ�� 「──同じ思いをさせたくない。あの子は十七でこの家を出てって、帰ることも連絡をよこすこともなかった。それは、私の中では死んだも同然だった。けどあの子は私の知らないところで嫁をもらい親になった。……その子供は十八にして命の時間が迫っている。これじゃあ繰り返しだよ。──あんたシノブのために生きてあげてよ!あの子に私以上の辛い思いをさせたくないんだよ!だから……。ごめんねぇ、私がこんな騒ぎをしても何も変わりゃしない──」 婆ちゃんはまた泣いた。そして、階段の陰には動かない母親がいた。
|