| 2006年03月27日(月) |
アカイヌクモリ ―――�将機檻院宗� |
日に日に視界が暗くなりつつある。体も鉛のように重い。そう感じるのは当然感覚が戻ったわけではない。けどわかるのだ。脳が、呼吸が、細胞が──僕の身体の全てが苦しがっている。多分、婆ちゃんの所へ行ったことが悪影響を及ぼし、残り少ない体力をほとんど吸い尽くしていった。舗装の整わない道で長時間揺れ動く車、日常とは大きく異なる生活リズム……。 親父は急激に衰弱した僕を見て、自らが祖父母に会わせようと言い出したことを目頭を押さえて悔やんだ。 「やっぱり安静にしとけばよかったんだ。ただ車に乗って遠出するだけでも、こいつには相当な負担がかかることを何で俺はもっと考えてやれなかったんだ……!」 「お父さんだけの責任じゃないって……」 「そうだよ。私があの夜、絶対に嫌だって言ってればこういう状況にもならなかったかもしれないんだから。自分だけのせいだと思わないで」 母親とカオリの言葉に親父は大きく首を振り、受け入れようとしなかった。 これから親父は僕を絶対安静にさせ、家から一歩も出さなくする気だ。そうなればもう、外の空気を吸うことも、風に当たることもなくなる。誰の言うことも聞き入れまい。家族四人で婆ちゃんの所へ行くこともほぼ不可能に近いだろう。けど、この状況だからこそ今、一筋縄の親父にはもっと考えてほしい。僕に数えきれないほどの影響、考えを植え込ませた親父なら僕、母親、カオリが頷くようなことを閃かせることができるはずだ。親父一人じゃだめなら家族で。それでもだめなら、あの時みたいに四人を呼んで──。 �狄読磧�俺はそろそろ死ぬぜ。だから今すぐにでも行こう、家族全員で──。婆ちゃんは信じて待ってんだ。死んでからじゃどうにもならねえだろ?だからその前に──�� 言葉を心の中で発することさえ辛くなっている。親父とカオリはこの状況に飲まれて頭のキレが悪くなっている。そんな二人の目を覚ますかのように、母親は厳しい顔をして受話器をとり上げた。
「親として、シドくんのためを思ってしたことならば、その気持ちはきっとこの子に伝わっているはずです。──ですが、医者としてはもちろん人としても……シドくんの身体に大きな負担をかけ、少ない中での寿命を更に縮めた──ということは、あなたたちお二人の選択は誤っていたというしかありません。この衰弱はもう限界を超えています。呼吸も明らかに整っていない。三十分後、一時間後、十二時間後──二四時間後……いつ最悪な結末がくるかはわかりません。──シドくん、私の……力のなさをどうか許してほしい。──君自身、この五年余りの時間、十分に生きたかい?悔いはないかい?」 シラギは屈みこんで僕の肩に手を置いた。その後ろでは、選択を誤ったと非難された二人とその娘、駆けつけた四人が心配そうな目を向けている。 �牴�いがないはずがない。ただ……苦しいんです。あんたの顔もよく見えない。こんなに苦しいんだったら、思い残していることがあっても早く楽になりたい。けど、どうしてもヒトミに会わずに逝くことはできないんです……!�� ──母親とサジが何か話している。耳鳴りのせいで二人の会話が途ぎれる。 「────ちゃんは?」 「最近──んま連絡と──な──よ」 「私、シドのことを────ま──ったんだけど、それ──ないから、自宅に──んだけど、誰も────の」 「携帯────繋が────多分、前に────に──」 「────こと?」 耳鳴りがやんだ。 「──あいつは卒業したら家を継ぐんです。──ここから出て行くんです。もしかしたら今、下見っていうか、そういうので向こうに行ってると思います。シドにはどうしても言えませんでした。すいません……」 サジの気遣い、どうでもいい。ヒトミは僕を捨てた。別れの時がきた──。 「……ガセ?」 「まさか……こんな時に。リョウコには言ってたらしくて。俺はシンジから」 「シンちゃん──」 シンジは涙で濡れた顔を母親に向けた。 「ヒトミちゃんはいつこっちを出るの?」 「いや……正確な日はちょっとわからないですけど、そろそろだと……。リョウコと連絡とりましょうか?すぐに返事ってわけにはいかないですけど」 「お願い」 シンジは携帯電話で早々とメールを打ちリョウコへ送った。 「とりあえず返事を待ちましょう」 「ありがとう。シンちゃん、それにリョーキくんも引越しの準備は平気なの?」 「入学まであと一ヶ月もあるし、引越しなんていつでもできるから。ギリギリまでこっちにいますよ……」 リョーキが静かにそう言うと、シンジも、僕も同じです、と頷いた。 そうだ、すっかり忘れていた。この春からシンジとリョーキは地方の大学へ行くんだった。 �爐�前らともお別れか……��
仲間とシラギが集まってしばらく経った頃から、ヒロトとシラギが頻りに何かを話し込んでいる。互いに頷いたり、頭を傾げたり、額を叩きながら悩むような仕草をして──。ヒロトはきっと法律では認められていない『安楽死』にさせるか、不可能に近いけど、ヒトミと連絡がとれるまで延命させようと、シラギに自分の考えを伝えているのではないか?多分チビは今、僕の心と身体を天秤にかけている。シラギはドクターとして間違いなく一日でも一時間でも長く生きさせようとすることだろう。けどヒロトは僕の心も身体も誰より知ろうとしていたし、事実知っていた。──もし、話の内容がそうならば、きっと答えは出せないだろう。少なくとも、僕が生きているうちは。
今、三袋目の点滴が僕の体内に流し込まれた。何かありましたらすぐに連絡を、と言い残しシラギは夕方病院に戻ったけど、仲間は夜になっても帰ることなく僕の傍にい続けている。シンジの携帯電話にリョウコからの返事はまだない。 ふと、サジが懐かしい独特な歩き方で僕に歩み寄ってきた。──けど、立ち止まったまま何も言い出さない。 �爐匹Δ�したか……?�� 「──お前、本当に死ぬのかよ?」 �爐蕕靴い福F�時は未定だけど�� サジはしばらく黙って僕を見ていた。中学の頃を思い出しているのか、時々髪を掻き上げては天井に顔を向けている。 「……俺は、ずっと思ってた。お前は中一の時、シノブさんに家族の話を聞かされてから本当の自分を探し当てたって。ある意味あの年にシドって人間は生まれたんだと思う。たかが中一っていうガキのうちにそれができたお前を俺は誇りに思うし、仮にこれから骨になったとしても、バカみてえにみじけえけど、それ以上に価値ある人生だったろうって……。わりぃ、言葉が続かねえ……」 サジはそう告げると仲間の所へは戻らず、煙草をくわえて外へ出た。春の訪れを徐々に感じさせる三月の空の下へ──。 サジの言葉は僕の抱き続けていたことでもあった。シドという本来の姿を生み出したのは、確実にあの土曜の夜だ。家族それぞれの傷を知って何かが音を立てて弾けた。そして、親父が去って一人リビングにとり残されながら、きっと無意識のうちに、何かを変えたい、自分を知りたい、殻を脱ぎたい、そんな気持ちに駆り立てられたのだろう。──人生が変わってしまったことに悔いはない。むしろ今更って感じだ。けど、根本的に人生を変えたあの日が僕の本当の誕生日だと思いたい。名医シラギの計算に狂いがなければ、�犁�年五歳�瓠�サジも思うように、哀れましいほど短い生涯だけど、本来の姿で生きることができた。だから、命に期限がつけられたことに悔いはない。それは、一〇〇年、一二〇年、どんなに長く生きたとしても、誰もが本当の自分自身を探すことができるとは限らないのだから。
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