2006年12月18日(月) |
あなたがそばにいるだけで・・・ |
先日、ある介護関係者から往診依頼を受け出かけたのはFさんのお宅でした。Fさんは10年以上前に脳梗塞で倒れられてから寝たきりの生活。今はFさんの奥さんがずっと付き添って介護をしておられています。今回はそんなFさんの口の中の口腔ケアのために往診したのです。
Fさんのお宅は閑静な住宅地の中にありました。玄関先で出迎えてくれたのはFさんの奥さん。
「急にお呼びたてして申し訳ありません」 と言いながら、往診に出向いた僕と付き添いの歯科衛生士を奥の部屋に招き入れてくれました。 奥の部屋にはベットが置かれ、その上にFさんが寝ておられました。正直言って、Fさんは元気に回復するような見込みは無い状態でした。呼びかけには反応はあるものの、自分で体を動かすことはできず、奥さんが体位を変換されておられました。自分で飲み込むことができないため、胃ろうという胃へ栄養剤や食事を入れ込むことができるチューブのようなものを装着されていました。
胃ろうを設置されている患者さんは通常は口から食事をすることはありません。それならば、歯磨きや歯の手入れは必要ないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際そうではありません。口は呼吸するために常に使われています。口の中が汚れていたり、歯に何らかの問題があれば口から気管を通じ肺へ汚れが移り、悪影響が及びます。寝たきりの患者さんの中で口の中の手入れが行き届いていない方は肺炎になる確率が高いことが様々な臨床報告されています。 寝たきりの患者さんは健康な人に比べ体力がありません。そのため、ちょっとしたことで病気になりやすいのです。健康な人であれば少々口の中が汚れていても大丈夫な場合であっても、寝たきりの方の場合はそれがもとで気管支炎や肺炎となり、命を落とすようなケースが多いのです。そのため、介護の世界では口腔ケアといって、口の中をきれいに保つことで少しでも寝たきりの患者さんが快適に余生を過ごすことができるような配慮がなされているのです。 今回僕がFさんの自宅を訪問したのも、このような口腔ケアのことがあってのことだったからです。
僕が診たところ、Fさんの口の中は非常によく管理されていました。問題がないというわけではなかったのですが、専門家である歯医者や歯科衛生士がアドバイスを与えれば直ぐにでも改善できる程度のものだったのです。これはFさんの奥さんの日頃の努力の賜物です。 僕はFさんの奥さんにいくつかのアドバイスを伝えた後、Fさんにこう言いました。
「これまで長期間にわたってご主人の身の回りの世話を一日も欠かさずされてこられたことは大変だったと思います。さぞご苦労もあったことでしょうね。」
Fさんの奥さん曰く 「確かにいろいろとありました。主人が寝たきりになった当初はこの先どうやっていいのかと不安で一杯だったのです。幸い、主治医の先生や介護関係者の方がバックアップして下さるのでここまでやってこられたのかと思います。」
「正直言いまして、主人が倒れた時は主人を責めたこともありました。『どうして私に苦労ばかりさせるのよ!』と言いたかったこともしばしばありました。けれども、最近になって、主人が生きてくれればそれでいいと思うようになりました。主人はこのように動くことができず、寝たきりなのですけれども、私にとってはかけがえのない人なのです。主人がこうやって存在してくれていることが私の心の支えになっています。今は毎日主人に向かって言うのですよ。 『あなたがそばにいるだけで・・・』」 と言葉に詰まったFさんの奥さん。
Fさんの奥さんはご主人の介護という過酷な生活を強いられています。Fさんの身の回りの世話はFさんの奥さんなしでは考えられません。 一方、Fさんの奥さんがFさんから何かをされることはありません。Fさんが寝たきりであるからです。単に損得ということを考えれば、Fさんは奥さんに一方的に世話になっており、Fさんの奥さんがFさんから得られるものはありません。けれども、Fさんの奥さんその現実を受け入れ、昇華し、今やFさんの存在そのものを心の糧にしているのです。 介護を続けていると、何のために介護をしているか悩み、苦しむ人が多い中、Fさんの奥さんはFさんが生きていることが心の拠り所となっているのです。
僕にも人生の伴侶がいます。お互い健康ではあるのですが、時には言い争ったり、けんかをする時もあります。そんな人生の伴侶が寝たきりになった時、果たして僕が献身的に嫁さんの身の回りの世話ができるかどうか?正直言って、僕は自信をもって答えることができません。
Fさんの奥さんにはひたすら頭が下がる思いです。 まだまだ僕には人生勉強が足りない。 そんな思いを強く持ちながら、Fさんの自宅を引き上げた歯医者そうさんでした。
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