世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2013年07月14日(日) |
断片的なメモ、の続き |
メモをみて、思い出したことを書いておきます。
立花隆「ぼくはこんな本を読んできた」は古書店で百円で買ったハードカバー。出版された当時、評判になってけっこう売れた本だという記憶がある。三月中に読み終えた本。
この中に読書日記のまえがき代わりとして「私の『書評』論」という文章が載っていて、それによると、立花隆が週刊誌や新聞の読書欄に求めるのは、いま店頭にある新刊書で面白いのは何か、読む価値があるのは何かという情報。それ以上のものは必要ない、とのこと。 立派な長文の本格書評や、読書にかこつけた身辺雑記は嫌い、イライラすると書いてあった。
ゆえに立花隆本人の書く書評(週刊文春に連載された「私の読書日記」)も短めで情報がギュッと詰まっている。 また、一般的に良書とは言えないような本(文章劣悪、内容あやしげ)でもその本に含まれている情報の故に読む価値があるという本はいくらでもあるとのことで、このあたりに独特の選書眼を感じる。 さすがにハードな内容を扱ってきたジャーナリストは言うことが違う。
で、その選書眼のもとに集められた本の紹介を、短いのを良いことに次から次へと読んでいたら、おつまみの「イカソーメン」を食べ過ぎたときのような胃の膨満感を覚えて、しまった!食べ過ぎた!ってなった、ということなのです。
なにしろ、「幼児売買」とか「あの死刑囚の最後の瞬間」とか「色道禁秘抄」なんてタイトルの本の書評が、そのほかの本と同じく、キモの部分だけをきっちりコンパクトにまとめられて(ソーメン型成形されて)、次から次へと出てくるんだから。
で、それらの本が特別つまらないとも思わない代わりに、「トム・ウェイツ/酔いどれ天使の唄」の書評を読んでも特別面白いとも思わなかった。立花隆はこのミュージシャン(トム)に惚れ込んだと書いているし、ジム・ジャームッシュの名前なんぞも出てくるのだけれど。
身辺雑記にもいろいろあるけれど、どちらかといえばそちら系の方が好き(胃にもやさしく、よく効く)みたいですね。私は。
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