先日、この日記に思いがけない訪問者がありました。
あの人にこの日記がリアルかどうか聞かれました。
私は全部がリアルではないと答えました。
これはリアルと非リアルを織り交ぜたネット上のラブストーリーだと。
私はあの人と見知らぬ女性のリアルではない関係に
長いこと苦しみました。
私が泣いていた時、あの人はこう言いました。
「君には何の実害も無いのに、どうして嫌がるの?」と。
あの時、私は即座に答えられなかったけれど、今ならこう答えます。
「あなたと見知らぬ女性のネット上での擬似恋愛を見る度に、
あなたが私との関係に満ち足りていないという本音を
突きつけられるから…。」と。
「ネット上であなたが誰かを情熱的に口説いていれば、
否が応でもそれを私に対するクールな対応と比べてしまう。」と。
あの人はこの日記を読んで、
『彼』について書かれた文章全てを自分に対する不満のように
感じたそうです。
比べられているような気がするとも言っていました。
それは私の感情も同じでした。
ネット上だからこそ、
余計に傷つくということもあるのではないでしょうか。
私はあの人と私の見知らぬ女性が取り交わした
文字や画像に傷つきました。
恋愛における一番の悲しみは相手が自分に向ける無関心です。
相手の関心が強く他の女性に向けられている、それがリアルな相手なら
そのうち飽きたり、失望したりすれば私のところに戻ってくるでしょう。
でも、その相手がリアルでなかったら、
たとえ実在していたとしても
相手があの人の中で作り上げた偶像だったら、
私は永遠にそのイメージにはかないっこないのです。
私にとって文字や画像はただそれだけのものでしかありません。
多少なりとも私自身を映し出しているものではあるでしょう。
でも実像か虚像かと聞かれれば、それは明らかに虚像なのです。
ジェラシーとは英語では醜い負の感情を意味します。
でも、本当のジェラシーの苦しみはパートナーの気持ちが向いている
相手に対する感情ではありません。
それはパートナーの気持ちを惹きつけられない自分自身への自己嫌悪、
自分自身を強く責める気持ちなのです。
あの人がここを訪問してくれたことに、
私は不謹慎ながら喜びを感じていました。
少なくともこの場所を探している時だけは
あの人の関心は私にあったと思えるからです。
あの人の私に対する関心は
もうずっと前に失われていたと思っていたから…。
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