蜂蜜ロジック。
七瀬愁

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■ 久住ケイ��

久住ケイ(25)…101号室のサラリーマン
呉羽理央(23)…204号室の美人
櫻井恵(22)…203号室の自称絵描き

類は友を呼ぶ。新興都市から少し離れた、あるアパートの住人たちの話。

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「何してるんです?」

開け放ったままの相変わらず不用心な部屋を覗けば、理央さんが櫻井くんの腕に包帯を巻いていた。

「何って。見ての通りですけど」

今日も綺麗な理央さんは些か気分を害したように、僕をじとりと見る。それでも美しさが全く損なわれないなんて、美人はやはり素晴らしい。

「まぁた櫻井くんが怪我したんですか」

「これねぇ」

にへら、とでも言えばいいのか、そんな擬音がぴったりの笑顔を浮かべた櫻井くんは、部屋の入り口に立ち尽くしたままの僕に窓を示した。

「あそこから落ちたらね、こうなっちゃって」

「落ちたんじゃなくて、飛び降りたんでしょう」

経過報告を続けようとする櫻井くんを制して、理央さんが不機嫌に言い放つ。
そしてぐるぐると包帯をひたすら巻き付けていた。
恐ろしく不器用な巻き方のせいで、今にもずれ落ちそうなそれに、二人ともあまり頓着していないようだ。
どうやら巻くという行為に、理央さんは腐心し、櫻井くんは非常に満足しているらしい。

「飛び降りなんて大袈裟だよ。二階からじゃあねぇ、ちっとも面白くないもん」

「頭から落ちてみたらどうです? うまくいけば頭が割れるとかハプニングが起こるかもしれませんよ」

少し酩酊気味の彼が、僕の言葉に軽く頷く。酔っている訳ではない。彼はいつもそうなのだ。
得体の知れないクスリを口にしているところを見かけたことは数回あった。それが何なのかは追求したことはないが、どちらにしても僕はそういうものに興味はないので尋ねたことはない。
今日もそのせいで酩酊しているに違いなく、クスリに興味がない僕でもそうなった彼には興味が起こるのだ。

「今度、試してみる」

「そうしてください」

にこにこと笑いかければ、理央さんが蝿でも見るような目付きで僕を見据えていた。きっと、僕を軽蔑しているに違いない。
――ああ、本当、ぞくぞくする。



「おーやさん、ありがと」

巻かれ終わって復活しかけたミイラみたいになった腕を振って、櫻井くんが笑った。後一振りすれば、床に滑り落ちてしまいそうだ。

「私は大家ではありません。代理です代理」

理央さんは可愛らしい唇を不満そうに尖らせて、首を左右に振った。
その度に長い髪が背中で揺れるのが、艶かしい。

「だって。おーやさんじゃん」

首を傾げる櫻井くんの言い分も、わからなくもない。
確かに理央さんは大家ではなくこのアパートの住人の一人だが、何故だか管理人紛いの立場に付いている。
アパートの家賃を含む諸々は彼女に手渡してるし、アパートにくる苦情も彼女が対処し、尚且つ管理業務も行っている。住人の僕でさえ、本来の大家に会った事もないのだ。僕やおそらく櫻井くんも契約書を交わした相手が理央さんなのだから、彼女を家主と言わずして誰を言う、というところである。
が、理央さんは気に入らないらしい。

代理と言うからには本来の家主がいるわけだが、僕はその人間に会ったことが無い。入居してしばらくは彼女が家主だと信じて疑わなかった。理央さんは大家とは縁もゆかりもついでに言えば興味もないらしいが、彼女だけは本来の家主がどこにいるのかは知っているらしかった。

「櫻井さん、私の名前、ちゃんと知ってます?」

「…おーやさんじゃ、だめ?」

「駄目とか良いとか言う問題ではないんですが、
まあ、いいです」

そういうと理央さんは残った包帯を片付け、丁寧に巻いて救急箱の中に直した。その整った横顔は非常に美しくて、見惚れてしまう程だ。

ヤクザの愛人だったが相手の三角関係のもつれで人を殺したとか、ナンバーワンを張っていた店の金を横領してここに潜伏中だとか、その類の噂には事欠かない近所でもわりと有名な人だけあって、類まれな美貌の持ち主だと思う。
実際に潜伏中であるなら随分と大雑把な逃避行だが、真相など、どうでも良い。

これだけ美しい人が職もなく友人もなく部屋からほとんど出る事もなく、ただこのアパートで怠惰な日々を暮らす彼女の存在そのものが僕には好ましい。
とめどもなく僕の妄想を掻き立てる魅惑の204号室の住人、それが理央さんなのだ。

理央さんになら、殺されてもいい。出来れば僕の上に跨って、首を絞めあげてくれればもっといい。究極のエクスタシーは腹上死だと疑わない僕からすれば、彼女のような女性はまさに理想的なのだ。
一度でいい。そうすれば、その光景を記憶の宝にして、僕はまっとうに死ねる気がする。

そんなこんなの妄想に耽っていたら、いつのまにか理央さんはいなくて、櫻井くんが床に座ったまま絵を描いていた。イーゼルに掛かった絵は彼の自殺趣味とは異なって、品の良い異国の女性像だった。
彼にしては珍しいモチーフだと言える。

「あれ? 理央さんは?」

「帰ったよ」

「冷たいなあ」

「ケイちゃんがにやにやしてて気持ち悪いって言ってた」

「まじか」

僕を見ることもなく櫻井くんは、筆をがしがしとキャンバスに押し付けている。袖から覗く手首には真新しい傷が、増えている。彼は自殺の真似事が、好きで仕方ないらしい。

「ねえねえ櫻井くん、櫻井くん。その包帯取れたら僕に頂戴ね」

理央さんが触れた物は何でも愛しい。それに僕は見てしまったのだ。彼女が一心に白い包帯を巻く際に、布の先を愛らしい口で咥えていたのを。

「ふあい」

そんな僕の心を読んだかのように、櫻井くんは横目で僕をちらりと見上げて、小さく頷いた。彼の容姿は、少し理央さんに似ている。
だから僕は上機嫌になって、彼の描く絵を眺める。ますます悪くない。

「櫻井くん。君にとっての命ってなんだい?」

不意に覚えた疑問を、華奢な体をさらに小さくして座り込む203号室の住人に問い掛ける。
色を塗りたくったキャンバスを飽きずにがりがりとやる櫻井くんは、小さく小さく欠伸をした。そんな怠惰な横顔すら絵になる。

「削れてなくなるもの」

キャンパスに塗りたくられる絵の具は、いつのまにか黒だけになっていた。


【END】

2010年05月14日(金)
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