化粧室で鏡に見入ることが出来なかった。 自分一人だとまだなんとかなるんだけど、何人かいると、恥ずかしくなってしまって、 鏡の中の自分と目を合わせられなかった。
綺麗になることに臆してしまう。いや、結果綺麗だとかそういうことではなく、自分を女として演出することに。 念入りにお化粧直しなんてとんでもなくて、洗って濡れた手を髪の毛になすりつけて、逃げるようにその場をさる。
一体何を気にしていたんだろう。 改めて振り返って、その抑圧の圧力の大きさに身震いがする。
ここ数年、ちょっとずつびくびくしながらもガーリッシュに踏み出してきてるけど、 きっと原因に気づかないと、根本は解決しなかったんじゃないだろうか。
女を匂わせてはいけなくて、(可愛い服はどーせ似合わないよ。) 頼りになる存在で、(しっかりして頭が良くて嬉しい。) 愛想笑いを笑われて、(おすまししちゃって可笑しいの。ほら見てやって。笑っちゃう〜。) デートの時に服を着替えて出かけることに文句をつけられてー。
つまり、呪い。 母の呪い。
完全無欠の存在はいないから、瑕疵を責め立てる気は無いけど。 そんなもんにずーっと縛られて、自分を押し込んできたんだなぁって思う。
きっと、母に押し込められたのではなく。 自分の中に母を作って、その架空の母にずっと縛られて来たんじゃないだろうか。 彼女はきっと覚えてもいまい。
父が半ば不在の中、生存権(食料とか養育とか)は母だけにかかっていて、唯一の命綱だった。 あらゆる子供はそもそも親に生殺与奪権を握られている極めて無力な存在だけど、 それを日常で意識しているか否かの違いは大きい。
まえに、A.C.の本を読んだ人から、私の事を思い出したと言われた。 心当たりは無いがーと思っていたが、きっと自分の中の母のために、ずっと都合のいい子を演じてたその窮屈さが出たんだろう。
一体何のためにそんなことをやってたんだろうね。 母は私をばりばり愛してて、私を妨げる意図などさらさら無く(少なくとも意識上)、 私は愛している母を傷つけたくなかった。
それに好かれたかった。
でも、もういいやぁー。 なんか疲れちゃった。もうこれ以上時間を無駄にしたくない。
とはいえ、大丈夫だろうか。これからちゃんと自分を産みなおして、しつけて育てていけるだろうか? でも、このままかちかちに緊張したまま手足も伸ばせずに過ごすのは嫌だ。
だから、ちょっとずつでもちゃんと自分を愛していく。 で、けなさない人を回りに引き寄せるんだ。 誉めて可愛がってくれる人が絶対どっかに居ると思うの。
60億いるんだから。
alain
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