はぐれ雲日記
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2006年03月23日(木) 幕臣の池田長発(いけだながおき)

武士の悲しさといえば幕末の外国奉行、幕臣の池田長発(いけだながおき)でしょうね。
最近は、「身銭をを切って」関連の本を数冊買いました。
偶然、WBCの試合の日にテレビ特集されてたのを今日知って
とても残念でした。

文久3年(1863)12月、徳川幕府の使節団池田長発(28才)他34人がヨーロッパに出発。
幕府は開港した横浜を再び閉ざす交渉団として彼らをパリに派遣したのである。
そんなことが実現できるわけもなく、要は朝廷と攘夷派にむけたポーズだったのだが。

パリ約定は、使節団がチェルリー宮殿でフランスのナポレオン三世に会い、
二ヶ月の会談を経て成立したさらにひどい条件を課せられた四か条から成るものです。

日本の国力不足を実感。最初の訪問国フランスで見切りをつけた使節団は
元治元(1864)年7月に帰国。、開国の必要性を説くも長発は幕府から処罰され
六百石の減俸。蟄居を命じられた。慶応3年、軍艦奉行として奉職しましたが三ヶ月で辞職。岡山に隠遁。幕末の外務大臣は大変な秀才で生真面目な性格だったようだ。

43歳寂。ああ月に吼える。

てゆうか、ぐやじ〜。わなわな。


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