diary

2008年01月26日(土) おじいちゃんの訃報

昨日の深夜1時20分におじいちゃんがなくなりました。
携帯に病院から連絡が入っていたけど
私は熟睡中で、朝、留守電を聞いて知りました。

土曜日は御通夜だったようで
日曜日に葬儀をするとのことでした。

土曜日、会社だったけど
とりあえず、朝はまだ葬儀がいつになるかわかっていなくて
とにかく留守電を聞いてびっくりしたのと
朝だから頭が回らなかったせいで
「早く行かなきゃ焼かれて(火葬されて)しまう」と思って
まず妹に電話。

急な連絡だったし、二人とも寝ぼけてて
二人してどうしたらいいかわからず
「こういうときって、どうするんだろう?」となり
一旦は電話を切って、今度はお父さんに電話。

さすがにお父さんは落ち着いていて
(おじいちゃんは離婚した母の父なので
私の父からすれば、血のつながりのない赤の他人だからね)
「お葬式に行けばいいよ」と言われて
そう言われたらそうだわ、
お葬式がないと火葬もしないわね、と思って
また妹に連絡した。

結局、おじいちゃんの親戚からの連絡待ちだったので
土曜日は会社を休みました。
おじいちゃんのことでは去年も休みをもらったので
上司もわかってくれてたから、話は早かった。

私はさ、会社とバイトと二つ仕事があるから
両方に連絡を入れなくちゃいけないのよね。
で、バイト先にもとりあえず
おじいちゃんが亡くなったので
土曜日か日曜日のどちらかを休むかもしれない、と
連絡を入れました。

お昼前には連絡があって
お通夜が土曜の18時から
お葬式が日曜の11時からとわかって
とりあえず、お通夜は行かずに日曜の葬儀だけ出ることにした。
もう亡くなってるし
北九州まで2往復なんて、大変だから。
車で片道1時間はかかるから。

ふと気付いたら、私、風邪ひいてたの。
日曜日は北九州まで往復しないといけないし
妹を乗せて行くから事故すると危ないし
せっかくだからと思って
土曜日の昼間はゆっくり休みました。
バイトも土曜の夜は出て、日曜の昼は休みにしてもらった。

今日は仕事を休んでバイトだけ行ったけど
行って良かった。
そんなに忙しくはなかったけど
シフトの面子がヨワヨワだったので
私がいなかったら大変だったと思う。
23時までだったけど、23時半まで残業した。
それでも全然仕事は終わってなかったし
課長に部長に勢揃いで、みんな接待にてんてこまいで
余計な仕事をどんどん増やされてて
閉店作業がちっともさっぱり進んでなかった。
でも、私は帰らせてもらった。

それから、救急病院に行って、風邪薬をもらった。
熱はまだ37度ちょっとくらいの微熱だけど
つばを飲み込むだけでのどが痛くて
関節や節々も痛くなってて
もう今にも高熱が出そうな雰囲気だから
当分、会社もバイトも休むわけにいかないから
早く抗生物質をもらって治しておきたくて。
いつもこういうとき、40度ぐらいの熱が出て
解熱剤も何も全然まったく効かなくて
そういうとき、私は毎度、熱が下がるのに4日かかり
1週間くらいじゃ治らなくて
インフルエンザじゃないのに
インフルエンザなみにひどい風邪になるので
そうなったらおしまいだと思って。

で、深夜まで診察してくれる救急病院へ行って
「今にも熱が出そうで、明日お葬式に行かなくちゃいけなくて
会社もバイトも休めなくて大変なんです」とか言って
診察してもらって薬を出してもらった。
いつもなら高熱でうんうん言いながら行くので
申し訳ないとかそういうのはまったくないし
病院の先生も「こりゃあ大変だ」って看てくれるけど
今日はまだ熱もない状態で行ったもんだから
「平日に来なくちゃダメよ」と怒られた。
でも、いつものかかりつけの病院だから
今までのデータを見て(パソコンで管理されてるので)
だいたい高熱が出るなってのをわかってくれたみたい。
いつものお薬を出してもらった。

っていうかね、抗生物質ってすごいよ。
飲んだら効果テキメンだったよ。
飲んでから1時間くらいしたら
すーっとラクになったもん。

ついでに目にものもらいができて
お岩さんのように目が腫れているんだけど
それもたぶん、この抗生物質のおかげで治るはず。
いやあ、いいね。便利だね、抗生物質。素晴らしいわ。
「抗菌目薬ささなくちゃ」とか思ったけど
「まてよ。
虫歯で歯茎が腫れても化膿止めとか言って
抗生物質を飲まされるよね。
よし、これは目にもいいはず」と思ってね。
目薬ささなくても良さそうだわ♪

てんてこまいの週末。

バイトが終わってから妹とも話したけど
妹も今日はバイトで忙しかったみたいで
おじいちゃんが死んだ悲しみを感じなかったと言ってた。
私も今泣いても明日泣いても同じだから
明日お葬式で泣こうって決めてた。
やらなくちゃいけないことを済ませて
明日はじっくり、おじいちゃんの死を悼むことにする。

冷たいって言われるかもしれないけど
生きてる人のが大事なのよ、どう考えても。
私はそう思う。
死んでしまったら、昨日も今日も明日も
ずーーーっと死んでるから、時間は動かない。
「死んだ」という状態から変化はない。
でも、生きてると時間が進むでしょう?
おじいちゃんが死んでも、私は生きてるし
生活していかなくちゃいけない。
私の心の中におじいちゃんはずっといるし
忘れることはない。
この世からカタチは消えても
私が生きている限り、私の記憶にはずっとある。
お墓参りに行かなくても
お通夜に行かなくても
ずっと。

生きてたら、顔を見せに行かなくちゃいけない。
「いけない」ってこともないけど
頭の中で考えるだけじゃ伝わらないからね。
会いに行くとか、何かするとかしないと
気持ちは伝わらないでしょう。
でも、死んでしまったら
たぶん、伝えなくてもいい。
いや、伝えたくても伝えられないんだ。
この世にいないから。

でもね、生きてても、じいちゃんの場合は
伝えたくても伝えられなかったんだ。
痴呆が進んでいて、私のこともわからなかったから。
誰だかわからないけど、会いにきてくれた、と思ってた。
毎日老人ホームでひとりぼっちでテレビを見ていて
誰かが自分に会いに来てくれたのが
たぶん、うれしかったんだと思う。
毎日誰とも話さないから、どんどんぼけてしまってて
会話はまったくなりたたない状態だったから
私はただそばにいることしかできなかったけど。
黙ってとなりにいた。

去年の11月の終わりにじいちゃんを病院に連れてったとき
いっぱい検査をした。
脳の検査。
MRIは検査の機械に入るとすごい音がするんだけど
(脳とか体とか、輪切りにした写真がとれる磁気の機械。
レントゲンは放射線だけど、MRIは磁気なんだよ)
じいちゃんは怖かったみたいでふるえてた。
私もMRIをしたことがある。けっこう不安になる。
テレビで見るとただドームの中に入るだけのような感じだけど
すごい音がする。新しい機械だと音が小さくなってるらしい。

あんな検査、無駄だったな。
怖い思いさせてごめんね。

検査が長かったから、途中、のどが渇いたって言うから
ストローをもらって何度かペットボトルのお茶を飲ませてあげた。
あの日は半日、ずっと一緒にいたね。
ズボンを履き替えさせたり、靴下を脱がしてはかせたり
私の人生の中ではじいちゃんと一番長く過ごした時間だった。
じいちゃんが寒がるから私のコートもひざにかけてあげたよね。
看護婦さんに手伝ってもらって、車椅子に乗せて
車椅子からベットに乗せて
私はひとりで心細かったけど
じいちゃんはもっと心細かったかもね。

でも、私、しっかりしたよ。
じいちゃんのおかげかもしれない。
いつまでも子供じゃないんだ、と思ったよ。
誰かが助けてくれる、それは甘いんだと思ったよ。
小さい頃は私を抱っこしてくれたじいちゃんだったけど
私が抱っこしてあげる番だなと思ったもん。
赤ちゃんみたいになったじいちゃんが
なんとなく切なかった。
いつかお父さんがこんな風になっても
また私がやってあげようって思った。

仕事とバイトをかけもちしたのはそのあとだった。
お金がなくちゃ、と思った。
何かあったとき、何もしてあげられないと思った。
うちのお父さんはたんまり保険に入ってるから
(会社の保険も合わせると2億は入ってる)
お金の面ではどうにでもなるけど
それでもやっぱり、お金があったほうがいい。
元気にがんばれるうちは、がんばらなくちゃと思った。

32歳になって、私はそう思ったけど
昔はそんなこと、考えてなかった。
周りのことを考える余裕なんてなかった。
少なくとも私はそうだった。
子供を産んだりしてればまた違ってただろうけど
「誰かがやってくれる」と思ってたところはある。
私がやんなきゃ、って思うようになったのは
ここ最近。

人の面倒を看る余裕なんて、私にはない。
でも、せめて自分のことくらい、自分でやる。

妹もあと数年だからね。
もうあと2年も経てば、検察官になってると思う。
そしたら私が面倒を看てもらう番かもね。
なんて、ね。

でもまあ、とにかくあと2年は無理。
弟の尻もたたいてしっかりさせなくちゃいけないし
いろいろ大変。
今までやらなかった分、やらなくちゃいけないだけだけど。
私は十分楽しんだからね。
恋愛も遊びも買い物も、たっぷりした。
そろそろちゃんとやんなきゃだ。


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