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■ Final:シュウスケ��
「…そう」
先輩が俺を見る。溜め息。それから少し笑って空いていた距離を縮めるように歩き出した。大した距離ではなかったはずなのに、それは酷く時間がかけたように感じた。
「私、」
風が凪ぐ。無粋なそれは先輩の髪を揺らし、でも乱すことはなかった。俺と同じような、真っ直ぐな黒い髪。手を伸ばせば触れ得る距離。でもそうはしなかった。唇を噛む。
「ちょっと、遅かった、のね」
困ったように、惜しむように。顔を隠そうとする髪を掻き上げ、泣き笑いのような表情は初めて見るもので。「お願い。見ないで」先輩が顔を覆う。俺は変わらず黙ったままで、そのまましゃがみ込む先輩の姿を見つめた。
「俺…、」 「――ごめん、喋らないで」
遮られて良かったと思った。その後に続けるような言葉は、何一つ頭の中にも体の中にも、持ってはいなかった。震える肩を見下ろす。いつかのマヒロの姿と重なる。抱き締めてしまいそうな衝動を抑えた。どれくらいそうしていたのか。ただ居心地が良いとは言えない状況は、やたらと長く感じさせた。
吹き付ける風は止まないまま、夕闇が押し寄せ始める。予報では夜まで晴れ。だが見上げた空は、曇で覆われてしまい本来の色を隠したままだ。
時刻を知らせるべき鐘も、鳴ったのかならなかったのか覚えていない。きつく唇を噛み締めたまま、その場に立ち尽くした。
不意に先輩が立ち上がる。声を掛けようとする前に、
「先、帰るわ。ごめんなさい、変なところを見せて。忘れてちょうだい。全部」
俯いたまま扉へと歩き出す。口の中が血の味がする。僅かな痛み。手の甲で拭えば、薄く朱が付く。扉の向こうへ消えてしまう先輩の背中を見送りながら、唇が切れてしまったことにようやく気付いた。
開けっ放しになったままの出入り口をぼんやりと見つめる。ただひたすらに。
鐘が鳴った。また空を見上げた。薄紫色の雲が、俺を見下ろしている。もうすぐ鍵を閉めに誰かがやって来るだろう。帰ろう。それから。
それから――。
◇
ラッシュが始まった車内に乗り込む。
雨が降り出した、と誰かが話しているのが聞こえ、窓を見る。不均等に付く水滴。胸の内で天気予報のキャスターに毒づく。
所々といったふうに付いていたそれは、駅に着く頃には、激しいものに変わっていた。傘なんて持っているはずもない。濡れるのは遠慮したかったが、そんな事を言ってもいられないだろう。
自宅までの距離を走れば何分で付くかを算段し改札を通り抜けた時、構内の壁に背を預けて外を見ているマヒロが目に入った。
「お帰り。遅かったね」
傘を差し出し、マヒロが笑う。「わざわざ来たのか?」渡された傘に視線を落とし、そう問えばマヒロが小さく頷いた。
「天気予報、大はずれだよね。ちょっと外出たら――雨が降ってたからさ。シュウスケも持ってないだろうって思って、来ちゃった。あ、もしかして買っちゃった?」
「…や、買ってない。助かった、さんきゅ」
「そっか。良かった」
構内を出れば雨は幾分マシにはなっていたが、傘がいらないという程ではなかった。
2008年06月18日(水)
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