人生を豊かにのこと。 - 2012年12月13日(木) シフトで遅番勤務でお昼から出社すればいいので、 久々に今朝はゆっくりしている。 *** こう時間があると考えることがある。 普段のような生活をしていれば観られないような テレビ番組なんかを観ていると、特に。 自分は、本当に、いわゆる「普通の」というか、 一般的な社会人なんだなと。 社会人というか、典型的なサラリーマンと言うか。 典型的なサラリーマン人生の中に居るんだと。 小学校・中学校・高校・大学を、平凡なレベルで 卒業して、特段、名が知れているわけでもないが 悪いような評判でもない会社に就職して。 毎日を、それなりに妥協と無理を繰り返しながら 何とか頑張っているつもりで、生きている。 これからも、こうなんだろうか。 多分このままなんだろうな。何もしなければ。 生き方は十人十色だけれど、今の自分と同じ環境に 居る周りの人たちとの色は、やはり似てると思う。 こうやって年を取って、上手くいけばこうなるし、 上手くいかなければこのくらいでキャリアを重ねて そうやって会社生活を生きていくんだろう、って。 目で見て、周りに自分の将来を重ねる。 というか、重ねたくなくても、重ねて見える。 だから何もしなければ、自分も、きっとこのまま、 周りの彼らと同じような人生を歩むんだろう。 面倒なことも辛いと思うようなことも、たまには、 嬉しいことや楽しいこともあるかもしれない。 会社としても、世間の平均に比べて、もしかしたら 待遇は良いほうかもしれない。今は安月給だが。 それが嫌なのか。そのままがいいのか。 嫌だとすれば何をすれば良いのか。分からないまま そんなことを、ただ書き殴っている。 *** さっき、某ファストフード店で朝食をとった。 ふと、学生時代を思い返して、色々なことを思う。 私が出た大学は、いわゆる、マンモス校と言っても 間違いないようなところで、学生も多種多様だった。 自分が就職活動をはじめた頃、ある知人の女の子と 話したことがあった。 そのときは、自分がどんな業界を志望しているか、 実際にどういう会社の説明会や選考に行ったかなど、 そういったことを、まるで「戦友」のように彼女と 話して共感を抱いたりしていた。 そんな中で、彼女の話に出てきた会社として、その 前述した「某ファストフード店」があった。 そのとき彼女は「すごく良い会社だった。説明会に 出てそう思った」そう話していた。 当時の自分は、そういう話を聞いて、素直に彼女の 言うことを信じて「そうなんだ」と思った。 後に、彼女は優秀な人だったので、某金融機関から 複数の内定を得て、そのうちの一つに決め就職した。 自分はそうだったのだが、当時就職活動をしている ときというのは、「とにかく、自分を認めてほしい」 そういう思いが強かった。 会社の選考で面接をし、人事担当者に思いを聞いて もらって、「思いが通じれば」採用フローに進む。 当時は、何の疑問も抱かなかった。 と言うか、新卒の若造が出来ることなんて、たかが 知れているので、そうせざるを得ないと思っていた。 だから、そういう「思いが通じない」というのは、 「自分は認めてもらえなかった」と思ってしまう。 そして、そういうことが何度も続けば、「自分は、 社会から必要とされていないのだ」と錯覚する。 何が言いたいかというと、そういった状態になると、 「向こうが認めてくれればそれでいい」となりがちだ。 自分の思いはどうでも構わない。受け入れてほしい。 上記の某ファストフード店を悪く言うつもりは一切 無いけれど、当時自分がもしそこから内定を得たら 喜び勇んだろうと思う。 だけど、そこに、自分の思いは無かったと思う。 思い、と言うと漠然としているが要するに「そこで 働いて、何がしたいのか。どういう仕事をするか」 ということだ。そういう希望や展望はまったく無い。 たとえば接客に関する技術や関心が高かったりして、 そういう業界に希望して進む人ももちろん居るはず。 けれど、当時の自分だったら、外食産業の未来とか、 考えたことも無かったし、そういう飲食店経験も 無かったから、「君は何がしたいの」と聞かれても、 何も答えられなかったと思う。 でも、間違ってそういう会社から内定を得ていたら、 「嬉しい」と思ってしまう。そんな馬鹿だったろう。 じゃあ、今はどうなのか。 今お前が居る業界は・会社は、そういう周りからの 評価じゃなく、自分の軸で決めたところなのか。 *** 自分が就職活動をして、今の会社に決めるに至った その背景は、色々なことを考えたつもりでいた。 でも、現状は、こうだ。 上で書いたように悩む日々ばかりだし、昔に抱いた 志望動機なんてものが、どれだけ薄っぺらかったか 今ではもう、現実味の無いものに感じる。 あの頃の自分で希望していた仕事は、今の時点では なかなか出来ていないのが現状だ。 加えて、私の就いている職業自体が他人からすれば、 あまり良い評価でないイメージなのは知っている。 けど、それなりに希望どおりの職種に進んでいる。 それは、もしかしたら、幸せなことかもしれない。 幸せなことかもしれないけれど、無理も感じる。 今、それをすごく痛感している。 だからと言って、何が不満なのか、と聞かれれば、 何とも言えない自分が居るのが、もどかしい。 結局は、他人と比べてしまって、「良い部分」が、 見えてしまうから、「嫌な部分」を主張できない。 そんな自分は、就職活動当時に大事にすべきだと 言われていた、いわゆる「軸」が無い状態だろう。 *** 今の生活や職業のことだけでなく、もっと広い視野で 人生のことも、少し考えたりする。 今日はもう長文を書きすぎたし、それほど多くを書く つもりはないが。 今の自分にとって、考えなきゃいけないことが三つ。 人生を豊かにするためのこと。 一つが、上でダラダラ書いた、職業だ。 職業というか、仕事のことだ。 生活のためにも、自分のためにも、仕事をしたい。 そういう、人生を通じて働きたい。そういう職業。 自分ではそれを、生業と呼びたい。 二つ目が、家庭だ。 そろそろ考える頃なのかなと思っている。 一方で、こんなことを言うと軽薄に思われるだろうが 独身だからこそ、できることもあると思う。 たとえば色々な女性と遊びたいというのも、そういう こともあるかもしれないが、人付き合いというのも、 そういう面があると思う。 子供が居たり家族を持っているのに、遠方へ遊びに 出掛けたり、深夜に帰ってきたり、飲み明かしたり、 出来ないことはないが、さすがに気が引ける。 だけれど、個人的に家庭を持ちたい気持ちも強い。 何なら、今が一番そういう思いが強いと感じている。 今お付き合いしている人も、そのご家族も、とても 良い人だし、自分もそこに加わって幸せになりたい。 子供だって欲しい。色々なことを悩む。 こういうときに「何かを犠牲に」という考えを、つい してしまいがちだけれど、それは正しいのだろうか。 何だか、間違っている気がする。 三つ目が、お金だ。 今のこの自分の安月給は、妥当な金額なのか。 あるいは、貰いすぎなのか。 それは、一概に言えない気がする。 世の中には、自分なんかよりずっと苦しい仕事をして それでも、給料が安い職だってあるだろうし、反対に 簡単でラクして苦労も無いのに、有り得ないくらい 莫大なお金を稼いでいる人たちもごまんと居るはず。 何が違うんだ。お金が無いよりはあるほうがいい。 最初のほうにも書いたけど、自分は平均的だと思う。 裕福でもないし、貧乏でもない。 そういった中で、自分がお金と言うものに対して、 どれだけの価値を置くのか。 今朝ワイドショーみたいな番組を観ていて、普段なら 会社に行っているから観られないはずだけれど、その 番組で、いわゆるお金持ちの人たちの住む街が特集で クローズアップされてた。 どんな人たちが住んでいるんだ。自分と何が違うんだ。 違うのは、いつ、どんなタイミングで違ったんだ。 上で自分が考えること三つを書いたけれど、その三つが 深く密接に絡み合って、頭の中をグルグル回る。 自分は、どうしたいんだ。結局はそれなんだろう。 どうでもいいが、この文章の中でどれだけ「自分」って 書いたんだろう。何回書いたか知らない。 詰まるところ、自分のことしか考えていないのかな。 *** 自己嫌悪。脱したい。脱することが出来るのか。 脱してみたい。人生が、今より豊かになるのなら。 *** 2012/12/14 11:32 ...
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