はぐれ雲日記
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2006年05月18日(木) ミリオンダラーベイビー

「アメリカの核心にある『愛蘭土』」をやっと読ませていただきやした。
(以下転載)
しかし、この映画には隠れたストーリーがある。それは、アメリカにおけるナショナル・アイデンティティーとしての愛蘭土(アイルランド)を物語っているのだ。サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、冷戦構造解体後、世界各国ではグローバル化した中で
それぞれのナショナル・アイデンティティーを再構築しなければならないが、それは簡単だ、「外に敵を作ればいいのだ」と述べていた。
わたしはそれを、“ハンチントンの罠”と読んでいるが、世界各国はいまその罠に落ちて、「外に敵を作る」ことに必死になっている。アメリカしかり、中国しかり、ロシアしかり・・・。だが、イーストウッドはこの映画で、アメリカのナショナル・アイデンティティーは「外に敵を作る」ことではなく、いわば「内に誇りを再確認する」ことだ、と語っている。
映画評論家たちがそのことに気づかないのは、それはアメリカ人にとって自明のことであり、それゆえ(イーストウッドが)あえて言葉では語っていないからである。映画評論家はそのことを、映像において読み取らなければならない。しかし、それができていない。わたしが冒頭で、映画評論家がずいぶんと表層的になっていると述べたのは、その意味である。イーストウッドは、アメリカのナショナル・アイデンティティーを映像において語っていた。かれはマギーという女性ボクサーに“人間としての誇り”を語らせた。しかし、映画作家としてのイーストウッドは、そこに「アイルランド」を映し出すことで、アメリカ人としての誇りを重ね合わせてみせた。老ボクシングトレーナーのフランキーは、いつもアイルランド詩人イェイツの詩集を携えている。イェイツはイングランド系のプロテスタントだが、かれはケルト系でカトリックの「アイルランド」を発見した詩人でもある。イェイツにとって「アイルランド」は、自らの「魂の祖国(パトリア)」だった。
『ミリオンダラー・ベイビー』の老ボクシングトレーナーは、ゲール語を学んでいる。
かれは自分が愛する「娘」としてのマギーのガウンに、ゲール語で「モ・クシュラ(私の血)」と縫い込んだ。
ガウンの色は、アイルランドのナショナル・カラーとしての「アイリッシュ・グリーン」だった。イーストウッドはそのように、アメリカのナショナル・アイデンティティーとしての「愛蘭土」を映画にうたいこんだのである。
アイルランド人が石を砕いて土をつくったように、アメリカに渡ったアイルランド人は「アメリカ」を作った。
中国人も韓国人もロシア人もヒスパニックも、そして日本人も、みなアメリカを自由と民主主義の「理想の国」と考え、そこに移民してゆく。しかしアイルランド人は、アメリカを「理想の国」に変えてゆこうとした。(そこに、アイルランド移民の子の
ケネディ大統領がいつまでもアメリカの星であるゆえんがある)。
その意味で、『ミリオンダラー・ベイビー』はアメリカの核心に「アイルランド」を据えた『風と共に去りぬ』の後の物語なのである。
その女主人公スカーレットは、敗北を乗り越えるために、何度となく「タラへ」と叫ぶ。

タラはアイルランド独立運動の聖なる丘の名である。無一物のスカーレットもまた、「アイリッシュ・グリーン」のカーテンから緑のドレス、つまり誇りを作ったのだ。
(転載終わり)

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防人さん。やっと探してきて読んだんですけどこれ、何言ってるんだかよくわからねーですよ。まあ映画評論家といえば映画評論家らしい意見ですけど。

・・・この映画のあらすじは
マギーとトレーナーのさわやかスポ根物語変じて不幸の問屋のチンレツ。ということで
テーマは、神様なんていらねー。これでキマリ。
尊厳死のプロセスも描き方も雑なので言及しない。
ただ、あんなにすぐ褥創ができるのはおかしいですよ。しかもすぐ肘に。てまえみそですが勤務先の病院にも植物人間状態の方が何名かいます。中でも、さーたーあんだーぎーを詰まらせて呼吸不全から脳死状態で二年経過されてる患者さまもいらっしゃいますが褥創予防に関するケアは徹底しているのであのように(映画のように)なることは考えられません。
口腔ケアもとても力を入れて歯科医と相談しながらていねいに時間をかけています。とてもきれいですよ。・・・・ただ。このまま生きているのがどうか。という問題は別ですが。
職業がら。人間は生命の奥底からの生への希求はあるんではないかと考えます。たとえば生まれたての赤ん坊は生命の奥底から「生きる」ことを本能的に希求している生命体だと思います。ただ。マギーは赤ん坊じゃーねーですよ。マギーはわけわかんない赤ん坊なんかじゃねーです。意識は清明だし。生きるということは、ベッドの上で人口呼吸器を付けて朝がきて夜がきてまた朝がきて夜が来るのをじいっと待つだけの
デクノボーでいたくねい。自分の生はリングの上で完結した。自力で呼吸もできない。永遠に体を動かせない。これは自分じゃねー。と思ったから自殺未遂したんじゃなかろうか。

とにかく自分を、そして愛する者を守るには強く賢くなければならない。
愛する人に適切な助言を出来る人でいたい。弱さに流されない自分でありたい。
そんなことを考えました。「愛蘭土」とかはちぃっとも考えませんでした。
それはそうとあてくし。モーガン・フリーマンのファンでして。
今夜辺りプロポーズのお手紙を書こうと思ってたとこなんですよね〜。
「今世はむりだろーから来世。あーそうそう。来世は、かもかのおっちゃんと約束したから
できれば来来世あたしといっしょになってくださいまし〜。とね。」
来来世。これでええ。これならあたしもほうぼうに顔が立つ。(爆)


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