舌の色はピンク
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2024年11月19日(火) 大絶叫超抵抗登園、フェミニズムの扱い、アルバムの効果、サークルクラッシャー

6時半起床。晴れ。
今朝も娘をどう起こそうか思案したがいつになくよく寝ていて、
呼びかけたり頬を叩いてもなお寝ていた。
そっと寝室を離れてみても寝ている。
思いきってそのまま朝支度を始めてみた。
飯の準備を終えてなお娘は寝ていた。
7時を数分過ぎた頃、思いきって今度は寝ている娘を抱きかかえて居間へ。
そのまま横にさせるとちょっと泣き出したが、保湿着替えをやっつけてしまった。
抵抗があっても、眠いのか力が全然出ていなかった。
それからバナナを食べさせて、流れで朝飯も食わせられた。
すると機嫌よく一人で遊び始めて、ずっと楽しそうな時間を過ごしていてくれた。
たすかる…昨日とえらい違いじゃないかと感動した。
妻を起こしたあとも上機嫌でこちらは支度が捗った。
ベッドマットを洗って干す都合上時間の猶予が必要だっただけに嬉しい。
だが登園が近づくにつれて雲行きが怪しくなってきた。
今日は寝室に防虫スプレーをして行く都合上からも、妻が登園させる予定なのだが、
靴下を履くよう呼びかけただけで娘は見るからに気を悪くして、
イヤイヤの態度をあからさまに示してきた。
あの手この手でなだめすかすがうまくいかない。
ではベビーカーに誘導してしまおうと、やはり僕と妻とでがんばってみたが、
じゃない、チガウ、イヤ。ウエーと泣く始末で進まない。
時間が迫ってきてもいたから、抱きかかえて無理やりベビーカーへ。
座らせようとしただけで、足痛い足痛い、と詐病を訴える。
ベルトをつけさせてくれない。
大絶叫。
全力で抵抗するし、ベルトからは手を出してしまう。
それでもどうにかベビーカーに収めて、妻は疲弊しながらも出発していった。
僕は簡単に部屋を片付けてから防虫スプレーをした。
そしてトイレに入っている間に、妻は娘とともに戻ってきた。
ベルトを脱してベビーカーに立ってしまうということで、道を進ませることができない。
諦めて帰ってきたのだと憤激していた。
だがどうにもならない…
僕は十秒悩んでから、遅刻することにして僕が登園させようと提案したが、
妻は妻で割り切って、もう危険だけれどももう一度ベビーカーで向かってみる、という。
妻にとっては予定のない朝であるし、安全な方のルートから、急がずに向かおうという判断だ。
それならば任せようと、僕もすでに遅刻ギリギリではあったので、合わせて家を出た。
すでに8時36分。
保育園には僕の方から連絡を入れておいた。
妻には無事に着いたら一報欲しいというのと、
明日からは僕が抱っこひもで連れて行くつもりだというメッセージをLINEで伝えた。
9時を前に妻からは無事に登園できたと連絡が入った。
途中からはほとんど抱っこしながら向かったらしい。
保育園に着いてからはまぁおとなしくなってくれたらしかった。


韓国のフェミニズム文学の代表格、
「1982年産まれ、キム・ジウォン」を読んでみている。
今のところドキュメンタリーで間に合いそうな内容で、
フェミニズムについてはこれでよくとも、小説的な魅力が全然ない。
あと巻末がうるさい。
著者あとがき、著者文庫版あと履き、著者から日本の読者へのメッセージ、
解説(日本人)、評論(韓国人)、訳者あとがき、訳者文庫版あとがき。
一つ一つはまあいずれもよくある収録だけれども、
ここまでの全部盛りはめずらしい。
そしていずれもフェミニズムについての言説が中心と思われる。
うるせええってなる。


弁当は鶏肉と茄子の照り焼き風炒め。
寒いし会社で食べた。美味い。


18時退勤、妻に電話してみると疲れ果てている。
娘の機嫌は上々だったそうだが、牛乳をこぼされてしまい、
その始末に体力気力が尽き果てて、もう何もできないという。

いつも通りOKだけ寄り、帰り道で母親に電話して、長兄の子どもの話などを聞いた。
自閉症の七歳、車中でかんしゃく起こしてしまうと、もうどうにもならないようだ。
こちらは二歳児の抵抗にもひいこらしているのに、想像を絶する。

19時帰宅。
洗濯物も取り込めてないと言うから取り込んで、
妻が娘を風呂に誘導している間にネギとエリンギを切って煮込んでおき、僕は娘と風呂へ。
アンパンマンのバスボムで遊べて気分よくしているのは明らかなのだけれども、
湯船に浸かってからは出ようとせず、結局5分以上浸からせてしまった。
保湿着替えは順当に済み、夕飯の支度の間は妻に面倒見てもらった。
娘は鍋雑炊、僕らはユッケジャンスープご飯。
今日は冷え込んでいたからスープの美味しさが身に沁みた。
娘は食後、機嫌よく遊んでいた。
妻が言うには、お母ちゃあんと言って妻を呼び寄せ、
お母ちゃあんと言って抱きついて、お母ちゃんお母ちゃんと身を捩ったらしい。
妻が泣けたそうだ。
だが今朝は本当につらかったという。
僕が家を出て別れてからも大泣きは続き、途中からは
お父ちゃんがいい、お父ちゃんお父ちゃんとわめきはじめ、
それならもう私いらないじゃんという気分になりかけたそうだ。
そしてお腹が張るという。
ここまできて早産にするのはなんとか避けたい、
安静にできる場面では安静にしておきたい…という至極まっとうな考えから、
暴れる娘を無理やり登園させるのは、苦労だけでなく不安も強まったようだ。
娘は20時をすぎると自ら歯磨きをしだした。とても偉い。
そして寝室に向かおうとするので、とりあえず妻と一緒に行ってもらった。
僕は最低限の家事雑事をしていたが、寝室から
お父ちゃーーーーーん
という可愛い声がするので、切り上げて向かった。
寝室では妻と15分ほど雑談。
妻は風呂に行き、僕は娘が寝るまで横で付き合った。
だが21時を前にして、すっかり寝入ったと思われたところでそっと抜け出そうとすると、
泣くでもなく切なげな声で
おとうちゃん…?
というので出れなかった。

結局それから10分ほどしてから、そっとそーっと居間へ抜け出した。
とりあえず家事雑事。洗濯機も回した。
妻の似顔絵も完成させた。
妻はとても喜んでくれたようだ。
妻の方も、娘のアルバムの大方はできたという。
ドラッグストアで見つけたらしいドリトスのソース付きを一緒に食べて、
一緒に眺めていった。
こうしてアルバムにすると、笑顔や楽しい思い出ばかりが選定されるから、
大変だった記憶よりも良かった記憶ばかりが掘り起こされて、過去が浄化される。
アルバムにはそういう効果もあるのだなと感じ入った。

今日も迎え時には5歳児クラスのサキちゃんが娘の元へ駆け寄って、抱っこしてくれたそうだ。
サキちゃんはクラスの他の子と別の遊びをしていても、娘を見かけると来てしまうそうだ。
それを他の子からは非難されてるそうで、娘がサークルクラッシャーみたいで笑った。


23時半寝支度、0時半近く寝室。
忘れかけていた防虫スプレーを慌てて各部屋に噴射していき寝室に閉じこもり、
民話読み聞かせて1時近く就寝。


れどれ |MAIL