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2012年07月21日(土)

『薄桜記』第2回 を見た。

神は宇宙人だという説がある。
恐竜と人類は同じ時代に生きていたという説もある。

どちらも、かもしれない、と思う。
ただ、その根拠の一つに
「ロケットを操縦しているとしか見えない絵がある。」とか
「恐竜みたいな生き物が描かれている。」と言われると気持ちがなえる。

草なぎ剛画伯なみの絵ごころの持ち主だったかもしれないし、
それ以上に見たものだけを描くって誰が決めたんだよ?と思うから。

絵で描かれたものが全て現実だったら、今の世界は進撃の巨人にかこまれ、筋斗雲に乗って滑空し、
えっと漫画以外でいくと、時計は溶け、キリンは燃え、上へ上へと水は登ることになってしまう。

過去の人間が架空の物語を楽しまなかった、と言える根拠がどこにあるんだよ、と。

絵でもお話でも音楽でも、芸術もしくは演芸って、心を現実の重力から自由にするもので、
それって生きて行くには無用なものではあるけれども、それを持たない民族もまた、ない。

今ここ自分じゃない、どこかの誰かの話を楽しむこと。
吸引機のようにすーっと心を吸い上げて、つかのま、リアルから飛ばしてくれるもの。
それが物語の力だと思う。そして物語を持つから人なんだとも思う。


『薄桜記』第2回。
見終わって、エンディングのスタッフロールでふぅーっと大きく一息。

胸がどきどきしている。ちょっとぐったり。肩の力をふぅーっと抜く。
そして来週がどうなるのか、気になって仕方がない。

細かいあれこれはあるのかもしれない。
画面が綺麗だとか汚いとか、話のつじつまがーとか。
でも、そんなことを考える時点で、心が今ここから離れてない、ということ。

もう、んな事気にしている余裕はない。
心持ってかれて頭は空っぽなんだから。

感想? 知ったことか!っつー感じ。
「どきどきして、続きが見たいんだよ!」もうそれだけ。

と。言いつつも一言。
不慮の出来事で浪々の身に・・・ってあらすじを聞いた時、磐音だーと私も思いましたが、
いやいや全然別人。
現代劇と違って髪型や服装で変化つけることも出来ないのに。

そこにいるのは、まごうことなく典膳さまでした。
切なくも柔らかな磐音さまと異なり、哀しさを硬質で包んだ、まさにザ・武士な方。
山本さんはやっぱり凄い。


alain

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