「喪失感」から脱却を果たしたと思しき著者が、自然への交歓を深めながらも、どうしても消すことのできない寂寥感を、赤裸々に吐露しているのが好ましい。「死はまさしく孤独より静寂なものだ」など、生につきまとう「寂しさ」と生の「儚さ」を重ねることで、「生の本質」を掴み取ろうとする求道的な態度、その一貫性が、この詩世界を堅牢なものにしている。
一、 モノクロームの景色のなかに 一面鮮明なオレンジ色の キンセンカの花畑の向こうには まだ寒色の海がけむっていた まだ草木(くさき)の緑も薄くけむっていた いましも花畑の上を一匹の蝶が さびしく舞っていた するとどこからともなく ヒヨドリが視界に飛び込んできて 一瞬空中で捕食した 蝶に突然の死が訪れた ヒヨドリも飢えていたのだ
二、 もう蝶に飛ぶ力はなかった クモの網(あみ)の上で 時折羽根をパタパタしていた クモはおしりから 頑丈な白い糸を噴き出して 蝶の自由を確実に奪っていった 蝶はしだいに弱っていった 抵抗すればするほど 死は早くやってくる やがて蝶は全く動かなくなった クモはそれを悪魔のように食べはじめた だがクモにとって 命をつなぐ食事だった
三、 花は密かに五月の風を待っていた 花は密かに五月の光を待っていた 月夜(げつよ)の晩 蝶は ケシの花びらの中で 苦しげに眠っていた もう蝶に生きる望みはなかった
四、 春風のそよぐ午後 私は見た 白い花の中で一匹の蝶が 苦しげに羽根をバタつかせていたのを そして頭上の雲が遠くに去ったころ 蝶はぱったりと動かなくなった 花のかんおけの中で 死はまさしく孤独よりも 静寂なものだった そして命のはかなさを感じたのは それが初めてではなかった すべての生にはまちがいなく 終わりがあるのだと
五、 生きている間は そよ風に乗ってかろやかに 花畑を 自由に飛び回っていたのに いまは冷たい地面の上にひとつの影 蝶の死体が転がっていた やわらかな雲が流れてゆく うららかな春の世界に そこだけが さびしく固く静止したままだった 私は死の沈黙と空白を感じながら 生が死へ流れてゆくかなしみを知った
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