2009年06月11日(木) |
「ノルウェイの森」と実存(脈絡なし) |
明日はゼミで『ノルウェイの森』を扱う。 というわけで初めて そう文学部にいながらにして初めて 恥ずかしながら初めて 『ノルウェイの森』を読む。
歩きながら20ページくらい進んだかな。 村上春樹は短編しかよんだことないから(「像の消滅」収録のやつ) 新鮮なかんじ。
万田倫は文学部国文学科にいるわけなんだけれども、 読書を生活の一部とするほど本は読んでない。 むしろコミック読む。
最近はそれでも本を読むようになってきたし、 小説が好きだと思えるようになってきたけど まぁ近代文学ゼミにいるからだし 100%は自分の意志で、好きで、読みまくってるわけじゃない。 小説が面白いのも、 ゼミでそういう勉強をしたからだし 読んだ雑誌が「小説おもろいよ〜」っていうもんだから。 自分で選び取ってよいとおもったものってなんだろう。
きっと誰かに、何かに、感化されて手に入れたものばっかなんだ。
剣道はそれでも好き。 それも今ではできない状況だし。
チェーホフなんかは結構好きだけど たぶん最初は 「昔の外国文学読んでるってなんか凝ってるかんじしてよくね?」 みたいなとっつき方だったし、 たぶん今もそういうこと考えたら本当に好きかどうか微妙。 なんもわかってない気がする。 どっちかっつーと惚れたのは演劇だしな。 もっと細かく言うと東京ノーヴィレパートリーシアターの「鴎」 がよかったっていう。 (あぁまた観に行きたくなってきた。あれほど俺が生きてきた中ですんなりと心に染み入る演技はなかったと思う。) それなら俺まだ大江健三郎の初期短編のほうが詳しい。 それも最初は「愛媛出身だから」って理由からだし
そもそも機会があったから巡り合えただけで ほかのものに出会っていればそういう生き方をしていたかもしれない。
「本質」ってなんなんでしょうね。
こんなこと考えるたびに 「個人」的な意味での「人間」って 何かをするために生まれてきたというよりは 存在するためになにかしてるような気がする。
気がするというか、うん、そうでしょ。
そいで、 主観だらけのこの世の中で 「本物」とはなんなんだろう とも考える。
めんどくせ。 とりあえず現実逃避してないでノルウェイ完読するぞ
明日までに理科教材研究の指導略案も考えんといかんのよ
余談だけど 「ノルウェイの森」という言葉を聞いたり思い起こしたりするたびに 天地創造の「ノルフェスターの森」の風景と音楽が頭にうかんでしまう
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